生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

風間虹樹の絵画活動のご案内:アーティストの話を聞いてみよう!with ポートフォリオ/森ノ宮キューズモール内、まちライブラリー

2017年05月18日 13時07分44秒 | 美術/絵画
2017年5月18日-1
風間虹樹の絵画活動のご案内:アーティストの話を聞いてみよう!with ポートフォリオ/森ノ宮キューズモール内、まちライブラリー



↑:風間虹樹〈いのち祝祭〉
  大きさ=F20耳付き[耳または角または手足は、上記の写真画像には写っていません]
  いのち絵画の技法:虹(階調段階型)曜変技法、皺付け技法。


 風間虹樹は、2017年05月21日(日)、午後11:15からの催しに、美術者(アーティスト )として、作品と説明に参加します。
 ご来場いただければ幸いです。



☆☆☆☆☆☆☆

アーティストの話を聞いてみよう!with ポートフォリオ

2017年05月21日(日)
会場:森ノ宮キューズモール内、まちライブラリー 
時間: 11:15~13:00 (受付11:00~)
参加費:500円(ドリンク付)

アーティストの作品、制作への想い、こだわりなどをQ&A方式でお答えしてゆく
アーティストトークのイベントに参加出演します。
画風の異なる様々なアーティストさんのお話が聞ける、
展示会とは又違った貴重な機会になっています。
ぜひお気軽にお越しください。
会場、まちライブラリー併設カフェのピザがめちゃウマです(笑)

まちライブラリー森ノ宮キューズモール
http://machi-library.org/where/detail/563/

​お問い合わせ
06-6949-9222





 アーティストの話を聞いてみよう!with ポートフォリオ
https://www.facebook.com/events/1810049972580206/?acontext=%7B%22source%22%3A5%2C%22page_id_source%22%3A176025759123548%2C%22action_history%22%3A[%7B%22surface%22%3A%22page%22%2C%22mechanism%22%3A%22main_list%22%2C%22extra_data%22%3A%22%7B%5C%22page_id%5C%22%3A176025759123548%2C%5C%22tour_id%5C%22%3Anull%7D%22%7D]%2C%22has_source%22%3Atrue%7D

美術修行2017年5月15日(月):分析美学 文献 20170515

2017年05月16日 00時57分03秒 | 美術修行
2017年5月16日-4
美術修行2017年5月15日(月):分析美学 文献 20170515

分析美学 文献 20170515
鍵語:分析美学、分析哲学、美学、記号論、感性学、芸術、。


 分析美学の最終目標は、
  「実は芸術に本質など存在しないことを主張すること」
  (利光功 1994/12/: 8)
である。

  「パスモアは、我々が興味を抱くのは個別的な芸術作品の独自な異相についてであり、芸術作品に共通する例えば「良い」とか「美しい」といった特性はよく検証すれば存在せず、存在しないこの特性を論述する美学は訳の分からないことを述べていて全然面目くなく〔→面白くなく?〕、退屈でわびしい〔「わびしい」は、drearyの一応の訳。利光 2頁を見よ〕と言うのである。ここからして芸術批評の機能も評価することにあるのではなく、「批評というのは芸術作品の美点を〈証明する〉のではなく〈提示する〉ためのいくつかの策略だと思う」。(マクドナルド)ということになり、批評家の役割は「新しい知覚とそれに伴う新しい価値を供給する」教師のそれであり(アイゼンバーグ)、また批評家の仕事は対象の美的品質をメタファーを使って記述することだから、その記述は主観的印象となる(ハンプシャー)と言うことになる。〔略〕
純粋な言語分析に徹しているライルの論考を別にしていずれもが反本質主義の主張を展開し、批評の評価機能を否定しているところに分析美学の最も顕著な特徴を見ることができよう。」
(利光功 1994/12: 8頁)。


◇ 分析美学 文献 20170515 ◇

[き]
金悠美.2004/2/25.美学と現代芸術の距離 アメリカにおけるその乖離と接近をめぐって.183+XXVIII pp.東信堂.

[く]
グッドマン,ネルソン.芸術の言語.[1]+ii+[5]+324+13pp.[本体4,600円+税][B20170321、4,968円][Goodman, Nelson. 1976]

[す]
ステッカー,ロバート[Robert Stecker].2010(森功次 訳 2013/5/15).分析美学入門.500頁.勁草書房.[5,985円][B20130602][Rh20130818]

[と]
利光功.1994/12/31.美学はわびしいか——分析美学の射程と限界——.美學 45(3): 1-11.

利光功.200?.『』: 頁.

[に]
西村清和(編・監訳).2015/8/30.分析美学基本論文集.433+xii pp.勁草書房.[本体4,800円+税][B20151105、5,184円]


[G]
Goodman, Nelson. 1976. Languages of Art: An Approach to a Theory of Symbols. [Second edition] xiii+277pp. [B20170327, 1800+257=2057yen*amz]



=== 論文類

伊藤佐紀.2010/12/24.選言的定義としての芸術クラスター理論の妥当性について.北海道大学大学院文学研究科研究論集 (10): 35-48.[http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/44597[受信:2015年11月13日。]

福田達夫.1991/9/30.[新刊・論文紹介]リチャード・シャスターマン編, 『分析美学』, Richard Shusterman (ed.), Analytic Aesthetics, Oxford, Basil Blackwell, 1989, 198p..美學 42(2): 76.
[「収録論文は以下の通り。
1.「序論。分析美学を分析する」(R. Shusterman),
2,「美学の諸方法」(J.0. Urmson),
3.「分析とロマン主義以後の藝術哲学」(N. Worterstorff),
4.「人間としての文体。美学から思弁哲学へ」(Ch. Altieri),
5.「分析哲学と音楽の意味」(R. Scruton),
6.「Donald Davidson を読む。真理と意味と正しい解釈」(Chr. Norris),
7.「美と真理 観念の神格化」 (A. Savile),
8.「純美的なものの歴史的発生」 (P. Bourdieu),
9.「分析美学の失墜と恢復」(J・Margolis),
10.「主題を変える」(C. Z. Elgin&NGoodman)。
 ‘分析美学’は,今世紀半ば以来,英米の美学研究者には馴染みの用語である。が,それが何を指すのか,いかに特徴づけられるのか,厳密には誰が分析美学者であるのか,その著作のどれが分析美学であるのか,ということに一致した見解があるとはいえないだろう。
 この種の研究法は,遡れば G,E Moore, B. Russell, L Wittgenstein に至るだろうが,直接の先駆で彫響の大きいものとして編者が挙げるのは W. Elton編の『美学と言語』 (Aesthetics and Language, Basil Blackwell, 1954)である。」(福田達夫 1991/9: 76頁)。【誤植は直した、20170515。】

田邉健太郎.2012.ジュリアン・ドッドの音楽作品の存在論を再検討する——聴取可能性の問題を中心に——.Core Ethics 8: 267-278.[引用識別子=http://r-cube.ritsumei.ac.jp/handle/10367/3541][http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/3541/1/ce8_tanabe.pdf[受信:2015年11月13日。]

田邉健太郎.2013.美的実在論の現代的論点に関する一考察 : ニック・ザングウィルの議論に焦点を当てて.Core ethics 9: 141-150.[引用識別子=http://hdl.handle.net/10367/4475][http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/4475/1/ce9_tanabe.pdf[受信:2015年11月13日。]

美術修行2017年3月28日(火):衰えぬ情熱、走る筆 ピエール・アレシンスキー展/国立国際美術館、 箱展/編 & かのこ

2017年05月16日 00時50分02秒 | 美術修行
2017年5月16日-3
美術修行2017年3月28日(火):衰えぬ情熱、走る筆 ピエール・アレシンスキー展/国立国際美術館/肥後橋駅、箱展/編 & かのこ/日本橋駅


 美術修行2017年3月28日(火):衰えぬ情熱、走る筆 ピエール・アレシンスキー展/国立国際美術館/900円(クラーナハ展とで、1400円だったかな?)。
 いいな、と感じた作品は無かった。
 けれども、図録を買った。



 クラーナハ展も見た。
 『ヴィーナス』 1532年は、画面が予想外に小さかった。












 箱展/編 & かのこ/日本橋駅/入場無料。


 担当者がおらず、撮影の了承を得られず。

美術修行2017年3月29日(水):浜寺公園、風間虹樹の光絵画2017年3月29日/浜寺公園

2017年05月16日 00時30分14秒 | 美術修行
2017年5月16日-2
美術修行2017年3月29日(水):浜寺公園、風間虹樹の光絵画2017年3月29日/浜寺公園







 浜寺公園にて。大昔は浜寺海水浴場があって、泳げたのだが。
 1960年代には、和歌山まで行って泳いだが、海辺には重油の球が浮いていた。
 今は工業地帯だ。




























 風間虹樹の光絵画2017年3月29日/浜寺公園






美術修行2017年3月30日(木)-1:田中昇・西村正徳「風景のレゾナンス」/アートコートギャラリー付近の散歩道、村上三郎 中里斉/アートコートギャラリー

2017年05月16日 00時20分57秒 | 美術修行
2017年5月16日-1
美術修行2017年3月30日(木)-1:田中昇・西村正徳「風景のレゾナンス」/アートコートギャラリー付近の散歩道、村上三郎 中里斉/アートコートギャラリー

 OAP彫刻の小径2016-2018 田中昇・西村正徳「風景のレゾナンス」/アートコートギャラリー付近の散歩道/桜ノ宮駅または大阪天満宮駅または南森町駅/入場無料。
















 村上三郎 中里 斉/アートコートギャラリー/桜ノ宮駅または大阪天満宮駅または南森町駅/入場無料。

 村上三郎の本を買った。

美術修行2017年5月7日(日):ぼんくら会 〈お金〉/スペース御蔵跡、自動絵画 展/スペース御蔵跡

2017年05月14日 22時23分00秒 | 美術修行
2017年4月14日-3
美術修行2017年5月7日(日):ぼんくら会 〈お金〉/スペース御蔵跡、自動絵画/スペース御蔵跡



 ぼんくら会/スペース御蔵跡に参加した。
 お題は、お金、です。
 風間虹樹は、下記の書類を配布し、お金の絵画演為をしました。







 自動絵画 展/スペース御蔵跡が開催中。







美術修行2017年5月12日(金)-2:堀尾貞治 & Yu-Whuan 意識と無意識/Space 31/阪神御影駅

2017年05月13日 13時04分56秒 | 美術修行
2017年5月13日-2
美術修行2017年5月12日(金)-2:堀尾貞治 & Yu-Whuan 意識と無意識/Space 31/阪神御影駅

 美術修行2017年5月12日(金)-2:堀尾貞治 & Yu-Whuan 意識と無意識/Space 31/阪神御影駅/入場無料。
 [画像掲載は画廊の了承済み。]
































































 ↑:壁面はぎっしりと埋まっています。[ビフォー]

 ↓:展示場で、美術パフォーマンス(絵画的演為)が行なわれた。




 ↑:貼り替え移動作業中。

 ↓:貼り替え移動後。[アフター]
   X字状に抜き取られた絵画的余白。無いこと、または欠落、によって〈X〉が存在している。
   それは、錯覚?。地と文の反転。
















 
 ↓:集団的美術パフォーマンス〔演為〕
 堀尾貞治さんは、三階から水を道路上の二箇所に落とす。
 みなさんは、配られたちびこい白チョークで水濡れ部分を輪郭的に形どった。










 水は、なぜだか、蒸発したようです。
 水の一部は、越境してますね。

 

美術修行2017年5月12日(金)-1:黒瀬剋 展 CONTINUOUS PAINTING/ギャラリー開

2017年05月13日 12時51分36秒 | 美術修行
2017年5月13日-1
美術修行2017年5月12日(金)-1:黒瀬剋 展 CONTINUOUS PAINTING/ギャラリー開/元町駅

 美術修行2017年5月12日(金)-1:黒瀬剋 展 CONTINUOUS PAINTING/ギャラリー開/神戸元町駅/入場無料。

 




















 三列で、分岐し、途切れ、分岐し、両方向からの段階的変転絵画が融合または合体する。
 

☆☆☆☆☆☆☆☆

 美術修行2015年10月24日(土) 黒瀬剋 展/Gallery AMI-KANOKO
http://blog.goo.ne.jp/1trinity7/e/9d48b2d57f42a1cd64bbb636b1635a4a

 「↑:ジグソーバズル片(発泡スチロール製)から成る、五点の作品(いずれも題名無し)を、パノラマ撮影した。」で、訂正。
  発泡スチロール製→重ねた厚紙

美術修行2017年5月11日(木):二人展『 屋根をふく roof 』あまのしげ AMANO Shige・親谷茂 OYATANI Shigeru/+1 art/谷町六丁目

2017年05月12日 00時38分45秒 | 美術修行
2017年5月12日-1
美術修行2017年5月11日(木):二人展『 屋根をふく roof 』あまのしげ AMANO Shige・親谷茂 OYATANI Shigeru/+1 art/谷町六丁目


 美術修行2017年5月11日(木):二人展『 屋根をふく roof 』あまのしげ AMANO Shige・親谷茂 OYATANI Shigeru/+1 art/谷町六丁目/入場無料。
 [写真画像の掲載は、作者(あまのしげ 氏)または画廊主の了承済み。]











































 ブーメランは120度に開いているとのこと。


風間虹樹の絵画作品展示のご案内/第22回 アートムーブコンクール/江之子島文化芸術創造センター 4F

2017年05月10日 23時02分18秒 | 美術修行
2017年5月10日-4
風間虹樹の絵画作品展示のご案内/第22回 アートムーブコンクール/江之子島文化芸術創造センター 4F

 2017年5月9日から14日まで、風間虹樹の絵画作品が1点、第22回 アートムーブコンクールで展示されております。
 ご楽覧いただければ幸いです。






 —— 記 ——

  第22回 アートムーブコンクール

  会期:2017年5月9日(火)〜14日(日)
  時間:11:00〜19:00 ただし、最終日は15:00まで。
  会場:大阪府立江之子島文化芸術創造センター 4F ルーム1
     大阪市西区江之子島2丁目1-34






美術修行2017年5月10日(水)[画面観覧]:半谷 学〈風の龍:登龍門〉/中之条ビエンナーレ2015

2017年05月10日 10時56分17秒 | 美術修行
2017年5月10日-1
美術修行2017年5月10日(水)[画面観覧]:半谷 学〈風の龍:登龍門〉/中之条ビエンナーレ2015

 この項は、実物拝見ではなく、紙媒体と液晶媒体による美術体験です。

 中之条ビエンナーレ2017のちらしの裏頁にある、参加アーティスト〔→美術者〕の名前のなかに、「半谷 学」が眼についた。その上には、けぶる山森を背景に、ロープウェイのように、羽根が連なっている。いい感じ。誰の作品だろう?。

 「半谷 学」で検索すると、半谷学氏が中之条ビエンナーレ2015で出品したもののようだ。家頁の玄関頁
http://www.hangais.com/art.htm
[受信:2017年5月10日。]
には、ちらしとは異なる角度からのけぶり景色の写真画像が掲載されている。
 また、晴れの日の写真画像
も掲載されている。

http://www.hangais.com/art_web/f/set.htm
[受信:2017年5月10日。]
「風の龍:登龍門 3.0(w)×1.0(h)×300.0(d) M 繊維廃材・鉄・竹・ワイヤーロープ *風による可動式 2015年
中之条ビエンナーレ2015 2015年9月12日(土)~10月12日(月) 道の駅・霊山たけやま 中之条町 群馬県」
とのこと。
 サムネール画像をクリックすると、独立した窓が現われ、nextをクリックすることで、合計9枚の写真画像を見ることができる。

 かつて美術館内や屋外の地上、池上、建物屋上に設置した場合の同様の葉っぱまたは羽根形状の実物を見たことがあるが、空中に設置すると、大きく見えが異なる。もちろん、設置の空間規模が大きく異なる点が大きいのだろう。また、想像するに、現地での環境下では、気分の良いことだろう。



美術修行 読書録20170506 レナード コーレン 2014/6 わびさびを読み解く

2017年05月07日 01時24分05秒 | 美術修行
2017年5月7日-1
美術修行 読書録20170506 レナード コーレン 2014/6 わびさびを読み解く

コーレン,レナード.1994, 2008(内藤ゆき子 訳 2014/6/30).わびさびを読み解く.108pp.ビー・エヌ・エヌ新社.[本体2,000円+税][Koren, Leonard. Wabi-Sabi for Artists, Designers, Poets & Philosophers][Rh20170506][大市中図701.1]

 ★ →「読み解く」と題している。感じ解く、感性で解くということはないのか?。もっとも、英文原題には、「読み解く」は無い。原書本文に、そのような語が出てくるのだろうか?。

 「わびさびは、生命【いのち、とルビ】のはかなさの美的鑑賞である。夏、青々と茂つていた木々が、今、冬空の下で枯れた枝を見せている。豪奢な邸宅の跡に残るものは、ただ雑草と苔が覆う崩れ落ちた土台だけである。わびさびのイメージは、私たち自身の生命に限りがあることを直視させ、存在することの孤独と静かな悲哀を感じさせる。私たちはまた、すべての存在が同じ運命を分かち合っていることを知っているがゆえに、ほろ苦さの入り交じっ
た安堵の気持ちをも抱くのである。」
(レナード コーエン 2014/6、14頁)。

 無常観または無常的感性との関係性は?。

 「利休は、わびさびの雰囲気を伝えるとして、古くから愛称される藤原定家の和歌を挙げている。

  見渡せば花も
  もみぢもなかりけり
  浦のとまやの
  秋の夕暮

(レナード コーエン 2014/6、54-55頁)。

 佐々木健一(2010/9)『日本的感性』は、和歌を調べて日本的感性を探っている。しかし著者自身が述べているように、明確な結論には至っていない。主張したい仮説とその根拠立てというふうには書かれていない。


 ★ わびさびとノスタルジアとの関係性は?。

 「わびさびとは、〔略〕出会うものすべてに感応しながらこの地球の上を軽やかに歩いていくことである。「物質的貧しさ、心の豊かさ」は、わびさびの決まり文句である。言い換えれば、わびさび、成功——富、社会的地位、権力、贅沢——に対する執着を手放して、肩肘張らない生き方を楽しむようにと私たちに語りかける。
 質素なわびさび生活を送るには、ある程度の努力と意志と、ときに厳しい決断が必要である。」
(レナード コーエン 2014/6、59頁)。

 ★ 鍵となる概念。
  ・日常性と非日常性。
  ・物質に囲われた、物的資源を利用する生活と、精神的営み。

 ★ 気づきの美学?。
  →弥勒(マイトレーヤ)やジッドゥ クリシュナムルティの教え(良い訳があまり無いらしい)。

 わびさびと簡潔性 simplicity?、simpleness?。

 「わびさびのシンプルさを言い表すならば、誠実で謙虚で心温かな知性が到達する幽玄の境地とするのがもっともふさわしい。この知性がとる戦略は手立ての削減である。本質を残して削減するが、詩は排除しない。」
(レナード コーエン 2014/6、72頁)。

 ?。知性だって?。感性または情緒ではないのか?。

 「大抵の場合、これは、用いる素材が限定されていることを暗に示している。それはまた、人目を引く特徴を最小限にまで抑えることを意味している。しかし、複数の構成要素をひとつの意味あるものにまとめ上げている目に見えない細胞組織を取り除くことを意味するものではない。それがまた何かの「興趣」、つまりそれを何度も何度も繰り返し眺めずにはいられない気持ちに私たちをさせる「特質」を減らすことを意味するものでもない。」
(レナード コーエン 2014/6、72頁)。

 「デジタル形式では、わびさびが必要とする無限大の繊細さに応えることができない。」
(レナード コーエン 2014/6、78頁)。

 ★ →ヒトの視覚の空間解像度も時間解像度も有限である。たとえば一秒当たりに30駒の静止画面を人が見れば、それは連続し運動しているように見える。また、電光板ニュースは、各発光点が点滅しているだけだが、あたかも「ニュース」という字が移動しているように見てしまう。
 わびさびが必要とするかもしれない繊細さは、有限であろう。
 液晶テレビはピクセル単位で映像を提供している。つまり離散的またはデジタルである。映画やドラマはデジタルの動画だが、連続して見える。そもそも、ヒトの視覚能力東京は関係なく、この覚醒世界は、量子的に運動しているかもしれない。

 中期モダニズムと比較して、わびさびの特徴を列記している。あまり説得性が無い。
 文中に出てくる「空」とか「無」とはどんなものなのか定義または説明が無い。そのため、この人の立論がわからない。
 ファンキーな[funkyの主な意味は、「おじけづいた、おびえている、憂うつな、落ち込んだ、臆病な」とか、また「一風かわった、いかす、いやなにおいのする、悪臭のする」(http://ejje.weblio.jp/content/funky)とかだが、ここでは〈憂うつな〉であろうか?]わびさびの一例の写真が6頁に掲載されている。目立つのは、頭付き釘であろう丸い形状のもの10個(の分布)である。註の部分の92頁には、京都で最も古い旅館の「美的信条は、主人の話によれば2つのゆるぎないわびさびに似た原則に要約」されて、
  ・〈い〉: 部屋の中ではいかなる物も目立たせるな
  ・〈ろ〉: 古いというだけで尊ぶな
とある。頭付き釘は白黒写真の紙印刷では目立つが、〈い〉の美的信条とはどういう関係または適用の仕方になるのか?。
 同じ写真には(わたしには)次いで目立つ流木が写っている。流木は生きているときの木のときよりは古いし、色形からも古く見えるが、〈ろ〉の美的信条との関係はどうなるのだろうか?。


□ 文献

佐々木健一.2010/9/**.日本的感性 触覚とずらしの構造.中央公論新社[中公新書].302pp.[903円][B201*/*、][Rh2015?*]