父の遺したカメラ“Nikomat ftn”にフィルムを通し、虎ノ門ヒルズ完成時に愛宕・虎ノ門界隈へ行った。環状道(マッカーサー道路)の話が浮上するようになった80年代頃までこの辺りは、道路計画が存在していた為に低層の建物が密集していた。路地にはスマトラカレーの美味しい小さなお店があったり、その頃まだレンタルだったNTT自動車電話(駐車場で車に取り付けてたりしてたな)、今では博物館ものの機械式計算機“タイガー計算器”なんて会社や、教会があった地域だ。2丁目交差点付近には、旧道の名残を感じる斜めにカットされたビル(1丁目のNNビル)が建っている。

(田村町の小寳稲荷さん、ダブルデッカーが置かれていたビルの交差点近く)
神谷町駅ホームも、その頃まではとても狭かった。地上に出ると、銭湯亀の湯や老舗の十三造呉服店、正田のパン屋さんなんかがあった。なぜかこの界隈にはパッキンのゴム屋さん、ラヂエーターやメーター、バンパーといった自動車部品のお店が数多くあったが、もう通りにその面影はない。愛宕周辺には、あの“永谷園”の本社があった。トンネルは姿を残すも、出口のところにあった清水の駄菓子屋さんは店じまい。通りの桜もかなり切られてしまい本数が減っている。山の両脇には高層ビルが立ち、山へ登る坂道の途中にあった会社の寮も無粋なビルに開発されてしまった。青松寺や伝叟院ですら堅牢に立て替えられてすっかり佇まいが変わってる。あの“武中シャツ”も正則向かいの坂道の途中にあった。愛宕山を登ったところには、ところてんが
美味しい風情ある小さな“深井のお茶屋さん”があったのだが… お店のお婆さんから“以前はここから海が見えたんだよ”ってよく聞かされた。愛宕神社に立ち寄りお参りしてから虎ノ門ヒルズへ。
エントランスで、“ドラえもん”と“トラのもん”が迎えてくれた。地域防災に名を借りて町の形を壊し、没個性の再開発で出来たビルは、どこも同じような造りで、いくら緑地を体裁よく造っていても味気ない。ゆっくりせず直ぐ後にし、あまりの街の変貌ぶりに寂しい思いをしながら帰路についた。フィルムが残ったので、翌週、福井にも連れて行った。で、仕上がりを見てびっくり。ビル内だった“ドラえもん”達はきれいに撮れていたが、半室外のものに光漏れが…

(永平寺)レリーズもしっくりしない感じだったので、これも修理工房へ出すことに。やはりシャッター軸が少し曲がっていたいたようだ。この先まだ数十年使えますよと無事に治って戻ってきた。
