ブログ仙岩

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自然の意志を描くー日本画上村淳之

2018-04-17 08:35:28 | エッセイ
4/13明日へのことば「自然の意志を描く」の再放送を聞いて、花鳥画は西洋画にはないと言い切った。また、中国唐の時代に生まれたものは宗教的表現、宋時代になって花鳥の写実的表現を通して精神的なものを反映する一般的となった。


上村氏はコタツで描いた絵は、余白に自然の香り、風、空気が感じられないリアリテイーが入らない。デッサンが胸中にしっかりできたとき、絵は3か月後、3年過ぎて本物になり、西洋の油と東洋の水は一緒にはならない。

また、花鳥画の本質は、文化大革命で中国にはなくなり、日本画にしか残っていない。裸体を骨格や筋肉を表現するイラストはあるが、形が描かれてリアリテイーがない。

動物園にない、280種、千5,600羽の鳥を飼育している。動物園からキジの卵を頂いて孵化させたことが始まりで、動物園の鳥と交換して増えて行った。穀物を食べる鳥はいいが、生きているものを食べる鳥の飼育が難しい。

欧州では、客観的にとらえて描くが、日本画は自分と共に遊んで描く。不忍の池には鴨がいなくなった。池の水が汚れるから追い払ったという。雄の巣作り、子育てから、洋式に似てきた日本画は自分の思い通りに描けば雰囲気は後からついてくる。何も独自性を出す必要はないと。

私は江戸初期呉服屋の長男道楽息子が尾形光琳で、弟の乾山と共に活躍した日本画家、国宝「燕子花図屏風」は日本画の代表で、自然と余白の傑作で、緑青・白緑・群青だけで、下の葉先はかすれで枯れ葉をだし、伊勢物語のロマンが隠された描写は心憎い。