中国共産党政権の極悪非道
永井津記夫(NAGAI Tsugio)
(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)
現在、中国の武漢から発生した肺炎ウィルス、「武漢ウィルス(Wuhan virus)」が世界に蔓延し、ヨーロッパも米国も主要な都市での封鎖が行なわれ市民が外出できないような状態になっている。このウィルスを「中国ウィルス(Chinese virus)」と呼ぶ者もいるし、「中共ウィルス(the Chinese Communist Party virus)」と呼ぶ人もいる。今、世界は武漢ウィルスにより多数の人命が失われつつあり、各国の経済は大打撃を受けており、世界恐慌に突入すると言う人もおり、この責任は武漢での発生を隠蔽しようとした中国共産党(=中共)政権にあることは言うまでもない。
私は前のブログ『二人の狡猾な反日指導者』で中国共産党の建国(1949年)からの悪行非道に言及した。日本では高く評価する人もいる中国共産党(中共)政権は闇に包まれ隠蔽されていた事実が明らかになればいかに残虐非道の政権であり人間として赦されざる組織であるかが浮かび上がってくる。日本は“日中議員連盟”に所属する政治家、経済界を中心にこの非道の中共政権に取り込まれており、その非道の体制を側面援助するかたちになってしまっている。マスコミは日本国民の利益(安全・名誉・幸福)を損なう報道を平気でする“反民マスコミ”に堕し、中国をはじめとする日本周辺国の悪行無法非道は報じることができない。
中国共産党の残虐非道はカンボジアのポルポト政権下(カンボジア共産党(クメールルージュ)政権下)で起こった国民の大虐殺を見ればよく分かると言って間違いではない。ポルポト政権下ではあらゆる階層が虐殺された。1975年から1979年の治世で、800万人の人口の2割、160万人かそれをもう少し上回る数が虐殺されたとされている。ポルポトは政権をとる10年ほど前に中国と北朝鮮を訪問した。北京には数ヶ月滞在し鄧小平らに会っている。カンボジアに帰国後、カンボジア労働者党をカンボジア共産党と変更し“毛沢東思想”の実践者に変貌した。
毛沢東を頂点とする中国共産党は「人民の物は針一本さえも奪わない」と言いながら、地方の地主や金持ちの商人など(普通の農民も含めて)に対し、適当な理由を付け、人民裁判という方法で公開処刑を重ね、住民に“逆らえば殺される”という恐怖心を植え付けながら人民支配を確立していった(注1)。殺害した人たち(小金持ち、大金持ち)から奪った金銀宝石などは共産党が没収したが、実際は共産党幹部の所有となったと考えられる(注2)。大躍進政策(1958~1961)の餓死者の見殺しも含めれば、虐殺した人民の数は数千万人に達すると見られている。この人民の中の気に食わない人々を殺害し人民に恐怖を植え付けつつ支配する手法を踏襲したのがカンボジアのポルポト政権である。
ポルポトは原始農耕社会を目指し都市部の医師や教師や技術者などの高学歴のエリートたちは全て殺害した。中国共産党が殺害した人民の数には及ばないが(中国の総人口は巨大なので)、比率で言えば、中国を上回り、20%を超える人民を虐殺した。キリング・フィールドの慰霊塔に収容されている多数の頭蓋骨は当時の惨劇を物語っている。
(カンボジアのキリングフィールド[虐殺場]の慰霊塔内の頭蓋骨群)
ここで私が言わんとしていることは、ポルポト政権(=ポルポト軍)が行なったことと同じか、それ以上の残酷な殺害を重ねてきたのが中国共産党だ、ということである。つまり、私たち日本人がポルポトの虐殺した人々のドクロ群を見たときに感じた言葉にできないような衝撃を与える残虐非道を中国共産党は自国民と周囲の民族に行なってきたのだ。その極悪非道は、日本ではほとんど知られておらず、中国人でも百歳前後の人でないと見聞していないので、今はそれを語ることのできる人はこの世にはほとんどいないと考えられる。ただし、1966年から始まった文化大革命の尖兵となっていた紅衛兵は当時二十歳前後くらいなので証言できるものは多数いる。“反革命分子”とレッテルを貼った人々を殺害したあと、その内臓を切り取って食べた話が米国に逃げ延びた元紅衛兵によって記録され米国の公文書館などに保存されている (紅衛兵は統制不可能の組織として文革の始まった1966年の翌年1967年には共産党によって排除・粛清されるようになり、特に広西チワン族自治区に結集していた紅衛兵は共産党軍[人民解放軍]によって大多数が殺害され、当時、無数の遺体が香港の川に流れてきたと言われている。生き残った一部の紅衛兵は米国等に逃げ延びた)。(1989年の天安門事件では抗議する多数の大学生を戦車が轢き殺した。これは当時中国駐在の欧米のメディアがある程度とらえて報道したが、犠牲者数は最大で1万人とされている。これは赦されざる非道であるが、建国から文化大革命までの中国共産党の行なった残虐非道と比較すれば小規模であり、それまでの悪逆非道がどれほどのものかということである。)
文化大革命時に中国南部・広西チワン族自治区において、革命の先兵となっていた紅衛兵等が反革命のレッテルを住民(地主や高学歴者が多数)につけ、(推定で15万人を)虐殺し、あまつさえ、何人かの遺体を解体し臓器を食べたことが当時の関係者によって明らかにされている。また、虐殺した家の女性を強姦し殺した場合も多かった。虐殺と食人と強姦の歴史を明らかにされると、中国は“日本軍の蛮行”を捏造しても追いつかないだろう。中国共産党が執拗に日本軍の虐殺非道を叫ぶのは自分が行なってきた住民に対する虐殺・強姦の非道の歴史を日本軍とすりかえようとしているのだろう。
中国共産党(中共)は自国の監視カメラシステムに“天網”というような私に言わせれば厚顔無恥・傲岸不遜な命名をしている。“天網恢恢疎にして漏らさず”で中共の蛮行非道は「天が見逃さず天罰を与える」時が近づいている。中共は当時の体制を批判することなく権力を保持・継続しているわけで、当時の“虐殺・蛮行”は“コンクリートづけ”にしてでも隠蔽したいのであろうが、各所にひび割れが起き崩壊が始まっている。日本軍の“南京虐殺”を捏造して自己の悪逆非道を隠蔽することは不可能だ。
元日本共産党議長で最晩年に除名された野坂参三などは中国共産党と行動を共にしていたのでその悪行非道はよく知っていたにちがいない。
先に述べた中国共産党が殺害した人民の数であるが、国民党軍と中国共産党軍(人民解放軍)の戦いにおいても住民の犠牲などかまわず、むしろ住民を楯として戦う中国人の軍隊であるから、おそらく兵士とともに大きな住民の被害があったものと推定されるが、これはよくわからない。1945年8月に日本が連合軍に降伏し日本軍が日本に引き揚げたあと、中国の統治をめぐって米国の懸命の調停工作にもかかわらず、1945年10月から戦闘状態に入り、翌年の6月から本格的な戦争となり、1949年の1月には中国共産党軍は北京を制圧し、同年4月に国民党軍の拠点であった南京の攻略に成功した。この時、南京の富裕層、商人や地主たちが中国共産党軍によって多数虐殺され、所持していた財産、土地家屋、金銀宝石類は没収された。南京の攻略を指揮したのが鄧小平であり、彼は毛沢東・周恩来が断行した日本との国交回復を完遂し膨大な経済援助を日本から引き出した。が、鄧小平は同時に南京大虐殺記念館を1985年に建設し“日本軍の大虐殺”を宣伝し反日教育を開始した。鄧小平を親日派と考える愚かな日本人もいるがとんでもない悪党だ。虐殺記念館に展示されている白骨遺体群は、1949年に鄧小平が共産軍を指揮し、すでにほぼ全ての国民党軍が逃げ出したあとに残された南京の市民の3人に1人を殺害し暴行強姦殺害してできた市民の虐殺死体が白骨化したものである可能性が高いと私は考えている。
中国共産党とその軍隊、中国共産党軍(=人民解放軍)は残虐非道の組織であり、人民の虐殺を繰り返しており、それを自己批判することなく今もその組織を継承しているのである。この世の地獄を見せることで人民に恐怖心を植え付け支配を継続してきたのが中国共産党政権だ。その極悪非道のDNAは今も確実に中国共産党の幹部連中に受け継がれている。昨年6月から始まった香港デモにおいても本来なら全員を戦車で踏みつぶすか(1989年の天安門事件のように)、機銃掃射で撃ち殺したかったのであろうが、米国をはじめとする世界の目が“天網”のごとくインターネットなどを介して注がれており、“大虐殺”は起きなかった。
が、この中国共産党は宣伝工作活動、他国の政治家やメディア(マスコミ)の籠絡に非常に巧みであり(金やハニートラップなどとそれに基づく脅し)、日中議員連盟の幹部連中などは中共の罠にはまっている可能性が高い。マスコミ(ジャーナリスト)や評論家の連中も同じく中共の罠にはまり、身動きが取れなくなっている連中もいるようだ。それに加えて日本国民が注意すべきは官僚である。外務官僚は外交にからんで、文部科学省の官僚は教科書の歴史記述にからんで中国の工作を受けているものもいるようだ。中共は利害にからんであらゆる省の官僚に手を伸ばしている可能性がある。
悪逆非道の中国共産党政権は滅び去る運命にある。それを下手に助けようとする組織、人間は共に滅び去る運命にあると言ってよい。中共政権の本格的崩壊は2031年の辛亥年の数年前、つまり、2026年ころに始まると私は前のブログ『中国はいつ国家崩壊するか』で予言した。遅くとも、2031年には終結しているはずである。昨年の香港デモ、その後に続くコロナ危機は中国共産党政権崩壊への序曲である。 (2020年4月18日記)
(注1) 参照:YouTube 九評共産党 【第七評】中国共産党の殺人の歴史 | 土地改革 | 新唐人|大紀元社説| 文化大革命| 天安門事件) ※ 中国人民はストックホルム症候群にかかっていると言う人が中国共産党の迫害から逃れた中国系の人々の中にいる。ストックホルム症候群とは“誘拐事件や監禁事件などの被害者が、犯人と長い時間を共にすることにより、犯人に過度の連帯感や好意的な感情を抱く現象”のことである。 私もその通りであると考えている。共産党政権を擁護する中国人の言葉を額面通りに受け取る必要はない。中国共産党は歴史的に恐ろしいゆるされざる殺人組織だ。同様に北朝鮮人民もストックホルム症候群の中にいる(※の部分は2020年6月23日追記)。
(注2) これを共産党幹部の連中は自由市場の香港を通じて換金していた。2013年、鄧小平の息子、娘が10兆円を持って海外に逃亡したとのニュースが流れたが、この金は鄧小平が最高指導者になっていたころにワイロで得た金だけではなく、建国過程で富裕層から奪った金銀宝石を香港を通じて換金した金も何割かは含まれていたと思われる。*ある男(昭和40年前後に中国にいたと自称する男)の言によると、中国共産党の幹部が婦人同伴で開く宴会(パーティー)では婦人連中は普段は地味な人民服姿なのに豪華なチャイナドレスに金銀宝石(ダイヤ、翡翠、ルビー)などのネックレスやブレスレットをつけて登場していたそうである。これも(この男の言が真実なら)人民裁判で処刑した地主や商人から没収したものであったと思われる。