2.5th Album “Bedroom Orchestra”を挟んでおよそ1年半ぶり、淡いピンクを基調にした色のイメージに期待が膨らんだ3rd Album『MOA』がようやく届いた。すでにステージで聴くことができた曲も収録されている。空想の“MOA”が深遠な夜の闇を抜けると、理想郷にたどり着く。夢追い“Neat's”のイメージが溢れた作品に感じた。あえてボートラを外し繰り返して聴きたい。佐藤帆乃佳のバイオリンとトディの空間ギターの“黄昏に雨”から“よるのいろ”の流れがイイ。観に行けないのが残念だけど、バンド・ツアーで“黄昏に雨”を演るなら生バイオリンが入るといいな。
スペイン大敗を受けての、チリ×オーストラリア戦が楽しかった。スペイン代表はいつもまとまりが難しいことは周知の通りだ。B代表が優勝した92年バルセロナオリンピック。マドリードではオリンピック・ムードに沸いてなかったとか…そんな事情を抱えている。90年イタリア大会のグループ・リーグで、引き分け狙いのやる気のないゲームが目だったことが反省点となり、勝ち点を2から3へルール変更したのは正解だ。引き分けでなく点を少しでも多く獲り勝つことで、俄然この2チームにトーナメント進出の可能性が出てきた。国歌斉唱の時からチリの選手たちの表情が昂ぶっていてよかった!!我がニッポンにもこんな気持ちが宿ればいいな。がんばれニッポン!!
眠れない1ヶ月が間もなく始まる。NHKで全試合が放送で観られるまともな大会に戻った。楽しみだ。ライブで中継する民放へお願いしたい!! 選手入場から前半終了までの間にCMを入れないでもらいたい。国の威信をかけた戦いの国歌斉唱で映される昂ぶる選手たちの表情を見せてほしい。キャプテン同士がフラッグを交換し、コイントスで先行とエンドを決める場面は既に試合の駆け引きだ。83年のヨーロッパ/サウスアメリカ・カップ(トヨタカップ)の時のような“サッカー”を理解していない恥ずかしい放送は2度と繰り返してほしくない。がんばれニッポン!!
NHK“100年インタビュー”を見た。昨日の“SAYONARA国立競技場”レジェンドマッチでLEGEND BLUEの監督だった岡野さんが、スポーツ、サッカーを語る貴重な番組だった。自分が“蹴球”のファンになったきっかけは岡野さんだ。小6で洋楽にのめり込み始めた頃、イギリスのロック・ヒーロー達の多くが“サッカー”好きだった(音楽月刊誌MUSIC LIFEのアンケート欄の好きなスポーツは?の問いにアーチスト達が答えていた)ことが興味の始まり。日本では球技=野球だったからとても不思議な感じだった。当時の情報源は月刊“イレブン”と高らかなテーマ曲で始まる“ダイヤモンド・サッカー”だった。岡野さんと金子さんがホストのこの番組の影響が大きかった。海外の好ゲームを2週に分けダイジェストで解説する番組は、“サッカー”だけにとどまらず、そこから見える歴史であったり地理であったり文化だったりと様々な知識を教えてもらえるものだった。この番組を観てなかったら、日本ではマイナーだった“サッカー”のファンにはならなかったはずだ。最近行ってないが、当主でもある上野駅前の「岡埜栄泉」2階の喫茶室には、’64東京オリンピックの古い写真が何枚も飾られていた。いつまでもお元気で“青春”し続けてほしい。
(敬称略)
“SAYONARA国立競技場”イベントに行ってきた。サッカー、ラグビーのレジェンドマッチ、ブルーインパルス展示飛行、セレモニー、ピッチ開放まで約6時間の観覧だった。
国立競技場の一番の思い出といったら、マイルリレーを走ったこと。トラックから見上げた空と観客席の大きさに圧倒されたのを今でもはっきり覚えてる。無数の日の丸が翻った85年10月、メキシコW杯アジア最終予選も忘れられない。
今では考えられないが"日本サッカー後援会 "に年会費1万円で入会するとカード提示で代表の試合を観戦できた。満員だったこの試合は例外で、プロサッカーリーグができるまでは空席が目立ち、W杯予選(イタリア大会)を西が丘でやったこともあった。
イベント最後にピッチへ降りることができた。芝の柔らかさが足に伝わってくるほど手入れがされていた。インターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)が第3国日本で開かれることになった80年代(ジーコやプラティニが来た頃)の芝はホントに哀しかった。国立の毎年の日程で、大学ラグビーの大会がトヨタカップの1週間前に行われ、クラブ世界1を決めるヨーロッパ/南米の一流選手達が、荒れたでこぼこの茶色い芝でプレーすることに。
ともかく新国立競技場へ思いをつなげるイベントだった。