夏休みをとって、両親と明治工藝展へ。。
行きたいって思ったのは私と母
私は偶然目にした日美の片隅で
母はどこでだかわからないけれど、ストライクゾーンだったみたいで
お相撲と立て続けに2人で出かけるのも何なのでと
父を誘って3人で
1030最寄り駅改札で待ち合わせ
落ち合うなり《つかれた》からとジューススタンドでスムージー(的な物?)を買ってブレイク
駅前からはコミュニティバスでミュージアム手前で下車
着いたとたん父が《メロンパン食べる》と言いだし、テラスでブレイク
父がメロンパンを食べてる間にお庭散策、したらやぶ蚊襲来・・
私と母が《カユイカユイ》とウナコーワを塗りハッカ油をスプレーしている横で
父はなんとも悠長に構え、白いガーデンチェアに身をゆだねていた・・
さて1200だしそろそろ展示室へ・・と思ったら父が《昼にしよう》って・・( ;∀;)
まぁ81歳だしな、無理はきかない、労わらないと
それにしても、だ、
5月のペースメイカーの埋め込みで心臓の方は問題なく拍動しているのに
なんでこんなにも歩くのが大変そうなんだろうか・・
1月の日帰り企画では、今日以上に歩けなかったが
それは徐脈が原因で
通常成人の場合1分間に60~100、高齢者は60~80のところ
父は30そこそこしかなくて(房室ブロック)
薬物療法では40程度にしかあがらなかったので
ペースメイカーとなったのだが
それが父の体内で上手く作動してさえくれれば
元通りに歩いたり活動できるようになる!
そう思ってしまった私が甘かった・・
私だって入院中、ベッドで安静にしていたのは開腹手術後の半日程度で
硬膜外麻酔のボトルをぶら下げてるうちから歩くようにとリハビリが始まったし
ドレーンを抜き激痛から解放されると同時に院内を徘徊しまくってはいたのに
思いの外筋肉は落ちてしまった
81歳の父はなおさら
とにかく自分に甘い父のこと
加速度で筋肉が落ち続けてるんだろうな
いろいろ連れて出かけたくても
歩けないとなるとなかなか厳しいもの
歩けないのに格好悪いからと杖をつくこともせず
歩けないのに何処そこへ行きたい、行こう
あれを食べたい、と、自分の現状を直視しようとしないまま
昔のように欲望や希望を口にする
そこが母と私には理解できないところ
や、私はちょっと理解できるかな?
けど、その考え方には賛同できない
父を家に一人置いて出かけるわけにもいかず
誘えば誘ったであれこれ面倒、
母のストレス、そして将来への不安へとつながる
久々に父の愚痴炸裂だ・・(笑)
私&母vs父
散々ひどい言葉でののしって、否定して・・
結局最後はいつも通りに決裂
そして母と私、二人になったところでぽつり、
《悪い人じゃあないんだけどねぇ・・》
レジ横の熊のコックさんをテーブルにまで連れてきてくれたり、
悪い人じゃあないんだよな
ただね、やっぱ・・んー・・考え方の相違、なんだろうなぁ(´・ω・`)
まぁ・・そんなこんなな一日
展示室で見た明治の美術品たち
それはどれもこれも
知らないうちにため息が漏れてしまうような
過剰なまでの超絶技巧
主に輸出用に作られたこれらの工芸品
当時の輸出先の国の人々もため息をついたんだろうか?
日本人って本当に素晴らしいなぁって、改めて
こういうことで自国を誇らしく思いたいものだね(*´▽`*)
行きたいって思ったのは私と母
私は偶然目にした日美の片隅で
母はどこでだかわからないけれど、ストライクゾーンだったみたいで
お相撲と立て続けに2人で出かけるのも何なのでと
父を誘って3人で
1030最寄り駅改札で待ち合わせ
落ち合うなり《つかれた》からとジューススタンドでスムージー(的な物?)を買ってブレイク
駅前からはコミュニティバスでミュージアム手前で下車
着いたとたん父が《メロンパン食べる》と言いだし、テラスでブレイク
父がメロンパンを食べてる間にお庭散策、したらやぶ蚊襲来・・
私と母が《カユイカユイ》とウナコーワを塗りハッカ油をスプレーしている横で
父はなんとも悠長に構え、白いガーデンチェアに身をゆだねていた・・
さて1200だしそろそろ展示室へ・・と思ったら父が《昼にしよう》って・・( ;∀;)
まぁ81歳だしな、無理はきかない、労わらないと
それにしても、だ、
5月のペースメイカーの埋め込みで心臓の方は問題なく拍動しているのに
なんでこんなにも歩くのが大変そうなんだろうか・・
1月の日帰り企画では、今日以上に歩けなかったが
それは徐脈が原因で
通常成人の場合1分間に60~100、高齢者は60~80のところ
父は30そこそこしかなくて(房室ブロック)
薬物療法では40程度にしかあがらなかったので
ペースメイカーとなったのだが
それが父の体内で上手く作動してさえくれれば
元通りに歩いたり活動できるようになる!
そう思ってしまった私が甘かった・・
私だって入院中、ベッドで安静にしていたのは開腹手術後の半日程度で
硬膜外麻酔のボトルをぶら下げてるうちから歩くようにとリハビリが始まったし
ドレーンを抜き激痛から解放されると同時に院内を徘徊しまくってはいたのに
思いの外筋肉は落ちてしまった
81歳の父はなおさら
とにかく自分に甘い父のこと
加速度で筋肉が落ち続けてるんだろうな
いろいろ連れて出かけたくても
歩けないとなるとなかなか厳しいもの
歩けないのに格好悪いからと杖をつくこともせず
歩けないのに何処そこへ行きたい、行こう
あれを食べたい、と、自分の現状を直視しようとしないまま
昔のように欲望や希望を口にする
そこが母と私には理解できないところ
や、私はちょっと理解できるかな?
けど、その考え方には賛同できない
父を家に一人置いて出かけるわけにもいかず
誘えば誘ったであれこれ面倒、
母のストレス、そして将来への不安へとつながる
久々に父の愚痴炸裂だ・・(笑)
私&母vs父
散々ひどい言葉でののしって、否定して・・
結局最後はいつも通りに決裂
そして母と私、二人になったところでぽつり、
《悪い人じゃあないんだけどねぇ・・》
レジ横の熊のコックさんをテーブルにまで連れてきてくれたり、
悪い人じゃあないんだよな
ただね、やっぱ・・んー・・考え方の相違、なんだろうなぁ(´・ω・`)
まぁ・・そんなこんなな一日
展示室で見た明治の美術品たち
それはどれもこれも
知らないうちにため息が漏れてしまうような
過剰なまでの超絶技巧
主に輸出用に作られたこれらの工芸品
当時の輸出先の国の人々もため息をついたんだろうか?
日本人って本当に素晴らしいなぁって、改めて
こういうことで自国を誇らしく思いたいものだね(*´▽`*)
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