鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

それが気持ち良いようにデザインされている

2023-04-03 09:30:13 | 考察
利己的、或いは利他的な立ち振る舞い言動についての話。

自分の欲求の為に動く人もいれば、相手や集団の利を最大限にする為に動く人もいる。結果的に見ればどの個人も利己的と言える、みたいなパラドクスの話については割愛。

私はよく周りから「良い人」や「優しい人」と言われる。確かに客観的に見ても、明らかに自己犠牲的な立ち振る舞いがとても目立つ。しかし、自分のことを良い人と評価する気にはなれない。自己犠牲の傾向が強い個体が、その属している集団にとって価値があるという意味では確かに"良い個体(人)"と表現して間違いはない。

だが、自己犠牲の傾向が強い私のようなヒトと、自分ばかり気持ちよくなろうとしているように見えるヒトに差異は無い。前者にとって自己犠牲が気持ち良くてたまらないからである。

そうしている時の私は「これ(他者への奉仕)がたまらないんじゃ〜」などという意識で言動を選んでいるわけでは決してないが、改めて振り返ってみるとそうとしか思えないことが多々ある。

相手の不便を可能な限り軽減できるよう立ち回り、どんなに小さいことでもすぐに気づけるよう注意を凝らし、危険や不快の気配を察知したらばその予防や対策を速やかに実施する。つまり私はトラブルシューターや召使いのように動き、その場にいた者達は快適に自身の欲求を満たして帰っていく。その時の私に極めて強い欲求や成し遂げたい何かを秘めているのであれば話は別だが、殆どの場合私は何も得ずに、彼らの感謝の言葉などを聞いただけでその日を終える。

時代が時代なら、それこそ本当に召使いであり、悪い場合は奴隷である。今の時代だからこそ人権が尊重されているし、よほどのことがない限りはその場にいた者の殆どがきちんと感謝してくれる。

殆どのイベントで明らかな成果物を得ないまま過ごしてきて「ああ、またか」とその日の終わりに虚しさを覚える。私ほど利他的な振る舞いをするヒトでもない限りは、皆とても満足しながら眠りについたことだろう。私だけが真の功労者であり、その場にいた私以外の者達の充実感が漏れなくこの心労によって成り立っているのだなんて傲慢甚だしいことを言いたいわけでは決してない。あれこれ言ったが、結局のところ皆の満足そうな姿が羨ましいのだ。

生存戦略的シグナリングと言い切ってしまえばまあその通りなのだろうけど、私のような性質を持ったヒトはおそらく生涯ずっとこのままなのだろうと思った。真に価値ある主君を見つけられることがあれば、積み重ねてきた心労と虚しさがその時に報われるだろう。性質は変えられなくとも、奉仕する先を選ぶことはできる。願わくば、私のような性質を尊いと評価してくれる者に寄り添えたら幸いなるかな、と言ったところである。

これはもはや生理的なものであり、性分と言って差し支えないもの。変えられないものであり、どうにもならないもの。空腹に際して食事に向かおうとする。発情に際して性行為に向かおうとする。疲労や痛みに際して安静や睡眠に向かおうとする。それらと全く同様に、私のような性質のヒトは敵対していない者に対しては不便や不快を予防したり取り除こうとする。自分の要求など遥か彼方へと押しやって。自分の意識では察知できずとも、この脳みそ或いは本能はそれが気持ち良くてたまらないからである。報酬回路がそういう風に組まれているから。ひと目で利己的なヒトだなとわかるような振る舞いをしているヒトとは報酬回路の形が違うだけで、報酬を求める性質それ自体は違わないのだ。

書いていて気づいたが、これは「遠回り型報酬回路」と言えば理解しやすいのではないだろうか。

理解のしやすさはありそうだけど、そこそこ頭の回る人が聞けばすぐにこの呼称の脆さをついてきそうな気配を凄く感じる。

集中力が切れたので終わり。
コメント
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