・。:°・1月
1日:
→元旦早々右足のかかと~くるぶしにかけてが痛くて痛くて・・
6日:整形外科医院へ
→筋骨に異常なし
→血液検査の結果、ヒドい貧血(ヘモグロビン値4.8)状態であることが発覚。その足で紹介先の内科医院へ向かう
9日:内科医院へ
→鉄剤を処方される。貧血の原因に心当たりがないかと尋ねられ、婦人科の診察を勧められる
28日:貧血外来が備わった内科医院へ
→右脚膝下全体に拡がった激痛が日増しに日常生活を脅かし、藁をもつかむ思いで・・
→エコーの結果、腹部に《何者か》が存在していることを告げられ、婦人科医院を紹介される
・。:°・2月
10日:婦人科医院へ
→内診の結果、OB予約枠というのを駆使して、緊急扱いで大学病院の婦人科を紹介してもらう
13日:大学病院婦人科へ
→組織診の結果、子宮体癌を告知される
27日:
→造影MRの結果、右脚にゴボウ状にまで育った血栓の存在が発覚する
・。:°・3月
3日:
→PET/CT検査前の問診室で、主治医から緊急入院を強く勧められる
→PETの結果、腹膜播種で肝臓にも癌が浸潤しているため、ステージは4Bだと告げられる
4日:
→教授検診の後、右脚の巨大血栓(下肢深部静脈血栓症)を理由にそのまま緊急入院となる
5日:
→オペ室が空いた隙を見て下大静脈フィルター留置術の緊急オペ
9日:
→これまたオペ室の隙をみて開腹による単純子宮全摘出術+両側付属器切除術+腫瘍減量術の緊急オペ。所要時間は麻酔を含めて1時間半
30日:
→下大静脈フィルター抜去術施術
・。:°・4月
2日:
→ひとまず退院
15日:
→入院にて化学療法(TC療法、3週間ごとに6クール)開始
・。:°・8月
4日:
→化学療法6クール完遂
→2カ月おきの経過観察に移行、現在に至る・・
以上は2015年、私の身に襲い掛かった病に関する記録の一部
合間の空白行にはこの何十倍、何百倍もの出来事があり
様々な人の想い、
そして日々めまぐるしく湧いては消える自分自身の想い。。
ブログにUPできた出来事はそれらのうちのほんの一部で
すごく大切だけど、記事にまとめきれなかったことってまだまだたくさんある
それでもすべてが私の心の中におさめられ、身となり細胞となるんだよ・・( ̄∀ ̄)
☆+・。:°・家族、親類、友人、同僚のみなさんへ
病気のことを伝えた時
家族も友人等も、周囲の反応は私が想像していたのとは真逆の、静寂漂うものだった
狼狽するでもなく、泣き喚かれるでもなく、誰を責めるでもなく、
そりゃあ実際心中は穏やかじゃなかっただろうけど
私の前では、ただ静かに《癌に罹患した私》という存在を受け入れてくれた、
少なくとも私にはそう感じられた。。
癌を宣告された人間にとって、これってすごく大切な一歩なんじゃないかな
まずは自身が、そしてまわりの人々が病気となったその人をそのまま受け入れてあげる、
全てそこから始まるような気がする。。
遠くから黙って見守っててくれた人、激励とかじゃなく敢えて日常と変わらぬメールを送り続けてくれた人、
何度も病院に足を運んでくれた人、退院してからも何かと誘いの声をかけてくれた人、
わざわざ遠いところにある神社のお守りを届けてくれた人・・
価値なんて皆無のちっぽけな存在、
そんな私の身を余りあるまでに案じていただくことに、正直戸惑いを感じたりもした
しかも、受けるこちらがツラくなるような病人に対する類の気遣いや優しさではなく、
当人の前ではサバサバあっけらかんとした、日常の延長みたいな優しさ・・
これ、病気を患ってる人間にとって思いの外ありがたいんだわ
本当に本当に本当に、ありがとう!
☆+・。:°・休職延長を快諾してくれた勤務先の上司や同僚のみなさんへ
正社員とはいえ、ずば抜けた能力があるわけでもない私に《復帰を待っています》っていう温かいお言葉、
いまの時代、これ以上何を望もう??
☆+・。:°・この病気になって出会ったたくさんの方々へ
先生をはじめ病院の職員のみなさん、患者友達・・病気にならなかったらリンクすることがなかったであろう人達
その存在にどれだけ救われたか・・
ありがとうございました、これからもよろしくお願いいたします・・
☆+・。:°・自分自身へ
みずからの開放、今年はこの一言に尽きるんじゃないかな・・
何十年ぶりにスカートを穿いた、PCを十数年ぶりに購入等など、
今振り返ると、病気になる前は知らないうちに窮屈なとこに自分を押し込めていたんだなぁ、って改めて。。
その、自分を縛りつけていた正体不明の怪物を取っ払うきっかけになったのがこの病気
白髪も、病気が発覚する前までは発見してはチマチマと抜いてたけれど、今となってはどうでもいいこと
復職が叶ったとしても、このまま染めずにいようかなって思ってる
もちろんノーウィッグでね!
そういう表面的なことは、もう、どうでもいいよって気分
(けど、あと5キロ痩せたい!!(笑))
そんなことよりも大事なこと
何よりも大事なこと
それは私が笑っていること
そしてそんな私を見た周囲の人たちも笑い返してくれること
究極、これさえあれば・・って思うんだ
つまらないことは気にしない
その、《つまらないこと》の定義の裾野が拡がったことで
今の私は私史上最高に自由だなーって思う
だってさ、せっかく生きてるんだもん
見えない物に縛られ、縮こまって生きてくなんてもったいないもんね
他人の顔色はどうでもいい
つまらない見栄もこだわりも要らない
お金も使う時は使う、墓場にお金は持っていけないから
自由に、
笑って、
どうせなら《ああ 楽しかった、いい人生だったなぁ》って死にたいよね(^ー^*)
・・おぉ~!?私、最強じゃんっ!!!(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/c6/d6b315cc8535a7884c0553072a574558.jpg)
さて、そんな2015年も残りあと数十分あまり
振り返ってみるとなかなか面白い一年だったなー(笑)(笑)
1日:
→元旦早々右足のかかと~くるぶしにかけてが痛くて痛くて・・
6日:整形外科医院へ
→筋骨に異常なし
→血液検査の結果、ヒドい貧血(ヘモグロビン値4.8)状態であることが発覚。その足で紹介先の内科医院へ向かう
9日:内科医院へ
→鉄剤を処方される。貧血の原因に心当たりがないかと尋ねられ、婦人科の診察を勧められる
28日:貧血外来が備わった内科医院へ
→右脚膝下全体に拡がった激痛が日増しに日常生活を脅かし、藁をもつかむ思いで・・
→エコーの結果、腹部に《何者か》が存在していることを告げられ、婦人科医院を紹介される
・。:°・2月
10日:婦人科医院へ
→内診の結果、OB予約枠というのを駆使して、緊急扱いで大学病院の婦人科を紹介してもらう
13日:大学病院婦人科へ
→組織診の結果、子宮体癌を告知される
27日:
→造影MRの結果、右脚にゴボウ状にまで育った血栓の存在が発覚する
・。:°・3月
3日:
→PET/CT検査前の問診室で、主治医から緊急入院を強く勧められる
→PETの結果、腹膜播種で肝臓にも癌が浸潤しているため、ステージは4Bだと告げられる
4日:
→教授検診の後、右脚の巨大血栓(下肢深部静脈血栓症)を理由にそのまま緊急入院となる
5日:
→オペ室が空いた隙を見て下大静脈フィルター留置術の緊急オペ
9日:
→これまたオペ室の隙をみて開腹による単純子宮全摘出術+両側付属器切除術+腫瘍減量術の緊急オペ。所要時間は麻酔を含めて1時間半
30日:
→下大静脈フィルター抜去術施術
・。:°・4月
2日:
→ひとまず退院
15日:
→入院にて化学療法(TC療法、3週間ごとに6クール)開始
・。:°・8月
4日:
→化学療法6クール完遂
→2カ月おきの経過観察に移行、現在に至る・・
以上は2015年、私の身に襲い掛かった病に関する記録の一部
合間の空白行にはこの何十倍、何百倍もの出来事があり
様々な人の想い、
そして日々めまぐるしく湧いては消える自分自身の想い。。
ブログにUPできた出来事はそれらのうちのほんの一部で
すごく大切だけど、記事にまとめきれなかったことってまだまだたくさんある
それでもすべてが私の心の中におさめられ、身となり細胞となるんだよ・・( ̄∀ ̄)
☆+・。:°・家族、親類、友人、同僚のみなさんへ
病気のことを伝えた時
家族も友人等も、周囲の反応は私が想像していたのとは真逆の、静寂漂うものだった
狼狽するでもなく、泣き喚かれるでもなく、誰を責めるでもなく、
そりゃあ実際心中は穏やかじゃなかっただろうけど
私の前では、ただ静かに《癌に罹患した私》という存在を受け入れてくれた、
少なくとも私にはそう感じられた。。
癌を宣告された人間にとって、これってすごく大切な一歩なんじゃないかな
まずは自身が、そしてまわりの人々が病気となったその人をそのまま受け入れてあげる、
全てそこから始まるような気がする。。
遠くから黙って見守っててくれた人、激励とかじゃなく敢えて日常と変わらぬメールを送り続けてくれた人、
何度も病院に足を運んでくれた人、退院してからも何かと誘いの声をかけてくれた人、
わざわざ遠いところにある神社のお守りを届けてくれた人・・
価値なんて皆無のちっぽけな存在、
そんな私の身を余りあるまでに案じていただくことに、正直戸惑いを感じたりもした
しかも、受けるこちらがツラくなるような病人に対する類の気遣いや優しさではなく、
当人の前ではサバサバあっけらかんとした、日常の延長みたいな優しさ・・
これ、病気を患ってる人間にとって思いの外ありがたいんだわ
本当に本当に本当に、ありがとう!
☆+・。:°・休職延長を快諾してくれた勤務先の上司や同僚のみなさんへ
正社員とはいえ、ずば抜けた能力があるわけでもない私に《復帰を待っています》っていう温かいお言葉、
いまの時代、これ以上何を望もう??
☆+・。:°・この病気になって出会ったたくさんの方々へ
先生をはじめ病院の職員のみなさん、患者友達・・病気にならなかったらリンクすることがなかったであろう人達
その存在にどれだけ救われたか・・
ありがとうございました、これからもよろしくお願いいたします・・
☆+・。:°・自分自身へ
みずからの開放、今年はこの一言に尽きるんじゃないかな・・
何十年ぶりにスカートを穿いた、PCを十数年ぶりに購入等など、
今振り返ると、病気になる前は知らないうちに窮屈なとこに自分を押し込めていたんだなぁ、って改めて。。
その、自分を縛りつけていた正体不明の怪物を取っ払うきっかけになったのがこの病気
白髪も、病気が発覚する前までは発見してはチマチマと抜いてたけれど、今となってはどうでもいいこと
復職が叶ったとしても、このまま染めずにいようかなって思ってる
もちろんノーウィッグでね!
そういう表面的なことは、もう、どうでもいいよって気分
(けど、あと5キロ痩せたい!!(笑))
そんなことよりも大事なこと
何よりも大事なこと
それは私が笑っていること
そしてそんな私を見た周囲の人たちも笑い返してくれること
究極、これさえあれば・・って思うんだ
つまらないことは気にしない
その、《つまらないこと》の定義の裾野が拡がったことで
今の私は私史上最高に自由だなーって思う
だってさ、せっかく生きてるんだもん
見えない物に縛られ、縮こまって生きてくなんてもったいないもんね
他人の顔色はどうでもいい
つまらない見栄もこだわりも要らない
お金も使う時は使う、墓場にお金は持っていけないから
自由に、
笑って、
どうせなら《ああ 楽しかった、いい人生だったなぁ》って死にたいよね(^ー^*)
・・おぉ~!?私、最強じゃんっ!!!(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/c6/d6b315cc8535a7884c0553072a574558.jpg)
さて、そんな2015年も残りあと数十分あまり
振り返ってみるとなかなか面白い一年だったなー(笑)(笑)
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