十三スポーツ

大阪発・男の本音満載!楽しさ&自由な新感覚ブログ空間を皆でクリエイトする『ジュウスポ』です。

あと少しだ!イソヤン先輩

2009年07月31日 21時20分42秒 | 日記
佐賀県内の病院で再手術(詳細はhttp://blog.goo.ne.jp/13sport/e/5eb8853d51ff7a78fa01d693e84c6d03)を終え、〝充電中〟のイソヤンさんから、ステッカーが届いたお礼のメールが届きました。


今日ステッカー届きました。ありがとうございます。早速担当看護士さんに配り
ましたよ。彼女も読者の仲間入りです。今日は痛みも歩かない限りありません。
皆さん、沢山のあたたかい激励本当にありがとうございます。



おっと、何げに笹川賞Tシャツですか? さすが、どんなときも競艇を忘れておられないようです。ついに白衣の天使まで読者に加わったジュウスポ。これからどんなムフフな展開が待っているのでしょうか?


最後に業務連絡です。

津競艇の予想コンテストでGⅠ覇者となったばーどさん。あとKKさんとチンゲスカンさんに加藤綾選手サイン入りポスターが届きました。ばーどさんには、坪井康晴選手のサインも入っています。

それから、第2回ジュウスポカップを制したアヘヘさん。警報さんが人脈を駆使して集めた若松グッズが届きました。

どちらも十三のいつもの場所に預けてあります。お立ち寄りの際に持って帰ってください。

心の友、武田光史~その1~

2009年07月31日 16時47分38秒 | 競艇
この年になって身長が1・4センチも伸びたM記者です(体重は5・5キロ増、つまり頭頂部に脂肪がついたんやね…)

本日の住之江優勝戦にわれらがミツ親分が2号艇で登場します。

住之江は子供の頃、オヤジさんに連れられていった思い出の場所。そこで優勝するのが夢の一つでした。みなさん、スタンドからパソコンの前からパワーを送ってあげてくださいね。

まだ駆け出しの頃の尼崎ピット。「ミツ!森本ちゃんが写真撮らせてほしいんやって」。斉藤寛人がそういうと武田は怖い顔でこっちを見ました。当時の武田は記者嫌いといわれていました。そんな彼がなぜ私に心を開いてくれたのか。競艇が大好きで競艇に生涯をかける!という決意がいつしか伝わったのか。恥ずかしいので本人には聞けません。年に何度も会いませんが、私は心の友だと思っています。武田がどう思っているのかは知りませんよ(笑)


彼と初めて会ったのは本栖の72期卒業記念。競艇界は72期から新たなシステムをいくつか取り入れました。1年2カ月への養成期間延長、デカペラ使用、モンキーターンの授業、そして優秀選手表彰3人へのB1あっせん等です。

武田は途中までトップ級の勝率をマークしていました。しかし、ある事情から勝率を下げざるをえなくなり、優秀選手表彰の夢はついえた。「こうなったら意地でも卒業記念で優勝してやる!」。無謀ともいえる大減量。そして優勝戦では北陸の総大将・岩口昭三を思わせる鮮やかな鋭差し!表彰台の真ん中に立った武田は涙ぐんでいるようにも見えました。ちなみに見出しにもなった“鋭差し”という表現はこの時初めて世に出たものです。

卒業後、彼のもとには取材が殺到。地元の放送局からも依頼がありました。北陸初の本栖王者という快挙。さらには異色の経歴。中学生の時に全国カルタ大会で個人優勝。高校では団体2位。マスコミが放っておくわけがありません。

しかし、それらの過剰な期待がプレッシャーとなって19歳の青年を追い込んでいきました。デビュー節でFを切り、その期はF2(事故率1・28)。2期目もF2で事故率は1・82。クビも覚悟しなければならない状況にまで追い込まれたのでした。

当時を振り返ってこんな話をしてくれたことがあります。「エンジンは全然出てないのに本栖チャンプというだけで人気になる。父親が競艇ファンだったので舟券を買ってくれたお客さんの気持ちは痛いほどわかった。だからスタートで無理するしかなかった。もしFを切ってもお客さんにはお金が戻ってくるんやから」。お客さんの期待は裏切れない。しかし、まともにやって勝てる力はない。なら、危険をおかしてでも自分を犠牲にしてでも行くしかない…。ここまで客のことを考えてくれる選手はいないと、その時思いました。

クビの危機を回避し、4期目には6・10で初A級。7期目には6・93で初A1級と素質が開花し始めました。三国初のSG「MB記念」にも選出されるだろうと言われていましたが、施行者は勝率順ではなく、登録番号順に上から選出しました。私にとってもまさかの落選…。本人もガックリしたに違いありません。今垣光太郎はそのMB記念がSG初舞台(予選落ち)。後に今垣は私にこんな話をしてくれました。「成績も大したことないのに施行者さんに選んでもらって…いま自分があるのはあれが大きかったですね」。“明暗”とはまさにこのことでしょう。

ストーリーはまだ半ばですが、長くなってしまったので、またの機会に。選手としてだけではなく、“人間”武田光史にも迫ってみたいと思います。

※島あたるさんや鰐さんは「出待ち」するらしいので、ぴったりマークして続きを先に聞いちゃってもいいですよ。

ナメコ汁の空耳アワー(*´∇`)

2009年07月30日 22時07分22秒 | 日記
もう直ぐ地元の祭りがやってくる…

祭りはいいのだが、子供が祭りに出ると着いて歩かないとアカンので、うっとおしい
(;´∩`)


だがパッピを着た姿はたくましくなったな~と嬉しく思う
(^O^)



さて、レースネタだが、引き出しが少ないので何時終わるか解らないが知り合いには好評みたいなので頑張って書き込みしていきます(笑)



レースが終わると大概ボートの中は水浸しなんですよね~

接戦してレース終わり昇降機にて装着場に上がって待機している選手達に手伝ってもらって次のレースの艇板付けや水抜きをしてもらいます


(ナメコ)んが~ボートの中水で一杯ばい!
Σ( ̄□ ̄;)



(女子選手)
あっ!私が…

手で抜きます~
(*´∇`)



(ナメコ)なぬ…!
《手で抜く》(//∀//)


(ナメコ)た、頼むわ…
(●´mn`)


って、エロオヤジ全開でんな
(笑)

嬢日記~part2

2009年07月30日 14時12分48秒 | 競艇
津です(@>ω<)ノ★゛

和田選手
1レース1着でしたぁ~o(≧∀≦)o

しかし…道が混んでてアヘヘが着いたのは1レースの選手がゴールした瞬間でした(;_;)

9レースに期待o(><)o


津は暑いです(☆_☆;)
アヘヘの蒸し焼きができそうです…
誰か食べますか?(笑)

頑張れ!イソヤン先輩

2009年07月29日 15時41分47秒 | 日記
「バカボンのパパと同じ年になりましたね」というお誕生日メールをいただき、鏡を見たらホントに鼻毛が1本出ていたM記者です(ちなみに抜いたら白毛でした…)。

みなさんご心配のことと思いますが、イソヤンさんがきのう佐賀県内の病院で再手術を受けました。

どのような“事故”だったか知らない方のために、悪夢の出来事を振り返ってもらいましょう。

「忘れもしません。昨年7/13唐津MB大賞2日目終了後、帰宅直前の単身赴任先マンション入口まで後数歩というところでゲリラ豪雨に遭遇し、“もうすぐや!”と思った瞬間、尻餅をついて転びました。豪雨の中でもハッキリとバキッ!と音が聞こえました(骨伝導だそうです)。左足から崩れ落ち、その足首は外側に向いてました。立ち上がらねばとズブ濡れの体で立とうしたら、激痛で再びコケました。そこからはほふく前進で服がボロボロになりながら進み、マンション入口までたどり着き、自力でタクシーを呼んで救急病院に行きました。しかし、骨折の翌日しかオペ室が空かないのでその間ものたうちまわってました。正式な傷名は“ひ骨骨折”でクルブシ上から12センチのところにチタンプレートを入れて接合する手術をしました。唐津の施行者さんが選手達にも知らせてくれて、レース終了後、たくさんの選手が駆けつけてくれました。上瀧は「仕事サボってソープランドで変な体位でプレーしてたら滑って骨折った」とガセネタを吹聴し、各地のレースを終えた選手達からザマミロ!と誹謗する?激励電話が殺到したことが思い出です」

そのプレートを取り除く手術がきのうで「メッチャ痛かった」らしいです。

「さっき長溝一生が来てくれました。“イソヤンのために麻雀メンバー集めてやったバイ”とお誘いを受けました。なんちゅうヤツや!?明日は深川真二が来てくれます。見舞いに来てくれるのはとてもうれしいのですが、その後がひとりぼっちでさみしいですね。ジュウスポステッカーを枕元に置いて、ブログを楽しみに治療頑張ります!」

さすが選手に慕われているイソヤン先輩。早速、ステッカーをお送りしました。広報活動もお願いしますね~(ジュウスポは病人も使います)。遠方なのでお見舞いにいけない方が多いと思いますが、その分、コメントで激励してください。