十三スポーツ

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母の日企画2 『オカン、ごめんな…』

2010年05月09日 11時14分56秒 | 日記
母は5年前に他界した。

肺ガンだった。

「もって半年ですね」

医師からそう告げられた時、私は何度もほっぺたを叩いた。

夢であってくれ!夢ちゃうんか!なんでオカンやねん!

結婚してからというもの母は家族のためだけに生きてきた。ようやく自分のことが思う存分できる日が来たというのに…。

長男の嫁になった母親は義理の両親と義理の弟妹と暮らす窮屈な生活。最後まで家に“残った”祖母は昔ながらのキツイ人。エキサイトすると母親のことを意味なくののしった。私はそんな祖母とよくケンカをした。あれだけ頑張っている母を責めるのが許せなかったからだ。

母は家族のため、家のために人生を捧げた。洋服もほとんど買わず、化粧品も買わず、昼はパートに行き、夕方帰ってはみなが寝てからも働く…。家族全員が母に甘え切っていた。それがつもりにつもって、死期を早めたのかもしれない。

母は自分を苦しめまくった祖母を死ぬまで面倒を見きった。何度入院しても毎日通い詰め、食事からシモの世話まですべて完ぺきにやり切った。同じ女としての意地だったのかな。

祖母が死んで実家は両親だけになった。

父は会社を早期退職し、ようやく訪れた平穏な日々。しかし、それも長く続かなかった。1年後、母の病気が発覚したのだ。

最愛の母にあと半年しか会えない。しかし、日々弱っていくその姿を見るにつれ、段々と耐えられなくなっていった。モヤモヤを晴らすために毎日パチンコに通い、酒をあおる日々。毎晩のように夢でうなされた。病室に通う日数はどんどん減っていった…。

私が母親にできる最後の親孝行は、結婚して少しでも安心させてやることだけだった。気持ちの固まっていない彼女に無理を言って結婚式を挙げた。母親は式のビデオを病室のテレビで見て喜んでいた。息子の結婚式に出られない悔しさを噛み締めながら…。

母親が亡くなり、葬式の準備が始まった。どこに何があるか、何をどうしたらいいか、父親も弟も私もオロオロするばかり。「オカンに聞けばええねん」。「こんな時にオカンがいてくれたら…」。何度そう思ったか。情けない男3人は感情を抑え切れず声を張り上げてケンカした。祭壇でオカンは泣いていただろう。

家をかたづけているといろんなノートが出てきた。死ぬことを覚悟し残していくダメ男3人のためにいろいろ記したものだ。特にオヤジは独り身になる。オカンは死を覚悟してまで世話を焼き切った。

あれから5年たったが、1冊のノートだけはいまでもじっくり見ることができない。闘病日記。「きょう久しぶりに来てくれた。イチゴとバラ寿司を持って。ノドが詰まってあまり食べられなかったけど、うれしかった」。オカンは俺がくるのをすごく楽しみにしていたのだ。なんでもっと病室に通わなかったのか。いま思い出しても悔しくて情けなくて涙が出てくる。

オカン、ごめんな…。

あれだけ世話になったのにな。

生まれてこなければよかったなんて言ってごめんな。

ホンマ、ありがとうな。