気管挿管による披裂軟骨脱臼、という妙なお土産がつきましたが、脳動脈瘤の血管内治療は、とりあえず問題なく終わりました。
しばらく麻酔が残っていたのでしょうか、発症以来長らく留守にしていた《自分》が戻ってきたのは、手術翌々日のことです。
私という器の中に、感覚と、思考と、感情と、行動が備わり、これ以降あらゆる物事に実感が伴うようになりました。
と同時に安静が解かれ、晴れて一般病棟へ転室となったのです。
看護師さんは言いました、
『さぁ、今日からはどんどん歩いてくださいね!』
リハビリがない分、点滴を引き連れて棟内を散策しました。
足元のふらつきは、2週間ほど寝たきりだったのと、食事をろくにとっていなかったためでしょう。
術後に痛みはなく、鼠径部に広がった内出血を見ても、『これは何だろう?』と、正直、実感がわきませんでした。
《ファモチジン》による薬疹がひろがった脚を見ても、『赤いブツブツが増えてきたなぁ』程度でピンときません。
毎夕、両親が様子を見に来てくれましたが、院内の喫茶室でアイスクリームを食べていると、そこが病院であることが不思議にさえ思えたものです。
時間や仕事に追われることもなく、また、他人に気を遣うこともなく―
昼も、夜も、
病棟は静けさに満たされ、穏やかに時間は過ぎていきました。
病衣姿も板についてきました。
入浴解禁と共に半月振りのお風呂に入り、NSで爪切りを借りたり、工作用のハサミで前髪を切ったり。
身の回りのことが気になりだしたのはこの頃です。
デイルームで他の患者さんやご家族とお話したり、窓からの景色をぼんやり眺めたり。
友達の部屋を訪ねたり、訪ねられたり。
食事も、全粥から半粥、きざみ食、そして普通食へと戻していきました。
こうして病棟での生活にも馴染んできた頃、この幸運な患者は退院の日を迎えました。
2011年1月25日のことです。
しばらく麻酔が残っていたのでしょうか、発症以来長らく留守にしていた《自分》が戻ってきたのは、手術翌々日のことです。
私という器の中に、感覚と、思考と、感情と、行動が備わり、これ以降あらゆる物事に実感が伴うようになりました。
と同時に安静が解かれ、晴れて一般病棟へ転室となったのです。
看護師さんは言いました、
『さぁ、今日からはどんどん歩いてくださいね!』
リハビリがない分、点滴を引き連れて棟内を散策しました。
足元のふらつきは、2週間ほど寝たきりだったのと、食事をろくにとっていなかったためでしょう。
術後に痛みはなく、鼠径部に広がった内出血を見ても、『これは何だろう?』と、正直、実感がわきませんでした。
《ファモチジン》による薬疹がひろがった脚を見ても、『赤いブツブツが増えてきたなぁ』程度でピンときません。
毎夕、両親が様子を見に来てくれましたが、院内の喫茶室でアイスクリームを食べていると、そこが病院であることが不思議にさえ思えたものです。
時間や仕事に追われることもなく、また、他人に気を遣うこともなく―
昼も、夜も、
病棟は静けさに満たされ、穏やかに時間は過ぎていきました。
病衣姿も板についてきました。
入浴解禁と共に半月振りのお風呂に入り、NSで爪切りを借りたり、工作用のハサミで前髪を切ったり。
身の回りのことが気になりだしたのはこの頃です。
デイルームで他の患者さんやご家族とお話したり、窓からの景色をぼんやり眺めたり。
友達の部屋を訪ねたり、訪ねられたり。
食事も、全粥から半粥、きざみ食、そして普通食へと戻していきました。
こうして病棟での生活にも馴染んできた頃、この幸運な患者は退院の日を迎えました。
2011年1月25日のことです。
同じ病を経験し、血管内治療→コンパクションという、似た境遇の方からのコメントということで、少々驚いています。
とはいえ、nanaさんに比べたら私などは遥かにのどかな状態ではありますが。
ただでさえ脳血管の治療や手術にはリスクがついてまわるというのに、
詰めたコイルが取り出せない以上、
コイルが入った状態での再手術なんて、考えただけでも滅入りますよね…。
まったく厄介な病気になったものだと、
けど、いやでもこの先もつきあっていかなくちゃならないのだと、
当事はよく、自身に言い聞かせたものです。
くよくよ悩みこむのも血圧に悪影響ですので、
どうぞどうぞ、平常心を保たれますように…
そして、今後の血管内治療のめざましい進歩に期待したいものですね☆