気管挿管による披裂軟骨脱臼、という妙なお土産がつきましたが、脳動脈瘤の血管内治療は、とりあえず問題なく終わりました。
しばらく麻酔が残っていたのでしょうか、発症以来長らく留守にしていた《自分》が戻ってきたのは、手術翌々日のことです。
私という器の中に、感覚と、思考と、感情と、行動が備わり、これ以降あらゆる物事に実感が伴うようになりました。
と同時に安静が解かれ、晴れて一般病棟へ転室となったの . . . 本文を読む
発症から16日後の2011年1月13日、全身麻酔の下で血管内治療(コイル塞栓術)を受けました。
カテーテルが一路目指すのは、右椎骨動脈と後下(こうか)小脳動脈との分岐点にできた、最大径5.3mmほどの動脈瘤。
未破裂瘤に対し、脳ドック学会では
《治療を検討する目安は5~7mm以上の瘤》
としているそうですから、その指標に少し乗っかった程度の大きさです。
運悪く破けたのはストレスを甘くみす . . . 本文を読む
随分前のことですが…
ある日のこと、
近所のペンキ屋のおばちゃんが、突然、亡くなりました。
《くも膜下出血》だったそうです。
この一件は、私や両親の脳裏に、この病名を強烈に刻みつけたのです―
気がつけば、私は病院のベッドの上にいました。
診察室でストレッチャーに乗って以降のことは、
『点滴針は相当に痛い』
というどうでもよい記憶以外、残っていません。
実際、《気がついたら病室》 . . . 本文を読む
1月4日
この日、両親は朝早くからC病院にいました。
年明けの大混雑を予想し、まずは順番取りをと考えてのことだったようで、とりあえずどの科を受診したらよいのかを、総合受付で尋ねたそうです。
係の方は父の説明を聞くと、しばらくして
『脳外科ですぐに診察するそうです。患者さんは…そちらの奥様ですか?』
そこであわてて自宅に戻り、パジャマのままの私を病院まで送り届けてくれたのです―
問診票の記 . . . 本文を読む
行った病院がマズかったのか、
あたった先生が悪かったのか、
あの場合仕方がなかったのか。
まぁ…仕方がなかったのでしょう。
くも膜下出血(SAH)と診断がおりるまでに、2度の誤診を受けました。
どんなものだったのかというと―
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2011年1月1日
H病院
(休日夜間当番医。診療科は整形外科、内科、外科)
【診察・検査内容】
・問診のみ
【診断結 . . . 本文を読む
1月3日
何時頃かはわかりませんが、この日も病院に連れていかれました。
今回は地元の総合病院へ。
診察の間、自分の頭の重さにホトホト閉口していました―
『次に行くなら頭痛外来のある病院でないと』
1日の診察で懲りたとはいえ、田舎に、少なくとも実家近隣に頭痛外来を併設した病院があるとは思えません。
しかしその朝、私はこうつぶやいたと言うのです。
父はネットで片頭痛、そして頭痛外来のこと . . . 本文を読む
ねむっていたのか
さめてたか
じかんに
おいたてられることのない
まいにち
1月2日
記憶なし
たぶん家で寝ていたのでしょう―
と、こんな調子でしたから、発症から手術の麻酔覚醒までに20日という日数を費やしてしまいました。
その20日間の記憶というのはそれほど多くはなく、どれも断片的でおぼろげです。
あれも、もしかしたらこれも。
寝ている間に私の頭が作り出した架空のエピソードかもしれない . . . 本文を読む
さぁ、2011年が始まりました^^
おせちにお雑煮、甥っこにあげるお年玉。いつもと変わらぬお元日の光景です。
しかし…
毎年、おせちを囲んでの家族スナップを撮っているのですが―
使い慣れているはずのカメラ。
何故かその時、連写セルフタイマーのセットの仕方がわからなくなっていたのです。
試行錯誤の末、ようやく撮影のカウントダウンにまで漕ぎつけたものの、今度はいつものように俊敏に動けず、まだ . . . 本文を読む
くも膜下出血(SAH)といえば《ハンマーで殴られたような激しい頭痛→救急車で搬送》というイメージが強いですが、出血量によっては必ずしもそうとは限らないのです。
医療従事者用テキスト《病気がみえる vol.7脳・神経(メディックメディア刊)》では、
▼激しい頭痛を訴えず、単なる頭痛を主訴に歩いて来院するSAH患者も少なくない
▼そのような患者に対しては、痛みが《突然》起こったかどうかを確認する . . . 本文を読む
地下鉄と高速バスを乗り継いでの帰郷。
激しい痛みがなかったからこそ、シャワーを浴びたり動きまわったりができたのでしょう。
とはいえくも膜下出血。
横になれない公共交通はしんどかったのか、バスの車中では窓ガラスに頭を預けていました―
案の定、実家では両親が私の帰りを待ち構えていました。
ここ数日のことをざっと伝えると、それじゃあと、近所のそば屋さんへくりだすのをやめて家でおそばを茹でることに . . . 本文を読む
その時の私の頭の中
―大晦日→年越しそば→今頃、田舎の両親がやきもきしながら私の帰りを待っている―
『帰らなくちゃ!』
『でも、まずはお風呂でしょ』
さすがに湯船につかる気力はなく、とりあえずシャワーを浴びると
・除夜の鐘用の防寒グッズ
・結局書き終わらなかった年賀状の束
・漬けたきりの松前漬け
・事情を聞いた大家さんが買いに走ってくれたイチゴ、そしてお土産
・ありったけの頭痛薬、ナ . . . 本文を読む
ブーーーッ!!
玄関ブザーのけたたましい音が部屋中に鳴り響くのを、私は布団の中で聞きました。
いつの間に敷いたのか、あの朝畳んだはずの布団の中で聞きました。
ドア越しに大家さんの声。
呼ばれるままに、ふらふらと玄関へ(←想像)。
大家さんは年に二度、《お薦めのお菓子》と称し、帰省時に手土産を持たせてくれます*^^*
この日、大晦日の夕方になっても訪ねて来ない私のために、わざわざそれを持っ . . . 本文を読む
ふだんと寸分変わらない朝。
それは唐突にやって来ました。
今日のうちに年賀状を書きあげてしまおう。眠い目をこすり、台所でコーヒーをいれ―
足下に落ちていたレジ袋を所定の収納場所に収め―
部屋に戻り、マグを畳の上に置き、その傍らに腰を下ろしたその瞬間―
シュワ~っ
今までに感じたことのない感覚。僅かだが何かが、後頭部に広がりました。
『…ん?』
覚えているのはここまで。
直後、私は . . . 本文を読む
このブログを始めたそもそものきっかけ―
『SAH(くも膜下出血)発症当時のことをまとめておこうかな』
先日、発症1年目の検査後に思いたちました。
体験談?
う~ん…。
本人は手術までの10日間、のんきにHCUで寝ていただけですし
当時の痛さツラさも、術後には記憶から抹消されていましたから。
で、実際に大変な思いをしたのは、年明け早々、四十を過ぎたばかりの独身の娘がSAHであると告げ . . . 本文を読む
ということで。
2010年の年末、思いがけず《くも膜下出血》を発症しました。
退院後のある日、ふと気がついたこと。
それは『アタマのネジが…ゆるんだ?かも??』でした。
それまでは(常にではないけれど)キュッ!としまっていたねじ。
それが4分の1ほど、ゆるんでラクになったかんじ。
きっと、これは神様からのプレゼント。
経過観察中の身、
この先どう転がるかわからないけれど、ひとつひとつ . . . 本文を読む