野党のみならず与党内部からも厳しい批判にもさらされる中、菅直人首相から飛び出した「脱原発宣言」。結局個人的な思いを語ったということになったようだ。
この脱原発宣言だけでなく、浜岡原発の停止や自然エネルギー促進法の制定、発送電分離などの実現に「執念」を燃やしている。
思いつき、政権延命策などなどの批判の一方で、従来からの脱原発に取り組んできた人たちの中には、首相の脱原発に期待を寄せる声も多々見られる。
確かにこんな総理大臣ははじめてだし、民主党自体、原発容認の中で政権の座についたわけだから、政策転換への大きなチャンスかもしれない。
社民党・福島党首も英断と絶賛しているそうな。
手続きや手法にこだわる前に、「脱原発」、「脱原発依存」にベクトルが向いているならば力を合わせる、その方向で議論を深よう。いまこそ脱原発社会の実現を!という考えを頭から否定するわけではない。
だけど、先日の朝日の「提言 原発ゼロ社会」もそうだが、菅総理の脱原発宣言もどうも眉唾物と思えてならない。
単純な指標として、志賀原発を止める側に立つのか、再稼動させる側に立つのかということで見分けると、どちらも再稼動側としか見えないのである。
付け加えるなら、周りの人に、菅首相は「脱原発」だから応援して、とはとても言う気になれないのである。
さらに言うなら、原発は民主主義を踏みにじる中で推進されてきた。地方も国も同様である。手続き、手法をガタガタ言うなという声に対しては、やっぱり私は、甘いと言われようが民主主義のルールの中で脱原発を実現したいと思う。
菅首相の手法はとても民主主義とは思えない。
そんな中、「たんぽぽ社」からのメールニュースにこんな投稿があった。
投稿者は菅首相に淡い期待を寄せているようであるが、私はまさに菅首相は「なんちゃって脱原発」政治家と思える。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「なんちゃって脱原発」にご用心!―源八おじさんより
聞くところによると、国民の8割ほどが脱原発を支持しているとか…。
最近は、かつて推進派だった政治家たちも、脱原発を語りはじめました。
だったら原発を止めてもよさそうなのに、なぜ原発は止まらないのでしょうか?
それは、「なんちゃって脱原発」のせいなのです。
原発推進派の政治家にとって、世論が「脱原発」に傾いている以上、真っ向から
原発推進はできません。
とりあえず「脱原発」のフリをして、支持を得ようとしているのです。
彼らの言い分はこうです。「長期的には脱原発が望ましい」
「しかし、すぐ原発を止めると電力不足になる」
「自然エネルギーで代替するにはコストと時間がかかる」
「それまでは原発を併用しつつ、段階的に…」という論法です。
こういうことを言っている政治家は、「なんちゃって脱原発」です。
だって、原発はなくても充分電気は足りているのだから、自然エネルギーの代替
を待つ必要はありません。
即刻原発を停止しても、何の問題もないはずです。
「なんちゃって脱原発」政治家の真の目的は原発の延命です。
時期が来たら「脱原発?そんなこと言ったっけ?」と開き直り、「やはり原発し
かない」と推進するのは目に見えています。
今、国民は、政治家の言う「脱原発」が、本当の「脱原発」か、「なんちゃっ
て脱原発」かを見極めなくてはなりません。
さて、菅直人首相の言う「脱原発」は本物でしょうか?
それとも「なんちゃって脱原発」でしょうか?
それは私にはわかりません。
ただ、経済界や民主党内部が「菅降ろし」をしている現状を見ると、菅首相は彼
らが嫌がることをしようとしているのだなとは思います。
この脱原発宣言だけでなく、浜岡原発の停止や自然エネルギー促進法の制定、発送電分離などの実現に「執念」を燃やしている。
思いつき、政権延命策などなどの批判の一方で、従来からの脱原発に取り組んできた人たちの中には、首相の脱原発に期待を寄せる声も多々見られる。
確かにこんな総理大臣ははじめてだし、民主党自体、原発容認の中で政権の座についたわけだから、政策転換への大きなチャンスかもしれない。
社民党・福島党首も英断と絶賛しているそうな。
手続きや手法にこだわる前に、「脱原発」、「脱原発依存」にベクトルが向いているならば力を合わせる、その方向で議論を深よう。いまこそ脱原発社会の実現を!という考えを頭から否定するわけではない。
だけど、先日の朝日の「提言 原発ゼロ社会」もそうだが、菅総理の脱原発宣言もどうも眉唾物と思えてならない。
単純な指標として、志賀原発を止める側に立つのか、再稼動させる側に立つのかということで見分けると、どちらも再稼動側としか見えないのである。
付け加えるなら、周りの人に、菅首相は「脱原発」だから応援して、とはとても言う気になれないのである。
さらに言うなら、原発は民主主義を踏みにじる中で推進されてきた。地方も国も同様である。手続き、手法をガタガタ言うなという声に対しては、やっぱり私は、甘いと言われようが民主主義のルールの中で脱原発を実現したいと思う。
菅首相の手法はとても民主主義とは思えない。
そんな中、「たんぽぽ社」からのメールニュースにこんな投稿があった。
投稿者は菅首相に淡い期待を寄せているようであるが、私はまさに菅首相は「なんちゃって脱原発」政治家と思える。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「なんちゃって脱原発」にご用心!―源八おじさんより
聞くところによると、国民の8割ほどが脱原発を支持しているとか…。
最近は、かつて推進派だった政治家たちも、脱原発を語りはじめました。
だったら原発を止めてもよさそうなのに、なぜ原発は止まらないのでしょうか?
それは、「なんちゃって脱原発」のせいなのです。
原発推進派の政治家にとって、世論が「脱原発」に傾いている以上、真っ向から
原発推進はできません。
とりあえず「脱原発」のフリをして、支持を得ようとしているのです。
彼らの言い分はこうです。「長期的には脱原発が望ましい」
「しかし、すぐ原発を止めると電力不足になる」
「自然エネルギーで代替するにはコストと時間がかかる」
「それまでは原発を併用しつつ、段階的に…」という論法です。
こういうことを言っている政治家は、「なんちゃって脱原発」です。
だって、原発はなくても充分電気は足りているのだから、自然エネルギーの代替
を待つ必要はありません。
即刻原発を停止しても、何の問題もないはずです。
「なんちゃって脱原発」政治家の真の目的は原発の延命です。
時期が来たら「脱原発?そんなこと言ったっけ?」と開き直り、「やはり原発し
かない」と推進するのは目に見えています。
今、国民は、政治家の言う「脱原発」が、本当の「脱原発」か、「なんちゃっ
て脱原発」かを見極めなくてはなりません。
さて、菅直人首相の言う「脱原発」は本物でしょうか?
それとも「なんちゃって脱原発」でしょうか?
それは私にはわかりません。
ただ、経済界や民主党内部が「菅降ろし」をしている現状を見ると、菅首相は彼
らが嫌がることをしようとしているのだなとは思います。
原発論争を再び珠洲市に巻き起こして住民対立を煽りたいのか?
原発事故を喜んでいるのは実はあなたがたではないのでしょうか?
結果的に事故のおかげであなたがたが望んだ「反原発」機運が高まった。
あなたのブログは市会議員としての発言を逸脱している。
珠洲を再び対立に持ち込みたいのであれば、私たちはリコールも検討していく。
実際に珠洲ではもう終わった議論を未だに持ち出して市政発展より優先させている。
北海道のヤミ献金事件があったように
「平和運動センター」
「日教組」
「反原発グループ」
についてあらゆる手段でどんどん取り上げる。
福島の事故では汚染水処理だけでも最低数兆円ともいわれています。
脱原発でこれからはそんな利権も縮小するのかと思っていたら、国の第一次補正予算に「ネット上の不正確情報の監視」として八千三百万円を計上が計上されています。
資源エネルギー庁は従来から原発についての新聞記事の監視を外部委託していたそうですが、それを縮小し、一般市民がツイッターやブログなどを通じて発信する情報の監視に重点を置くそうな。
世論調査では、国民の7~8割が脱原発だそうですから、さすがお役人は賢いですね。これからは脱原発を利用したこんな「原発利権」の時代かもしれません。