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歴史文献気象学

2022-07-26 09:40:52 | 時事問題

 

歴史文献気象学

永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 

 堆積物や化石・岩石等の資料、氷河、南極の万年雪の下の氷(氷柱)、木の年輪などの資料を分析することによって、20億年前の地球の温度や、7億年ほど前の地球全凍結の時代や、歴史時代に入っての温暖期や寒冷期の状態が把握できるようになってきた。この堆積物や氷柱などの分析によって過去の気候(変動)を推定する学問を“古気候学”という。ほぼ同じ意味で“歴史気候学”という言葉もある。

 この古気候学は地球に残されている物質(堆積物、氷、木)などから古代の気候の推定を行なうのであるが、これに対して、人間の書き残した資料、つまり、文献から古代(歴史時代)の気象を推定する学問を「歴史文献気象学」と私は名付けたい。“気象”という言葉を使うのは、

*戦国時代の1563年5月の8日間の断続的豪雨で大和川が氾濫し河内国の大半が浸水する大洪水が起こり、1万6千余名が死亡。

といような文献資料にある事柄に対して、この時の8日間の“総雨量”はどのくらいか(どの程度の地域が浸水したのか)を推測する学問であり、比較的短期間の気象現象を探る学問であるからだ。

 河内国の住民の度重なる陳情を受け(当時大阪は幕府の直轄地、つまり、天領であった)、江戸幕府は氾濫を繰り返す大和川の瀬替えを工事を決定し、1703年に大和川の運ぶ水を現在の柏原市付近から堺市に流す工事にとりかかり、3年の工事期間の予定であったが総延長14キロメートル、幅180メートルの川を7万1千5百両(現在の貨幣価値で約143億円)の工事費で8ヶ月かけて完成した。このあと、大阪府内の大和川流域では現在(2022年7月)に至るまで洪水は発生していない。大和川は大阪府北部を流れる淀川と並んで国が管理する1級河川となっている。

 徳川家康は豊臣秀吉によって三河から関東に国替えさせられた時、未開発の湿地帯であった関東平野を利根川を制することによって、広大な田畑に変えてのちの江戸幕府(徳川幕府)の基礎を築いた。側近に優秀な治水(学)に長けた者がおり、その伝承された知識も活かして大阪の大和川の流れの変更工事(瀬替え)が行なわれたと考えられる。

 大阪では1703年の大和川の治水工事のあと、洪水による大規模な被害は発生していない。が、近年の九州や、広島などの洪水や土石流災害の頻発はいったい異常気象による仕方のない被害なのか、それとも昨年(2021年)7月の静岡県の死者26名を出した土石流災害のように、違法な工事等に伴う人災なのか。

 “歴史文献気象学”は過去の文献から大雨の雨量や地震・津波の規模等を推定をし、今後の治水、地震津波の対策等の構築に貢献する学問となる。平安時代の貞観11年(869年)に現在の東北地方に2011年の東日本大震災に匹敵する“貞観地震”が起こった。マグニチュードは8.3以上と推定されているが、正確には分からない(*注1)。この地震は日本国の歴史書(国史)の『日本三代実録』に記述されている。この貞観地震の前後にいくつかの地震や火山噴火が発生した。

 この貞観地震とそれに伴う大津波を地層などから研究し、どのあたりまで津波が来たか、地震の規模がどの程度だったのか、また、それ以前の地震・大津波の痕跡を地層から研究している学者がいる。歴史書に記載された貞観地震の年代に基づいて、それよりも前の大地震・津波の発生年代を推定できるのである。

 日本の文献に地震の記録が最初に載せられたのは允恭天皇の時代である。允恭帝は万葉集の冒頭歌「こもよ、みこもち~」で有名な雄略天皇の父帝である。

 允恭帝の治世は、雄略帝の即位年を471年とする私の説と“安本年代論”も考慮しつつ、比較的に長い治世であったと考えられることも勘案して算出すると441年~468年となり、その5年は445年(ころ)になる。湖底などの堆積物によってできた縞模様を分析する年縞などの年代測定法によって(私の推定した)この445年の地震の痕跡は発見できないものであろうか。そして、その規模を推定することはできないものか。

 “歴史文献気象学”は過去の文献から台風とそれに伴う洪水等の規模をも推定をし、現在の私たちの生活に活かす学問となる。

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 現在、NHKなどは気象庁の発表に基づき、“観測史上最大”の雨量などと、嘘に近いニュース(Legally Not Incorrect but Practically Fake Information)を流している。ここ30年ほどのアメダス記録をもとにした“観測史上最大”である。「観測史上最大」というような言葉を使いたいなら、戦後の雨量記録や、東京気象台が初めて天気図を作製した1883年(明治16年)からの観測や記録を含めるべきで、その記録が分からないなら「観測史上最大」という言葉を用いるべきではない。「ここ30年間の観測記録によると」というように正確に情報伝達するようにすると、気象庁が戦後の雨量記録さえ資料として用いることさえしていない、つまり、さぼっていること(?)が明らかになるのかもしれない。

 電子化することができないのなら、別に資料として有効利用する方法もあると考えられるのにそれをしないのはなぜか。気象庁はサボりと無能の集まりか? それとも地方自治体等の“怠慢”治水対策を覆い隠すのに協力するために“観測史上最大”を連発するのか。

 私は「歴史文献気象学」を発展させ、文献資料から得られる過去の災害記録を数値化して、「“日本歴史上最大”の雨量と推定される」というような事が言えるようにもっていって欲しいのである。日本は歴史も長く、文献も豊富である(貴族の日記や寺社などの記録がいくつかある。日本書紀を含めれば1300年前の資料がある。歴史の浅い米国等ではこうは行かないし、歴史が長くても革命によって前政権が完全否定され、歴史資料等が散逸し日本にしか文献が残っていないものが多数ある中国でもこうは行かない)

 「観測史上最大の雨量」というような嘘か嘘に近い情報を出し続けるのではなく、気象庁は“歴史文献気象学”の予算をとり、意欲のある大学等と連携して新たな学問の構築に貢献したらどうか。

  中国は一昨年、昨年と記録的な豪雨に見舞われた。2021年8月、鄭州に雨が降り続き、ダムを守るために故意にダムの一部を壊して大洪水を起こし多数の死者を出したが、この時、当局は100年に一度の豪雨から1000年に一度の豪雨というような言葉遣いをして、ダムが洪水を防げないことを想定を上回る“自然の猛威”のせいにし、人々に「そのような大雨なら仕方がない」と思わせようとしていた。日本はこの非道の中国共産党のやり方を真似すべきではない(いや、中共が日本の気象庁の真似をしたのかもしれない)

  国土交通省は気象庁を管轄する機関であり、国民の生命財産を守らなければならない。そのためにも昔の記録を含まない、せいぜいここ40年程度の観測記録だけを用いて「観測史上最大」というような嘘(fake)に近い情報を気象庁が流すのを止めさせる必要がある。法的には問題がなくとも実質的には嘘の情報を流すことは大問題だ。法的には問題がない(legally not incorrect)情報を政治家や政府機関やマスコミが流し、国民を誤った方向に導くならそれは大問題だ(*注2)。不誠実で実害をもたらす情報は出させないようにする必要がある。

 明治時代などの記録と現在のアメダスの記録は比較すべきもので極めて有用であると考える。“記録的”というのなら、日本は5世紀くらいから確実な文献の記録が出てくるのだ(「稲荷山鉄刀銘文」)。7世紀の前半には『日本書紀』が完成した。この国撰史書には、先に述べた允恭天皇5年のところに「五年秋七月丙子朔己丑、地震」とあり、史書に初めて「地震」の記述が出てくる。

 天文学の記録としては藤原定家が『明月記』に過去の超新星の爆発(1054年、かに星雲がその残骸)を記述しており、その記録をもとに「かに星雲が超新星爆発の残骸である」ことが証明された。つまり、日本の平安時代の陰陽師・天文博士が実際に観測した記録、鎌倉時代の貴族等の日記などの“記録”から天文学の新発見が生まれたのだ。これは「歴史文献天文学」とでも呼ぶべき学問の領域になる。

 また、長雨や洪水、台風の記述などの記録にもとづいて過去の被害の状況や現代との比較もできる。天文学だけではなく、気象学においてもアメダスのような短期間の記録を基にするのではなくもっと広く、過去の文献による「歴史文献気象学」を構築し、より安全に国民が生活していけるように政府、気象庁、NHKなどは(無駄に予算を使わず人々の生活に役立つものに金を使う)努力すべきだ。高性能コンピュータの発達した現在、奈良・平安時代以降の文献の中の気象情報等を調査しそれを数値化し(大ざっぱなものでよいし気象の数値、雨量などは機械で計測しても大ざっぱにならざるを得ない)、現在の私たちの生活に活用することは大切なことであり、これを学問化すべきだと私は考えている。

  怪しげな“地球温暖化説”と“地球温暖化の犯人はCO2説“を受入れ、それを称揚するグループを側面援助する政策に金を使うのではなく(*注3)、日本国民の生活を豊かにする政策を掲げるように日本政府は努力を傾注する必要がある。世界は悪人と悪党に満ちており、その悪意をいかに排除し、“日本丸”を安全に航行させるかが日本政府の第一の仕事である。

 

 

(*注1) 貞観地震の正確なマグニチュードが分からないのは当時、地震計や精密な観測装置があったわけではなく、被害の規模を文献などから推定して妥当と考えられる数値を出すのが「歴史文献気象学」の仕事である。現在の精密な雨量観測機器を使ってもある日のある地域の降水量は大雑把なものにならざるを得ない。なぜなら、雨量計の存在する場所から50メーター離れた場所の雨量が大幅に異なるということが起こりうる。雨は一定の地域に同一量の雨を常にもたらすとは限らないからである。同様に、地震の規模もかなり大雑把な要素がある。2011年の東日本大震災の地震の規模も最初に出てときはマグニチュード8.7か8.8だったように思うが、最終的に9.0に決定された。これも色んな要素を勘案して決定する部分があり、機械的(地震計などの計器の記録)だけに基づいて決めているわけではないからであろう。つまり、計器の整った現時点でも“推定”という作業が必要なのであろう。

(*注2) 橋下徹元大阪市長は、大阪のメガソーラー事業に関連し、日本のダミー的会社をかませて、中国共産党の支配下にある上海電力に重要な基本的インフラになる電力の利権を提供したが、これは大阪市民、府民、日本国民の安全を損なう行為だと言える。が、法的に問題がないと言い張る。政治家は法的に問題がなければ何をやってもいいのではなく、地域に住む住民、市民、日本の国民の利益(安全・名誉・幸福・平和)になることをすべきだ。政治を自分と周囲の取り巻きの利益の手段と考えるような政治屋は日本に必要ない。 (2022年7月26日記)

(*注3) 日本共産党(日共)との関連があると考えられる委員の任命を菅内閣が任命拒否をして物議をかもしている日本学術会議のWebサイトに数か月前にアクセスし、「学術会議の委員の主要論文を読めるようにはしていないのか」と“納税者で主権者である国民の一人より”」とし、質問をすると、「そのようにはしていないが、協力関係にある若手中心の日本学術会議協力学術研究団体の論文は公開されている」との返答があった。少しチェックしてみるとSDGsや地球温暖化のような政府の意向に沿うような研究項目が多く、中身を見る気はしなかった。科学的に正しいかどうか、疑わしいものの研究を学術会議が奨励しているとしたら、日共の意を受けてか、中国共産党の軍事研究には協力し、日本の大学の科学研究には「軍事研究につながる」とケチをつけていた学術会議の一部幹部連中の一方的“反民”行動と異ならない。地球温暖化の研究においても、学問として、賛成の研究、反対の研究のどちらも公平に扱うべきである。それができないなら現在のような国民の税金を使うかたちの日本学術会議は存在させるべきではない。

 

参考:朝日新聞記事

氷河期サイクル、公転軌道変化に伴う日射量増減きっかけ  2007年08月24日14時36分

 地球でほぼ10万年周期で起きる氷期と間氷期のサイクルが、地球の公転軌道の変化などで生じる日射量の増減に連動して起きていることを、国立極地研究所や東北大などの研究チームが突き止めた。今後の気候変動を予測するのに役立ちそうだ。23日発行の英科学誌ネイチャーに発表した。

 極地研の川村賢二助教らは、90~96年に南緯77度の南極のドームふじ基地で、深さ2503メートル分の氷床コアを採取、氷の中に残る過去約36万年分の気泡(空気)を分析、当時の雪の温度と二酸化炭素(CO2)濃度の変動を推定した。

 一方、他の惑星の引力の影響で、数万年単位で変化する太陽からの距離や地球の地軸の傾きから、北半球の日射量の変動を割り出した。北半球の日射量が増大する時期に南極の気温とCO2濃度が上昇するなど、日射量変動とコア分析で推定した雪温やCO2濃度の変動がよく一致した。

 この結果は、氷期と間氷期が、地球の公転の変化などによる北半球の夏の日射量の変動をきっかけにして起きるとした「ミランコビッチ理論」を具体的データで裏付けたことになる。

 

 

 

 


商人(殷人の遺民・流浪の民)とユダヤ人

2022-07-06 12:29:47 | 時事問題

    

 

商人(殷人の遺民・流浪の民)ユダヤ人

 

永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 

 『漢字語源辞典』(藤堂明保著 学燈社刊 1965年初版発行)の「商」の項目のところで、「商人あきんどの由来」の説明がある。

「商人あきんど由来」

 〈説文〉によると、商売、商賈などの商の字は正確には「の上にの字  ※文字が無いため永井による説明」の字で書くべきで、この字は「貝+商の省声」である。〈説文〉には「商とは行賈あるいてうるなり」とあり、今日の「行商」というコトバがこれに当たる。店をかまえ、庫に財貨をしまいこむのが賈である。賈の字の上部は覆の字と同じで、財物をカバーすることを示すから、は同系のコトバである。それに対してとは、一定の店や庫をもたず、転々と行商するものである。

 周人が殷人を滅したあと、その遺民の一部を宋ソウに集め、その技術者を奴隷として、魯や衛エイの諸侯に分配した。しかし多くの遺民はジプシーと化して、各地を転々とし、交易によって糊口をしのいだ。またその一部は賤民となって、賤業(皮匠や屠殺業)を営んだ。彼らは周人より手芸や知能には長じていたが、いかんせん、滅ばされた民にすぎない(唐の都洛陽の北郊に「殷里」という一画があり、賎民が住んでいたという。殷から2000年をへているのに、なお「殷人は賎民だ」という意識が残ったものとみえる)。商の国の人が交易を行なったために、やがて各地を歩いてあきないをする人人を、商人と称するようになったのである。

 なお戦国から漢代に降っても、なお商人は、農民よりも一段低い人間だという固い潜在意識があった。呂不韋リョフイがあきんどより起こって、秦の宰相となったという事実はあっても、商人そのものに対する価値づけは低い。その伝統の根底には、商人は亡民や賤民の仲間だという、潜在意識があったのかもしれない。

※ 殷が周によって滅ぼされたのは紀元前1046年、日本では縄文時代の最晩期にあたる。この時期、殷の遺民の一部が日本に渡ってきたという人もいる。

という説明がある。「“商人”が中国の儒教思想の中で蔑視され、中国の影響を受けた“小中華”の朝鮮ではさらにこの傾向が強い」というような知識を漠然と持っていた(だけの)私は驚いたのである。

(殷人の)多くの遺民はジプシーと化して、各地を転々とし、交易によって糊口をしのいだ。

※この状況はアシュケナージ系のユダヤ人(現在のウクライナのあたりにあったハザール王国を滅ぼされたハザール人など)がヨーロッパ各地に散らばり商売で生き延びてきた状況を連想させる。

その一部は賤民となって、賤業(皮匠や屠殺業)を営んだ。

 ※この状況は日本における部落差別を連想させる。皮革産業(皮匠)や屠殺業は被差別部落地区の主要産業となる場合がよくあった。

 ①や②のような連想が「商人の由来」を読んですぐ浮かんだのである。中国の河南省安陽付近に拠点を置く殷王朝が占いに使った卜辞の文字が甲骨文字で、その文字が漢字の始まりと考えられており、殷人は文字を創り出した優秀な民族であったと見られるが、によって殷“国”が滅ぼされたあとは、生き残ったもの(遺民)の一部は奴隷となり、他はジプシー(流浪の民)となって各地を流浪し行商をして食いつないだのである。

 たとえ優秀な民族でも国防を怠れば(国防に欠陥があれば)国は滅ぼされ、大多数は殺害され、残りは奴隷にされるか、逃げ回って蔑視される“商人”となったのである。

  この状況を現在の日本に当てはめたらどうなるか。日本は第二次世界大戦(太平洋戦争→大東亜解放戦争)において、人種差別的動機に満ちた欧米の帝国主義とそれに基づく植民地主義を打破するために東南アジアから欧米の軍隊を駆逐することにいったんは成功したが、ミッドウエー海戦での敗北を契機に敗戦への道をたどった。

 そして、終戦直前にはソ連が中立条約を破り、満州に侵攻し、南方戦線に兵力を大きく割いて弱体化した守備の関東軍を駆逐しつつ、終戦後も日本兵狩りをして、不法のシベリアへ送り奴隷労働をさせ多くの日本兵を死に追いやった。ソ連兵は居留していた満州から退避していた日本女性を捕まえレイプし蛮行を重ねたが、これに呼応するように当時朝鮮系日本人であった朝鮮半島の多数の“朝鮮人も”この蛮行に加わり、日本人女性をレイプしたり殺害した。

  無事日本に逃げ帰った(引き揚げることができた)日本人居留者も多数いたが、そうはできずに満州、朝鮮半島で倒れた日本人も多かった。

 このような惨劇、惨状が終戦前後に満州、朝鮮半島で起こったのだ。もちろん、南方戦線での補給を無視した作戦などで多くの日本軍兵士が死に追い込まれた。

 

 私はツイッターで戦前戦中の日本軍を擁護し、

 無法非道の中米ソ等の軍に比して高潔な日本文化を基盤とする日本軍は規律高い世界一の立派な軍だ(聖人君子のみの集まりではない日本軍内部には下級兵士に対するイジメもあり、“嫌な奴”は稀ではなくいたが、それはどの組織、社会にもあることだ。軍内部の殺人を含めた犯罪率も日本社会と同様に世界で最も低かったはずだ)

 自国の軍の無法非道を隠蔽するために、戦後 中米ソ等が東京裁判で“南京事件”を捏造し日本(軍)を戦犯として裁き、悪党化したのだ。真に人道に対する罪で裁かれなければならないのは当時の米ソ中の軍(中国の軍は国民党軍と共産党軍の両方)の幹部と当時の政権の中枢にいた連中である。東京裁判は米ソ中の出来レース、茶番であり私は与民者として日本国民の利益(安全・名誉・幸福・平和)のために、また、その洗脳を解くために“再審”を要求する。東京裁判でインドのパール判事が日本人被告の全員無罪を主張したのも当然である。

というように書いている。これは私の気持ちを素直にかいて当時の日本軍を擁護しているのであるが、当時の軍の中枢にいた参謀本部の連中や指揮官たちのことは、官僚主義の即断即決力に欠け、実戦能力に欠ける軍幹部として非難の目を向けている。2018年9月の私のブログ「反民マスコミ」の中で次のように述べている。

  戦前、新聞をはじめとするマスコミは読者数を増やすため戦意高揚の記事を載せるだけでなく、「満州は日本の生命線」などと軍部を煽り、政府の外交政策を「弱腰」「軟弱外交」と非難し(私は現在、朝日などのマスコミを腰抜け・内弁慶と非難しているが)、対外強硬路線を強調し、開戦を主張するなど、中国の戦線の拡大、国民を開戦支持へ誘導する積極的役割を果たした。その意味で朝日、毎日、読売などの罪は重い。東京裁判は戦勝国の復讐心に満ちた茶番、出来レースにすぎないとしても、300万人を超える戦死者を出した太平洋戦争において日本国民に対して責任をとるべき人物は何人かいるはずである(戦地において最終的に自決した司令官などは本当に立派である)。太平洋戦争における戦争犯罪人を日本人自身が選び出すとしたら、無謀極まりないインパール作戦を指揮し、おびただしい戦死者を出した牟田口中将だと言う人が多いが、民間人から戦争犯罪人を選び出すとしたら、朝日、毎日などの戦争を煽ったマスコミの幹部連中ではないだろうか。(が、このマスコミ連中は戦後は“助命”され、日本を悪党化するための米国の走狗となって現在の悪辣な“反民マスコミ”をつくる主因となった。)

 当時の日本軍は全体として、米ソ中の軍に比して統制のとれた立派な軍であったが、幹部や指揮官の更迭ができない組織だったと見てよい。米国はヨーロッパ戦線において成果の出せない(失敗をした)指揮官を次々と更迭し、最後に一番成果を出した指揮官、のちに大統領になったアイゼンハワーを指揮官にして成功した。一方、日本軍はミッドウエー海戦で大敗北しても南雲中将指揮官に責任をとらせることなく使い続けるなどのこと(情実人事)を繰り返した。

 野球やサッカーの試合で選手を選ぶ時、そのルールの試験など高い点数をとったものを主力にして試合に使えば、選ばれた選手に実戦経験があり、打撃力(攻撃力)、守備力を有し即断力もあれば良いが、そのような事は稀であり、相手チームがよほど弱い場合は別として勝てるわけがない。当時の日本軍の幹部は陸軍士官学校出の秀才で(今で言えば東大出の秀才で)、テスト等の成績は優秀だったのであろうが、果たして実戦での戦闘および指揮能力はどれくらいだったのか。

 日清、日露戦争の時は幕末の戦争で能力を発揮した者がまだ顕在で、その実戦能力のある者を登用して二つの戦争に日本は勝利した。日露戦争の時、海軍大臣の山本権兵衛は、連合艦隊司令長官としてあまりぱっとしない(と世間では思われていた)東郷平八郎を選んだ。ある新聞記者からその理由を問われ、「運の良い男だから」と答えたとされている。彼は幕末の戦争で運よく勝利を収めて生き延びてきた男だった。このような事実を知らなければ、戦場の指揮官の選定は実際に指揮をとらせてダメなら次々と変える米国の方式が優れている。実戦で勝つ能力のある者(軍事戦略論、戦術論を知り、運も良い男)を米国は実戦を通じて選び出したのだ。日本は即断力のない、運も悪い者を使い続けた(*注1)

  太平洋戦争(大東亜解放戦争)で日本は米国に敗れ、その後、米国の政権(主として、民主党政権)は日本を解体するためにあらゆる計画、計略、策略をめぐらし、二度と米国に歯向かうことのない日本をつくろうとした。

 WGIP(戦争犯罪意識埋込計略=日本悪党化・日本弱体化策略)に基づき欧米の東南アジア諸国への過酷な侵略戦争や植民地主義による支配を棚上げにして、日本がアジアに侵略戦争をしかけたと信じ込ませるために米国は日本の教育界、マスコミ界、政界、経済界に完全に支配し、逆らう者は追放(あるいは、秘密裏に日本のヤクザ等を使い処刑した場合もあるだろう)した。与党の自民党をコントロールし、野党の共産党や社会党も完全にその支配下に組み入れられ、その手の中で踊らされてきた。そして、日本国民の意志に基づいてつくったものではない憲法を未だ護持させられている。

 WGIPによる日本悪党化政策(=計略)は日本の各界に浸透している。特にひどいのが日本の与野党の政治家たちである(捏造の反日洗脳歴史教育とWGIPの二重に洗脳されてさらにひどいのが、韓国の与野党の議員連中であり、中共の政治家連中である)。そして、悪逆非道の欧米の植民地主義の歴史を知らず日本悪党化計画に強く協力しているのが、共産党であり、立民であり、公明であり、維新であり、自民の中に多数いる親中派議員たち(これら各党の“親中派議員”の中には米国の悪辣非道さを知る故、中国に接近しているものも少なくないと思われるが、その中国は米国より一枚上手の悪辣非道の中国共産党が支配する国である)である。今の日本人の87歳以下は戦後の黒塗りの国定教科書で勉強した世代とその子供、孫の世代だ。つまり、米国の“日本悪党化計画”に直接染まった世代が引退し、今、その子供の世代が政財界や教育、マスコミ界を動かしている。親が洗脳されていれば、子供もその洗脳を受け継いでいる。

 現在のような腰抜け・軟弱町人政権の自公政権が続けば日本人が古代の殷の“商人”のように、またユダヤ人のように(大多数は殺害されると考えられるが運よく生き延びた場合)世界の各地を故国を失って放浪することになりかねない(*注2)

  今、悪逆非道無法の日本周辺国(中韓北露米)の危険性を感知し、日本を守ろうとする勢力がこの参院選に登場してきた。本物の“与民”政党、与民政治家になってほしいものである。(2022年7月6日記)

 国民の利益を目指す“与民政党”よ、いでよ‼

 反民政党ども、消えてなくなれ‼❣ 

 反民マスコミども、消えてなくなれ‼❣  

 

(*注1) 現在、種子島のロケット打ち上げが38回連続で成功しているが、1998年から2000年にかけて、4回の打ち上げのうち、3回失敗したことがあった。この時、宇宙開発事業団は、打ち上げ組織のトップを交代させる決断をするわけではなく、ズルズルと失敗を重ねていた。当時、私はこの状況を、日本型の、よく言えば“思いやり”人事、悪く言えば、太平洋戦争時にミッドウェー海戦の敗北後に軍部のトップを交代させることはせず、“判断力・決断力に欠ける参謀や実働部隊の司令官の首をきれない無責任・無能”日本型人事のあらわれと考えて「情けない思い」に駆られたことを覚えている。

 「米国なら、トップ交代型の、軍隊的人事を行なうだろう。トップを交代させれば、それに甘えて失敗を繰り返す原因となっている可能性のある関連企業などを変更できるのに」と思ったものである。戦いの中にいる組織、軍隊や、プロ野球のチームなどは、トップの人事に関して、失敗をすればすぐに交代させることが可能な体制を整えておくことが肝要である。 国家間の戦争は国民の生命が奪われるか保たれるかの一刻の猶予もない問題であり、情けは無用、非常の人事が必須であるが、単なるスポーツゲームの指揮官の人事は勝利を優先するか、他の面も考慮するかで少し異なる面があるのは十分承知している。(2022年7月6日記) 

(*注2) 現在の米国の(主として民主党)政権に寄生して世界を支配しようとするDS(Deep State)は大多数ユダヤの流浪の民の末裔で、奴隷にされてきた怨念のDNAと(その奴隷状態を逆転させ)世界の人々を奴隷的に支配しようとする強欲のDNAとを深層意識に併せ持つ支配層(≒金儲け第一主義の商売人)である。世界の人々を幸せにしようとする哲学や宗教心は持ち合わせていない。彼らが世界を支配するのは世界の人々の利益(安全・名誉・幸福・平和)にならない。彼らを適切に封じ込め(*※)、人々の利益に貢献するように方向転換させることが肝要である。 また、殷の“商人”か、または、殷と同じように国を亡ばされてジプシー化した遺民の末裔のDNAを受け継ぐと考えてよい中華系の支配層と商売人も、ユダヤの流浪の民の末裔とほぼ同じ傾向(奴隷としての怨念のDNAと人々を奴隷的に支配しようとする強欲のDNA)を持つと考えるべきであろう。(2022年7月7日追記) 

(*※) 「彼らを適切に封じ込め」と書き進めて、今までまとめられなかったナチスのユダヤ人虐殺の深層意識に踏み込んでいることに気づいた。当時は現在のDS(Deep State)が露骨に軍産複合体や医薬政保報複合体を通じて世界を乗っ取ろうとしている状態とは規模において少し異なると思われるが、それでもユダヤ移民の末裔の一部が当時の政財界に深く食い込み、大きな影響力を持っていたことは確かである。この一部をユダヤ人全体と見て、「ユダヤ人を危険な人種」と見なし、ナチスドイツはユダヤ人を封じ込めるような政策ではなく“(全員を)虐殺する”方法を選択したのだ。ナチス(ヒットラー)は他の良い方法を見つけられなかったのであろう(ヒットラーの大悪行を弁護するつもりは全くない。私は生命の抹殺を否定する仏教徒である)。 この問題は私が提唱している「世界を救う日本の三つの価値(至宝) The Values to Save the World」を世界が導入することによってしか解決できないであろう。下に英文のスローガンを出しておきたい。(2022年7月20日追記)

 

 

 

**世界を救う日本の持つ三つの至宝

(1) 神仏習合

(2) 武器(銃、刀など)の完全禁止

(3) 完全なる政教分離制度、日本型“世俗政権”による国家運営 

※ 信長、秀吉、家康の家臣には宗教に帰依するものが多数いた。キリスト教に関して、秀吉は最初は信長と同じくその布教を許していたが、スペインとポルトガルが領土的野心を持っており、他国においてキリスト教の布教にともなってその土地を植民地にしていることと、ポルトガル商人が日本人を含むアジア人を奴隷売買していることを知り、バテレン追放令を出し(1587)、そして、1596年に禁教令を出した。  秀吉の後を承けた徳川家康は、完全に宗教集団(寺社)と一般国民(農・工・商)が武器を持たない状況をつくり出し、政治権力の絶対性を確立した。家康自身も三河国の領主であった時に一向一揆に直面し、家臣団の半分が一向宗門徒側につき、領国を二分する戦いとなり、政権が危機的状況に陥ったことがあった。それゆえ、家康は宗教集団の恐ろしさを実体験しており(信長、秀吉にもこの実体験がある)、宗教組織が政権に関与する形のまったくない国家をつくり出したのである(私はこれを「完全なる政教分離の日本型世俗主義国家」と呼んでいる)。その政治体制、つまり、徳川幕府は270年間継続し、島原の乱を除けば、宗教的にも安定した、犯罪の非常に少ない、世界に類のない安全な国家を生みだした。

 今、2022年7月の参院選挙中での安倍晋三元首相の暗殺を受け、旧統一教会から名称変更した宗教組織(世界平和統一家庭連合)と自民党の関係が問題になっている。この宗教団体は自民党だけではなく他の政党にも議員秘書等を多数だしてその政治的影響力を高めようとしている。

 政党や政治家が宗教に対して適切な“敬意”を払うことは大切なことであり、これは日本の戦国時代を終息させた信長、秀吉、家康も“敬意”を払っていた。が、日本国民の利益(安全・名誉・幸福・平和)を損ない、外国の利益に寄与するような宗教組織には適切な封じ込めが必要であろう。特に、“”統一教会“”はカルト宗教として米国では排除された宗教団体であり、韓国に拠点を持つ宗教団体だ。

 宗教は祈り瞑想(自己[の心の]錬磨・修練)によって人々を救済するのが本旨であり、眼目である。その活動の一環として慈善事業や、戦没者・災害犠牲者等の慰霊・成仏供養行事などの社会活動がある。宗教団体が組織的に政党に政治秘書を多数送り込み、その立場を利用して議員とならせ政治を支配しようとしているなら宗教活動を逸脱した活動であり、言語道断である。また、議員にならずにある議員の秘書にとどまるとしてもその議員の政治活動および政党の情報は筒抜けとなり、その宗教団体が外国に通じていたとしたら非常に危険だ。 (2022年7月20日追記)


古代人の寿命 (平均寿命の勘違い)

2022-03-27 21:58:28 | 時事問題

 

古代人の寿命は短くなかった、いや長かった

永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 

  大多数の人々が“平均寿命”が生み出す“風景”に対して大きな誤解を持っているように見える。しかも、一流の科学者も政治家もマスコミ界の人々も正しい平均寿命の“風景”を見ていないように思われるのだ。

 古代人の平均寿命は非常に短かったように思われているが、平均寿命をさげる主な原因は乳幼児の死亡率が高いためであり、生き残った大人たちの“平均寿命”にしぼると私たちが漠然と考えているほど短くはないと言ってもまちがいではない。

 たとえば、いま、五人のゼロ歳児がいるとしよう。この中の一人は百歳まで生きた。が、残りの四人は伝染病にかかって、一歳になる前に死んだとしよう。この五人の平均寿命は、単純な相加平均で計算すると、

  (100+0+0+0+0)÷5=20

となり、この五人の平均寿命は20歳である(「平均寿命(余命)」の出し方は単純な相加平均でよいはずであるが、それは目当ての集団全員が死亡したあとでなければだせないので、実際はもうすこし複雑な推計をする)。百歳まで生きる者がいても乳幼児のときに死亡するものが多数いたら、その平均寿命はいちじるしく低下するということである。

  ここまでの平均寿命について事実をよくわかっている人たち(高名な学者も含めて)でも、私から見ると、字面だけ理解しているだけでその実際の風景、例えば人口500人規模の一つの村にどのくらいの老人がいて、中年の男女がいて青年、子供がいるのか、という風景が見えていないように思われるのである。

  江戸時代の平均寿命を寺の過去帳から割り出して、江戸時代のこの地域の平均寿命は「24.7歳」だとする人がいるが、一家族に3歳未満で死ぬ子どもが多数でる可能性が高いなかで、この24.7という数字は誤解をまねくことは確かである。平均寿命が24歳なら60歳、70歳の老人はいないと思う人が出てくるのは当然である。たとえ、現代、私たちが通常使う意味での“平均寿命”が「30歳」あるいは「20歳」であったとしても、一つの集団の中に百歳を超える人がいる可能性はかなりある。その実例は、記録の残っている日本の古代社会に存在する。江戸時代と奈良時代の例を後で示したい。

  平均寿命を専門に取り扱う研究者をのぞいて、失礼な言い方になるが、大多数の人たちは「平均寿命」の意味と人間が有する生命力が生みだす「最長寿者の年齢」と医療環境の関係がよくわかっていないのである。

  江戸時代の有名な儒学者で『養生訓』を書いた貝原益軒(1630年生、1714年没)は84歳で死んでいる。浮世絵師の葛飾北斎(1760~1849)は89歳まで長生きした。が、このとき、江戸時代の平均寿命は30歳くらいだというと、この84や89は1年を2歳とする「二倍年歴」だと考える(早とちりする)人が出てくるのはある意味で当然である。

 江戸時代のように記録が比較的のこっている場合は、「江戸時代に80歳、90歳はありえないし、まして百歳などとんでもない」と言いたくても言えないのであるが、このような考えが、邪馬台国時代や縄文時代になると通用してしまうのである。

 「平均寿命が30歳なら、80歳、90歳はありえないし、百歳老人などとんでもない」というような誤った考えをいだく人が多数いるなかでは、誤解をさけるために江戸時代以前の平均寿命は、20歳をすぎて生きのびた人たちの平均寿命、または、20歳をすぎて生きのびた人たちの「平均死亡年齢」で考える必要がある。

 20歳以下の乳幼児や少年の死亡数を切り捨てれば、(後で詳述するが)江戸時代や奈良時代の人たちの寿命はかなり長く、八十代や九十代の人もそれほどまれではなくいて、中には百歳を超える老人もいるという記録が残っていることも理解できるはずである。 

  柳谷慶子氏の『江戸時代の老いと看取り』(2011年 山川出版刊)によると、江戸時代の人たちの寿命というものがわかってくる。同書9頁に、

飛騨国の寺院過去帳の分析によれば、江戸時代後期の、21歳以上の平均死亡年齢は、男性61.4歳、女性は60.3歳で、51歳以上の人々の享年は70歳をこえている(須田1973)。成人後の平均余命は現代と比べても見劣りしない数値である。 現代の平均寿命である80歳を超えて生きのびる者も、稀少とはいえない人数が存在している。盛岡藩の1697(元禄10)年9月の調査によれば、領内に780人の該当者がおり、さらに、100歳以上の長寿者も122歳を最高に女性3人が書き上げられている(『盛岡藩雑書』第六巻)。

とある。当時、20歳まで生きのびた人たちの平均死亡年齢は男女とも60歳を超え、51歳を超えた人たちでは平均死亡年齢は70歳を超えるということである。

 当時の盛岡藩の総人口は約33万4千人である。1970年当時の日本の総人口1億466万人に対して百歳以上の老人は310人いたから、1697年当時の盛岡藩の人口を1970年の日本の総人口までもってくると、百歳以上の老人は、

   3x(104660000/334000)=940 …940名

となり、比率からすると盛岡藩に940人の百歳以上の老人がいたことになる。

  *940名…江戸時代の百歳以上の老人の数(1697、盛岡藩の百歳老人の数にもとづいて)

  *310名…昭和時代の百歳以上の老人の数(1970、日本)

 比率でいえば1697年当時の江戸時代の盛岡藩のほうが百歳老人は1970年当時の日本より三倍多いのである。平均寿命が40歳にも達しない江戸時代に、百歳老人などいるはずがないという私たちの思いこみがどれほど間違っているか思い知らされる。

  20歳以上の成人の平均死亡年齢で見ると、江戸時代も昭和40年代もそれほどちがわないということである。ただ、1996年ころから2022年現在にいたるまで百歳以上の高齢者数が異常に増加していることは疑いのないことである(百歳以上の老人数:8万6510人‥2021年9月15日現在)。これは、栄養の改善(タンパク質、微量栄養素の適正摂取)と医療技術(延命技術など)の進歩によるものであろう。この点では、江戸時代と現在は大きなちがいがある(*注1)

  柳谷慶子氏は、江戸時代の高齢化を18世紀以降に社会全体の生産力が上がり、医療の恩恵にあずかる層が広がったためとしている。が、この考えは人の寿命に対する大きな失考を生みだすもととなる。私もそのような面を否定はしないが、80歳をこえて90歳、100歳と生きのびる人たちは、医療のおかげではなく、持って生まれた長寿体質(遺伝子の傾向)と、長寿に適した性格と食生活によって高齢者となっていると考えられる。後述するが、記録に残っていて明らかなことであるが、奈良時代には百歳をこえる高齢者がいた。おそらく、邪馬台国にも百歳老人はいたと思われる。百歳をこえる長寿者は高度医療技術のおかげでそうなるのではないのだ。この点を理解しそこなうと、奈良時代のような古代に百歳老人などいるはずがない、という失考におちいるのである。

  明治25年生まれの祖母ムラ(昭和55年に88歳で死亡)がよく言っていたことがある。

わたしの生まれた当時は子どもが生まれてもすぐに役所に出生届をだすのではなく、その赤ん坊が育つかどうか二、三ヶ月様子を見てから届をだした。わたしの親もそうしたので、戸籍では9月19日生まれになっているが、本当はわたしは6月生まれや。

 つまり、当時は子どもが生まれても親はすぐに出生届をださず、育つがどうか様子を見てから出したということで、それくらい乳幼児のときに死亡するものが多かったということである。したがって、生後すぐに死亡した乳児の名前などは戸籍に載せられていない場合も多いはずであり、明治の初年から中頃までの戸籍にもとづいて当時の平均寿命を出しても不正確なものとなる可能性が高い。(付言すると、占星術の本などに明治時代の有名人の生年月日を取り出して占星術的説明しているものがあるが、その生年月日の中には親が届け出を遅らせて出したものもあると思われ、その場合の説明は無意味なものとなる。)

 乳幼児期のきびしい生死の選択をくぐりぬけてきた古代の人々は強健さという面では半健康の人々が多数存在する現代よりもすぐれているかもしれない。ただ、現代の老人の方が、乳幼児の死亡率を切り捨てた場合でも、生きのびた古代人より平均寿命で上まわると思われるが、その理由は、タンパク質などの重要な栄養素を十分にとれるようになったことと、肺炎などの病気にかかった時に、現代人は抗生物質や点滴などの高度の医療をうけることができるが、古代人はそれが受けられなかったということがあるだろう。

  それにしても古代人がみな早死にしたかのように考えるのは誤りであることが理解されたものと思う。平均寿命の落とし穴を熟知していれば、現代の平均寿命と江戸時代や奈良時代の平均寿命をそのまま比較することの危険性はよくわかるはずである。古代は乳幼児の死亡率が非常に高く、それが平均寿命をひじょうに短くしている原因であるから、そのことを考慮しつつ現代と比較する必要がある。

  奈良時代の人々の平均寿命についてはいくつかの推定はあるが、いま仮に32歳ほどとすると、現代の日本人のそれがおよそ80歳であり、倍以上もちがうといっても、その差は現代のすすんだ医療技術による乳幼児の死亡率の差であるから、それを取り除くと、奈良時代の人と現代人の平均寿命は(もちろん、現代人のほうが長いけれども)想像するほど大きくちがわないと考えてよい。 すくなくとも、平均寿命80と32という言葉がつくりだすイメージ的な差ほど大きくない(奈良時代の高齢者については後述する)。

  私が小学3年生だった昭和30年に、近所に88歳になる“おツネ”ばあさんがいた。私の祖母(当時63歳)は、「おツネさんはここら辺で一番の長生きや」とよく私に言っていたが、小学3年の私の目には近所に私の祖母くらいの年齢のおばあさんとおじいさん(たぶん60歳台の老人)が何名もいたように思うし、この中には70歳台の老人も混じっていたと思われる。私の見ていたこの老人のいる風景は江戸時代の(当時の私と同じような年齢の)子供の見ていたものとそんない変わらないと言ってよいだろう。

 

【古代人にも多くの長寿者がいた】

  乳幼児期を死なずに生き延びた古代人の寿命は私たちが考えているよりはるかに長いのである。江戸時代の高齢者については先に示したが、奈良時代にも言及しよう。

 『日本の歴史3 奈良の都』(1970年中央公論社刊)21~22頁に奈良時代の日本の総人口と奈良の都の人口、高齢者についての記述がある。

773年に朝廷は奈良の都の老人たち、やもめや孤児などの不遇な人々2万人ほどに、6千余石のモミを無料で配給している(奈良時代の政府の福祉政策はしっかりしているが、今の自公政権はどうか)。が、その配給命令書には(奈良の都の全人口に対して)100歳が2人、90歳以上が104人、80歳以上が990人とある。まじめできっちりしている日本人のことであるから、当時の政府が集約した数字はかなりの程度信用できると考えられる。現在のように不法滞在外国人などは皆無で、“狭い日本”の中の村々で当時の役人がその数を調べたと考えると、それほど実数とかけ離れたものとは考えにくいので、これらの数字をほぼ正しいものと見ることにする。全国的な戸籍は670年、天智天皇の時代に『庚午年籍』が作られ、租庸調の課税のためもあり人民の年齢もほぼ正確に捕捉されたと考えられる(配給の773年は大規模な戸籍調査の行なわれた670年から103年経過している。100歳 2人もほぼ間違いのない数字であろう)。また、これよりおよそ百年前の欽明天皇の時代にも戸籍についての記述が書紀にある。

  残された文献などから当時の奈良の都の人口は20万ほどということが分かっているが、80歳以上の老人が意想外に多いことに私たちはおどろかされる。 20万人中に2人の百歳老人がいるのであるから、現代(1970年代)の日本と比較するため、20万人を一億人に換算すると、2名×500で、当時の奈良の都には比率的に千人の百歳老人がいたということになる。

 奈良時代(の奈良の都)と江戸時代(の盛岡藩)の百歳以上の老人の数を比較すると両者はよく似ており、おおよそ10万人に対して1人の割合で百歳を越える老人がいるということである。これは1970年前後の日本のおよそ三倍である。1970年の日本には33万人に1名しか百歳以上老人がいなかった。

  厚生労働省の資料によると、1992年の時点で百歳以上の老人は1億2千万の総人口に対して4152人、2015年現在で6万1568人となっており、現在、猛烈な勢いで百歳を超える老齢者が増加している。しかし、1970年の時点で日本には百歳以上は310人しかおらず、人口10万人に対して百歳老人が1人を越えるのが1982年(昭和57年)である。奈良時代の奈良の都の百歳老人の数は比率的には、昭和五〇年代前半の日本より多かったのである。この事実は、百歳老人は医療技術や薬品のおかげで生まれるのではなく、持ち前の資質(長寿遺伝子、性格)や食生活によって生まれるということを示している。奈良時代や江戸時代のほうが1970年ころの日本より百歳老人の比率が高いのは当時は大気や水質汚染などの環境汚染の問題がなく、健康に悪影響のある食品添加物の問題もなかったためかもしれない。(2006年の財政破綻後、総合病院は消え、医療による過度の診療や投薬がなくなった北海道の夕張地区では住民の半数が高齢者であるのに、心疾患、肺炎等の死亡率が破綻後の方が低くなりかえって平均寿命が延びたと言われている。1973年,イスラエルでは外科医の1ヵ月間のストライキの期間中、国民の死亡率が50パーセントも下がったとされている。医療が人々を健康にし平均寿命を延ばすわけではないと指摘する識者もいる。確かに、交通事故による大怪我、内臓破裂や頭部損傷などに対して緊急救命治療が絶大な効果を発揮することが多いことは認めるが、多くの種類のガンは抗がん剤を使わずに放置したほうが長生きをするとする医師もいるし、腎臓病の透析治療はしないほうが長く生きられるという学者も少なからずいる。現在の医療は功罪の“罪”の方が強いように思われる。 *医学界は真に人々の幸福につながる療法を開発する必要がある。また、製薬会社は人々の健康を保ち、その幸福につながる適切な価格の薬を開発する必要がある。欧米流の儲ければよい、株主の利益に貢献できればよいというような発想は自身を滅ぼすことにつながる。)

1000名…773年の奈良の都の人口の20万人を1億人に換算した時の百歳以上の老人の数

  940名…1697年の江戸時代、盛岡藩の人口の33万人を1億人に換算した時の百歳以上の老人の数

  310名…1970年の日本の総人口(1億466万人)に対する百歳以上の老人の数

 古代の人はみな早死にだったと考えるのは誤りであることが明らかであろう。たしかに、奈良時代の日本人の「平均寿命」は40歳以下であったと思われるが、それは乳幼児期の子どもの死亡も考慮に入れて推定しているからである。感染症などの病気で死亡しやすい乳幼児期をのりこえた人たちは、古代といえどもある程度は長生きで、50歳、60歳以上の老人はかなりおり、中には、80歳、90歳まで長生きをする人があり、まれには、100歳を超える老人もいたと考えてよい。彼ら長寿者は医療のおかげで長生きをしたのではなく、持ち前の資質(長寿遺伝子の保有)、ストレスに強い性格、長寿を促す食生活などによって、感染症などの危機ものりこえて長生きしたのである。高度の医療技術がなければ長生きできないと思うのは現代人の大きな錯覚・誤解であり、ある意味で大いなる“思い上がり”である。先に言及した柳谷慶子氏の考え「江戸時代の高齢化は18世紀以降に社会全体の生産力が上がり、医療の恩恵にあずかる層が広がったため」は忌憚なく言えば“失考”である。

  ここで平均寿命と現在医療について言いたいことがある。現在の私たちの「平均寿命」と古代人の「平均寿命」の差を生みだす最大の要因は乳幼児の死亡率であるから、現代人と古代人の平均寿命を比較するときに、いま使われている「平均寿命」をもちだすと、現代人に大きな誤解をもたらすので、成人に達した人たちの平均寿命で比較する「時代別成人後平均寿命」とでもいうもので比較したらよいのではないだろうか。そうすれば、「江戸時代には80歳や90歳の老人はいないし、百歳老人などいるはずがない」というような失考は生じない。

  下の表は2001年3月2日の朝日新聞の夕刊に載った日本人の平均寿命を推定した表である。縄文時代の「平均寿命」は“14.5歳”となっているが、この数字を出した根拠も問題であるが、これでは、40代や50代の縄文人はいないような印象を人に与える(実際、この数字を出した研究者は縄文人は長寿者で31.1歳程度という考えらしい)。野生のチンパンジーでもうまく生きのびた個体は50歳くらいまで生きるものもあるとされている。いま、「平均寿命」という言葉がつくり出す“迷妄”の世界を脱却すると、縄文人でも子ども時代を生きのびた人たちの中には50代、60代の人たちがおり、ごくまれかもしれないが、70代、80代の人たちもいたのではないか、という考えに至る。そうでなければ人類としての文化や知恵の継承はない。

  朝日新聞デジタル2010年11月13日の記事によると、人類学の長岡朋人氏は、縄文人86体の出土人骨を再調査し、それまで縄文人の平均寿命は30歳以下で極端な説では14.5歳とするような考えがあったのであるが、65歳以上と見られる個体が全体の3割以上を占める、という結論を『月刊考古ジャーナル』(臨時増刊号)で発表した。これは正解からそれほどはずれていない、むしろ妥当な結論だと私は考える。

  アフリカやアマゾンなどで縄文時代人と同様の狩猟採取生活を送っている原住民の生活実態、平均死亡年齢および最高長寿者の年齢の調査をすれば、縄文時代の人々の年齢構成や平均死亡年齢を類推することができるであろうに、縄文時代人の平均寿命「14.5歳」を出した人たちの科学的手法や「類推力」「想像力」はいったいどうなっているのだろうか。平均寿命14.5(長寿者の寿命が31歳)では、ホモサピエンス(知恵ある人)であり、火を制御してきた人間が、現在の野生のゴリラやチンパンジーの集団の平均寿命にも負けてしまうことになりかねない。私たち日本人の先祖と考えられる縄文人は芸術性に富んでいるとされる縄文土器をつくりだした人たちである。知恵によって集団を維持し文化を次の世代へと伝えていった人たちである。

 

【『魏志』「倭人伝」の長寿者たち】

  『魏志』の「倭人伝」に

        其人壽考或百年或八九十年…ⓐ

と記されている。この記事から、当時の倭人の(平均)寿命が百歳から8、90歳であったと記述されているように(誤)解しているひとが多数いるが、「壽考」は「長生き」「長寿」という意味であり、もう少し意訳すれば「長寿者の寿命」のことであるから、当時の倭人の平均寿命が八十歳から百歳だったということにはならない。

  先に述べたように奈良時代にも百歳をこえる老人がおり、90歳以上、80歳以上の老人がかなりいたとの記録があるし、江戸時代の記録も同様であるから、邪馬台国にもかなり長生きをする人がいたと考えられる。当時の「平均寿命」は30歳、38歳というような情報を耳にすると、その平均が何をふくみ、何を意味しているのかを検討することなしに、あたまから「当時、百歳なんてありえない」となり、「二倍年歴説」や「一年二歳説」に走ってしまうのだ。

 ⓐの読み下しと意味であるが、武光誠氏の『魏志倭人伝と邪馬台国』(1998年 読売新聞社刊)によると、

  其の人寿考(じゅこう)にして、或は百年或は八九十年なり。

  大人は長寿者で、あるいは百歳、あるいは八、九十歳である。…ⓑ

となっている。武光氏は前の部分の訳で「大人」を「たいじん(=上層階級の人)」というように解していおり、「其人」を「大人」と解し、「寿考」に対する“主語”と理解しているようである。そうすると、武光氏の訳によると、

   (邪馬台国の)上層階級の人は(みな)長寿者で、あるいは百歳、あるいは八、九十歳である。

ということになる。誤訳である。「倭人伝」には「其」は、何度か出てくるが、主として「倭の」、「倭人の」という意味で使われている。ここも原文のすなおな流れからは「其=倭」の意味で使われていると、すべきであろう。邪馬台国に上層階級の人たちが何パーセントいたのかは不明であるが、このⓑの訳からは、邪馬台国の支配層はすべて8,90歳、または百歳の長寿者となってしまい、「一年二歳説」が出てくるのも無理はないことになる。

 張明澄氏の『誤読だらけの邪馬台国』(1992年 久保書店刊)では、

   其人壽考或百年或八九十年…ⓐ

   その人の寿考、あるいは百年、あるいは八、九十年

というように訳し、「寿考」に対して、

   寿考とは最高寿命、長生き、長寿、高年齢のことであり、平均寿命というのは誤訳である。

と断言している。

 私も張氏の説に同感で、「其人寿考」を主題(主語)とするほうが素直なよみだと思われる。つまり、「~は」の「~」を「寿考」と見るのである。「其人」は「寿考」にかかっていく修飾語(所有格)と見る。わかりやすく訳すと、

   其の人の寿考([最高]長寿者の生存期間)は百年かまたは八、九十年である。

   倭人の(最高)長寿者の寿命は百年かまたは八、九十年である。

    (The long(est) lifespan of the people is 80, 90, or 100 years.)

というようなものである。「寿考」を「長生き」と訳すのはまちがいではなく正しいのであるが、その前の「其人」を「寿考」の主語にすると誤解を招く訳になるのではなかろうか。

 「其人寿考」は、文法的には、

  ① 其の人は寿考で=倭人は長生きで

  ② 其の人の寿考は=倭人の長寿者の寿命は

とどちらに解することも可能であると考えられるが、常識的には②の意味になる。たとえ、①の意味にとり、「倭人は長生きで百歳の人もいれば、8、90歳の人も(ざら)にいる」という意味に解したとしても(このように解せないことはない)、倭人の平均寿命が80歳や90歳だという意味には決してならない。80歳、90歳、百歳の人たちには乳幼児期や少年期に死亡した複数の兄弟姉妹がいるはずで、私たちが現在使っている「平均寿命」を持ち出せば、当時は35歳には達しない可能性が高いし、25歳前後ということもありえる。

 また、当時の中国、つまり、魏の国にもごく少数であろうけれども百歳を超える老人はいたであろうし、まして、80歳、90歳の老人ならそれほどまれではなくいたであろう。魏志倭人伝のこの記述は、倭人の中に自国よりも多くの長寿者がいる(ように見える)ことに驚いて魏の使者が書き記したものであろう。先に述べたように、さほど医療技術が進んでいたとは思われない八世紀の奈良の都にも百歳老人はいたのである。3世紀の魏の国にもごく希ではあろうけれど百歳を越える老人はいたはずである。当時の邪馬台国の倭人と魏の人々の長寿者の年齢に差があるとすると、倭人は海の近くに住み、海の幸、魚や海藻類から動物性タンパク質とビタミン・ミネラル類を得やすかったのに対して、魏人はそれが劣ったためであると私は考える。

  当時の魏や邪馬台国に、80歳、90歳の人がいるはずがないし、まして、百歳老人などいるはずがない、と思い込んでしまうのは、「平均寿命」という言葉に対する誤解と、医療技術が発達していなければ百歳老人が出ないという思いこみが生みだした現代人の大きな失考である。繰りかえすが、たとえ、「平均寿命25歳」であったとしても、90歳、百歳老人がいないということには決してならない。ところが、「平均寿命30才」ということばに引きずられて、科学的思考のできるはずの科学者でさえも、乳幼児期に多数のものが死亡することを忘れ(言葉の上では理解していたとしても)、そのような短い平均寿命では80歳や90歳の人はいないという間違った思考状態に落ち込んでしまうのだ。

  「倭人伝」にもどろう。「其人寿考」までを主語とすると、「其の人の寿考は」となり、「或百年或八九十年=百年かまたは八、九十年である」という述部に無理なくむすびつき、誤解の生じにくい和訳がえられる。「寿考」は、前にも述べたようにわかりやすく訳すと「長寿者の寿命」である。

 米を主食とする邪馬台国の時代から奈良時代にかけて抗生物質や点滴に匹敵するような医学的革新や栄養学的革新がとくにあったとは考えられないから、奈良時代の日本に百歳や90歳の老人がいたのなら、邪馬台国の時代にも80歳を越えて百歳くらいまで長生きする人、百歳以上の老人が(稀ではあろうが)いたとしても不思議なことはなにもない。

  繰りかえすが、長寿者は漢方薬やその他の薬で長生きするのではなく、持ち前の資質(長寿遺伝子)と長寿に適した性格、食生活によって長生きするのである。米作によって米の備蓄が可能になり、異常気象などによる食糧危機を乗りきることができるようになった弥生時代以降は、長寿の資質を持つ人たちは。八十歳を超えて長生きする人がそれほどまれでなく存在し、まれには百歳を超える長寿者も出たと考えられる。

 もちろん、縄文人もカシやコナラなどの木の実を備蓄して、食糧危機に対処していたようであるから、“備蓄力”においては弥生人におとるかもしれないが、それなりに食糧危機には対処していたであろう。私は、縄文人も20歳をすぎた人たちの平均死亡年齢は弥生人よりおとるとしてもかなり高かったのではないかと思っている。前述した長岡朋人氏の縄文人86体の出土人骨を再調査の「65歳以上と見られる個体が全体の3割以上を占める」という結論は多少の誤差はあるにしても正解からそれほどはずれたものではないと考えている。

  だいたい、「平均寿命」という言葉は近代国家が成立してから造られたもので、しかも、私が何度も言っているように、大多数の人はその言葉に対する理解不足のために「平均寿命が30歳なら百歳老人がいるはずがない」と思い込む。また、古代文献のに出てくる「寿命」や「寿考」を現代人の使う「平均寿命」と考えてしまう大間違いをおかしてしまう。

  私が小学2年生、3年生の時に見ていた近所の老人たちの風景を理解できない人が大多数なのである。『魏志』の編者が「壽考」を「平均寿命」の意味で用いているはずがないが、これを「平均寿命」の意味でとらえてしまう人がいるから困るのだ。寿考=長い寿命→長い平均寿命、というように連想し、「当時、80歳、90歳の平均寿命などあるはずがない」という“平均寿命”連想病にかかってしまうのだ。

  先述したように、江戸時代にも奈良時代にも80歳を越えて百歳くらいまで長生きする人たちがおり、邪馬台国の時代にもそのような人たちがいたということである。繰りかえすが、乳幼児期を無事切り抜け中年にまで達した人たちはかなり長生きをしたばあいもあるといってよい。

 これに対し、現代的常識で当時の人の寿命がこんなに長いはずがないから、当時は、1年を2年(ひと春で1年、ひと秋で1年、合計2年)に数える二倍年暦を使っていたのであり、倭人の寿命も半分にして考えるべきだという人がいるが、これは「寿命=平均寿命」という誤った連想と「平均寿命が30歳なら80歳、90歳の老人などいるはずがないし、まして百歳老人などいるはずがない」という思い込みによって生じた失考であると断言してよい(「平均」をとるということも大切な意味を持つ場合もある。「平均」がすべて悪いといっているのではない。念のため)

 

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  平均寿命をある集団の平均的生命力の高さと見るなら、流産や堕胎の増加はその集団の生命力の弱まりを示していると考えられるから、当然、平均寿命を算定する時の数値の一つに数えてもいいはずであるが、これはなされていない。これは余談になるが、すこし述べておきたい。国家間の比較をするばあい、国民総生産(GNP)や国内総生産(GDP)や経常収支などの経済指標がよく持ち出されるが、平均寿命が問題になるときもある。私は以前、都市(または、国家)の崩壊度(健康度)を表そうとしたことがある。その場合の指標は、人口10万ないし1万に対する次のようなものがその指標として考えられる。

失業者数  病気などの自然死件数 殺人件数 事故死件数 自殺件数  堕胎件数  流産件数 犯罪(殺人を除く)件数 火災件数  高校以上の退学者数 小中高でのイジメ件数 市民流出(国籍離脱、難民などになり流出)件数  平均寿命 出生件数(出生率増減度)      

これらに軽重をつけながら数値化し、合計点で崩壊度を示すのである。しかし、マイナスの要素を考えることはあまり気持ちのよいものではないし、その他むずかしいことが多すぎて途中でやめてしまった。日本は太平洋戦争で300万人以上の戦死者を出したが、その時が国としての「崩壊度」は最大であったろう。     (2022年3月27日記)

(*注1) なぜ、奈良時代や江戸時代の方が百歳老人の比率が1970年(昭和45年)より3倍もあるのか?これは、たまたま、こうなっているのではなく、戦後に普及してきた高度の現在医療による過度の診療や投薬が(いや、ひょっとしたら、明治以降、急速に普及した欧米医学の不適切な治療が)本来なら百歳を超えるはずの高齢者の寿命を縮めた可能性があるのではないだろうか。これは明治元年以降の百歳老人の比率を調査すればわかると思われる(私はできないのでどなたかにやってもらえればと思います)。  *1996年から百歳を超える老人の比率が急激に増加してきた理由は、医学療法の進歩ではなく、1980年代後半から、健康と長寿のための最新の栄養学の知識が急速に広まってきたからであろう。健康を維持していくためには微量栄養素(ビタミンとミネラル)を不足なくとることと、タンパク質は植物性(大豆など)だけではなく動物性タンパク質(肉、魚)もとることが必要だという知識が広まったためであろう。(90歳以上の)長寿者には肉をよく食べる人が多いことも統計的調査でわかってきた。これらの知識が現在、日本で百歳老人が非常に増加している原因であると思われる。医療技術の進歩と見なされているものは、人々の健康や病気の治療に役立ち寿命を延ばすことに貢献するものと、逆に人々の健康のを害し、寿命も縮めるものとに分かれるように思われる。先述した夕張地区やイスラエルの例からわかるように過度の医療(金儲け主義)がはびこれば人々の寿命を縮めることになる。(この部分、2022年3月29日追記)

(*注2)欽明天皇は531年に即位し、571年に没したと私は考えている。この即位年の“531年”は“辛亥年”であり、いわゆる「辛亥の変」の年とする研究者も少なからずいて欽明が即位した年とは考えない者もおり、日本書紀の編者は欽明天皇の即位は「540年」としている。が、欽明天皇の没年に関しては諸家571年とすることに異論はない。上記の文中で欽明天皇を「6世紀後半に在位した天皇」としたが、これは正確ではない。欽明天皇の在位期間(治世)は“531年から571年”と私は見ている。日本書紀の540年のところに「秦人、漢人らの帰化人の戸籍を編む」との記述がある。辛亥の変については私のブログ「中国はいつ国家崩壊するか」の注の中に説明がある。(2022年5月9日追記)

 

 

 


医薬保政複合体

2022-01-10 18:39:19 | 時事問題

 医・薬・保・政 複合体

―― 世界の医療関係組織の闇 ――

永井津記夫 (ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 gooblog『さむらい小平次のしっくりこない話』の12月1日のブログ「少し落ち着け“尾身クロン”いや“オミクロン”」にコメントを書かせてもらい、“製薬・医療機関複合体が暗躍してこのコロナ危機の世界をつくり出しているのではないのかと述べました。また、ツイッターでも発信しました。日本語で書いたのですが、英語でも発信すべきだと考え、英文でも発信しました。それらを敷衍し、このブログでは世界を覆いつくしているコロナ危機をもう少し掘り下げて考察したいと思います。

 

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  私が、「コロナ騒動」を見ていて思うことは、コロナを煽るメディアはどこ(だれ)から利益を受けているのか、それに協力する (頭の程度が疑われる悪意をもって日本国民を〝脅す)医師などのコメンテーターはどこから利益を得ているのかということである。

  もちろん、メディアは視聴率を上げることから得られる利益を考えているのであろうが、国民から視聴料をもらっているNHKまでも民放と歩調を合わせてコロナを煽ってきた。PCR陽性者を感染者と言いかえてコロナが蔓延しているかのように報道を続けてきている。

**いつも思うことは、PCR陽性者はツベルクリン反応陽性者とどうちがうのか。ツベルクリン反応で陽性と判定されても過去に結核菌に感染したことがあるということで、結核感染者とはならず、隔離されることはない。私は小学生の時、ツ反が陽性にならず、3回か4回BCG注射を打たれてやっと陽転したことを覚えている。

  今、世界には医師会等の医師の組織を抱き込み利益拡大を図る製薬会社と、米国FDA(米国食品医薬品局)を中心とする各国の医薬品等の管理組織および保健組織と、保健組織の親玉のWHOと、DSをボスとする各国政府機関による“医・薬・保・政”複合体による世界的医療関係搾取機構”ができているような気がしてならない。

  コロナ危機の中でワクチン開発を続ける米国のファイザー製薬の側面援助をするかのように、米国等は、コロナ肺炎(武漢肺炎)に有効とされるイベルメクチンヒドロキシクロロキンを医師でも普通には使用できない状況をつくり出していた。WHOもこれに加担していた。

**WHOは、イベルメクチンについて新型ウイルス感染者の治療には使用するべきでないとの見解を示し、治験以外では「症状の度合いや期間にかかわらず、いかなる患者にも」使用すべきではないとした。抗マラリア薬の「ヒドロキシクロロキン」も新型コロナウイルスの予防薬として使わないよう「強く勧める」と発表していた。

  日本の抗インフルエンザ薬アビガンもインフルエンザだけではなく、コロナを含めて他のウィルス性の感染症に有効だと考えられるのに、一般医師の判断ではインフルエンザにも使えない状況を日本の厚労省と薬事審議会は(だれに命じられているのか)つくりだしている。が、タミフルというスイスの製薬会社の抗インフルエンザ薬はかなり(危険な)副作用を起こすこともあるのに(インフルエンザにかかった高校生が服用し精神錯乱を起こし4階から飛び降りて死亡したなどの副作用の報告がある)、一般医師が処方できる薬となっている。

    アビガンは催奇性があるということで“危険視”されている面があるが、あらゆる薬は適量を誤れば基本的には“毒”であり、下手に使えば妊婦は流産を起こしたり、奇形児を生むことにもなる。現在、妊娠中は全ての薬を飲まないように(控えるように)という指導を医師は行なっている。酒や塩などにも“致死量”がある。“塩”を大量にとって死亡した人は聞かないが、酒を大量に飲んで(飲まされて)死亡した話は時々問題になることがある。アルコール中毒の母親から奇形児が生まれた話は時々耳にすることがある。アビガンのジェネリック薬はロシアで認可され医師の処方があれば薬局で買える。よく効く薬はうまく使えば感染症の救世主になりえる。へたに使えば副作用で深刻な被害をもたらすことがある。

  薬剤でも食品でも使い方を間違えれば死を招いたり、奇形児を生み出すこともある。日本でも大問題となった“サリドマイド奇形児”は、サリドマイドを開発したドイツの製薬会社が「サリドマイドを妊婦が使うと奇形児を生むことがある」ことをまったく知らずに「妊婦にも安全な睡眠薬」として販売したことが最大の原因であり、日本では「イソミン」という名前で、“つわりでよく眠れない妊婦にも安全な睡眠薬”として、テレビ、新聞で大々的に宣伝して売り出された。そのため、つわりでよく眠れない妊婦などが服用しサリドマイド奇形児が生まれたのだ。

  1961年11月に西ドイツのレンツ博士が新しいタイプの奇形の子どもたちとサリドマイドとの因果関係があると警告し、その後すぐヨーロッパでは、薬の製造・販売が中止され、回収が始まったのに、日本の厚生省は、レンツ警告を無視し何ら対策をとらず、日本でもサリドマイド奇形児が報告されるようになった翌年9月に販売停止と回収を命じた。ヨーロッパでの警告後の即時の販売中止を考慮せず、10ヶ月もサリドマイド(イソミン)の販売を続けさせたことが大問題なり、当時の厚生省は激しい非難を受けることになった。この事件は厚生省(厚労省)のトラウマとなっているように思われるが、今回のコロナ騒動では、厚労省管轄の“薬事審議会”の委員たちはこの厚生省以来のトラウマを利用し、外国の製薬会社に有利になるようにアビガンなどの日本の“安価で優秀な薬”を普通の医師が使用できないようにしているのではないか、と私は疑っている。

  国民の生命、世界の人々の生命を救うために“安価でよく効く薬”を普及させる、少なくとも一般医師の判断で処方できるようにすることが医療関係者の務めであると思うが、何らかの利益供与を受けているのか、厚労省も薬事審議会もアビガンを一般医師の判断で使える薬にはしようとしない。催奇性があるなら、妊娠の可能性のある女性などに用いなければよいだけだ。他の薬局で販売されているような薬でも妊娠中の女性が用量を間違って服用すれば流産を起こしたり奇形児を生む可能性がある。薬品はアビガンにかぎらず用法、用量を間違えれば普通の人にとって“毒”となり、危険であるが、とくに妊婦などには危険なものとなる。

**サリドマイドはサリドマイド奇形児事件のあと禁止されたが、多発性骨髄腫というガンの特効薬として、ハンセン病の治療薬として再び認可されている。妊婦に最悪の結果をもたらした危険なサリドマイドはその“特異な威力”から再認可されたのである。『アビガンとサリドマイド奇形児』という私のブログに書いたように、サリドマイドは遺伝子レベルで作用する薬なので素人考えであるが、「武漢肺炎ウィルス(コロナウィルス)」にも遺伝子レベルで作用してその増殖を抑える働きがあるのではなかろうか。

  が、武漢肺炎などの伝染病で生きるか死ぬかの人に対して有効と思われる薬は医師の判断で使えるようにすべきで、外国の製薬会社やWHOなどの意向でその使用が妨害されることがあってはならない。医・薬・保・政複合体が特定集団の利益のために日本の厚労省の官僚や薬事審議会の委員を籠絡して巨大な利益を上げて日本国民の利益を損なう状況をつくるのをゆるしてはならない。

  アビガンは抗インフルエンザ薬として開発されたが、このような安価でウィルスに威力を発揮する薬が出回っては困る勢力が、この薬が出回り一般医師が使用できるようになると他の薬が売れなくなるためか、今までも日陰の存在にして、その状態を継続させている。タミフルというスイスの製薬会社の抗インフルエンザ薬は、かなり副作用があり危険な薬であるが(患者が服用後、精神錯乱を起こし、4階から飛び降りて死亡というような報道が時おりある)、インフルエンザに有効ということで一般医師の判断で(患者の同意のもと)使える。この薬を妊婦に使えばどうなるか、おそらく、どの医師も妊婦には使用することをすすめないだろう。なぜ、アビガンをタミフルと同じ扱いにしないのか?

  世界には戦争が起こることを喜ぶ(戦争が起こらなければつくり出すこともある)“軍産複合体”という怪物が存在すると言われている。が、日本の軍事予算は人件費を含めて5兆5千億円(武器の予算は3兆円に達しない)ほどであるが、これに対して医療関係予算は42兆円(医薬品関係は約11兆円)を超えている。つまり、軍産複合体は日本に対して3兆円(弱)の金額の“武器”を売りつけているのであるが、“医・薬・保・政 複合体”は日本に10兆円を超える薬品を売りつけることに成功している。つまり、軍産複合体も横で小さくなるような巨大な金を“医薬保政 複合体”は日本から稼ぐ(巻き上げる) ことに成功しているように見える。

  日本には国民皆保険制度があり、高価な薬でも保険適用を受ければ簡単に巨大な利益を上げることができる。これを利用し高価な薬を保険適用にするように日本の許認可権を持つ機関とその構成員、委員等に働きかけて、“医薬保政複合体”は日本で巨額の利益を上げているのだろう。

  “薬好き”の日本人に目を付け、日本の製薬会社を乗っ取り(買収し:※武田薬品などは外国資本が入り社長もフランス人で外国企業の買収という形で武田の有する7兆円という巨大な金が日本から流出した)外国の高い薬を日本の皆保険制度を利用して(保険適用を受ければ非常に高価な薬も需要があれば簡単に売れるので)荒稼ぎしているのがこの「医薬保政複合体」に所属する欧米の製薬会社ではないかと私は考えている。

 

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  以下は「医薬保政複合体」について私が英文でツイートしたものです。

 

1) It is said that there is a monster in the world called “military-industrial (-political) complex” which wants wars to happen or even creates them if none happen. Likewise, there seems to be a medicine-makers-with- doctor-associations & health-organizations & political complex

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              @PolcaDorka ·
   I just talked to my best friend who works in one of the biggest hospitals in NYC. He said that his hospital is EMPTY and there is NO surge of patients with Omicron or any kind of Covid variants. The government is lying to us!
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2) (hereafter medicinical-healthical-political complex) in the world which wants such diseases as corona to prevail all over the world or even creates them if none occur. The complex gets a vast amount of money by controlling not only the medical and health organizations of all 

  

3) the major countries but also their governments and mass & SNS media. The main members of the complex are, I suspect, big medicine makers (like Pfizer etc.) with doctor associations, FDA, WHO, and DS. You should destroy this complex to make the world reasonable and peaceful.

 

 

 

 

 

 


常温核融合とStap細胞

2021-11-11 22:15:57 | 時事問題

常温核融合とStap細胞

成功のカギはバイオ触媒か

永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 

  ユーチューブ「高橋洋一チャンネル」2021/11/04『第313回COP26の意味とは?科学的に正しいかよりも世界の潮流に乗る方がよい!』の中で核融合の話が出てきました。核融合は高市早苗氏も自民党総裁選において「核融合」に言及し「小型核融合炉開発を国家プロジェクトとしたい」との持論を展開していました。“核融合”は現段階では難しいようですが、「核融合の研究者たちが考えていないことが一つあるのではないか」と1989年に常温核融合の成功のニュースが流れその後、立ち消えになった時に思ったことがあります。それは「バイオ(微生物など)」の力を利用するという考えが欠落しているのではないかと考えたのです。全くの的外れの考えかもしれませんが、もし、研究していない分野だとしたら、一度、研究してほしいものです。

 以下は私がコメント欄に投稿した文章です。

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**核融合をクリーンエネルギーとして利用するのは現段階では難しいようですが、人間の体内では原子転換がおこなわれて葉緑素(緑黄野菜)から血液のヘモグロビンが作られているという説があります。つまり、機械的、物理的手法のみで核融合を起こそうとすると非常に困難が伴いますが、これにバイオ(微生物などの生物)を組み合わせれば核融合、しかも低温常温に近い温度)が可能になる道があるように思います。生物(微生物)は一種のブラックボックスで我々が知らない(無限の)能力を秘めている可能性があります。

  微生物を活用した常温核融合はあまり研究されていないように思われますが、日本は味噌や醤油などの発酵食品が得意であり、物理学者と微生物学者が共同研究することでバイオの低温核融合が生まれないかと思っています。

追伸:1989年に“常温核融合”に成功との報道が流れましたが、小保方氏の“Stap細胞”と同様に、再現性がなく否定的意見が主流を占めるようになりました。が、これらの研究者がほとんど考慮していないように見えるのが不純物(何らかの化学物質、または、微生物)の混入の有無ではないかと私は以前から考えていました。つまり、化学物質的“触媒”バイオ的“触媒”です。私は科学の研究者ではないので自分の見解、または役に立つかもしれない“アドバイス”を発表する場を持ちませんが、科学的な事柄には強い関心をもっています。

  1989年当時の“常温核融合”の研究者は溶液中に不純物が混じっていたので、“常温核融合”が起こったなどと考えたことなどなかったと思います。この“不純物(何らかの化学物質、または、微生物)”によって常温核融合の現象が生じていると考えて、その不純物を追求すれば常温核融合が成功するかもしれません(Stap細胞も、です)。ノーベル賞を受賞した江崎玲於奈博士の江崎ダイオードもゲルマニウムに不純物を添加することによって完成(成功)しました。

  故 千島喜久男博士『血液と健康の知恵』(地湧社刊)の中で「発酵食品の利用と微生物による原子転換、栄養素の合成」という小見出しの文章の中でフランスのLouis Kervin 博士の原子転換説に言及しています。千島氏やKervin氏をトンデモ学者と揶揄する人もいますが、人間や生物が絡むことは一番解明が難しいように思います。もちろん、宇宙をとりまく物理現象の解明も難しいのですが、人間や生物が介在するとそれが一種のブラックボックスとなり、さらに解明が困難となるようです。医学は人間という存在を取り扱い未知の部分が無数にあり、それがガンなどの難病を克服できない大きな原因でしょう。人間の感情、気持ちが絡む“心理学”や“経済学”が科学ではないと言う人もいるのは人間というブラックボックスの解明ができていないからです。昭和40年代には「あと20年でガンの特効薬ができる」と言われていましたが、肺結核に対するペニシリンやストレプトマイシンのような特効薬はいまだ開発されていません。“人間”は難しいのです。

  千島博士は『血液と健康の知恵』の中で「8大原理」を提唱し、第1~第7までは“生命医学(生命科学)”に関する原理ですが、第8原理は物理学や化学や生物学だけではなく、言語学や社会学にも応用すべき重要な考え(原理)だと思います。科学を志す研究者は必読の内容だと思います。

  アインシュタインは相対性理論などの自分の“仮説”を他人からとやかく言われるのを避けるため「原理(principle)」と称しましたが、千島博士の考えは“原理”と呼ぶにふさわしいものだと私は考えています。

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 以上が私のコメントです。 2021年11月11日記)