いろはにほへと。。。

日々の出来事ブログ.

守らねばならぬ日常

2011-03-30 14:48:52 | 東北地方太平洋沖地震
地震と津波での恐怖を感じてから家で自分の部屋で寝てるのにそれでも落ち着かず
今まで無防備に生活していた事を実感。

その時我が家は懐中電灯は電池が心許無い状態でした、急いで電池をと思ってもどこにも無い!
やっと見つけたのはスーパーの店頭での販売で、余分にも買えず買えただけいい方でした。

家で寝ていて思うに飛び起きていつ表に出てもいいように、そう準備が必要と

そこで懐中電灯をひとり1個は必要と、我が家にあったのは2個

そこへどこで避難していたか行方知れずでいた息子が3日ぶりにやっと家に来た。
息子はなぜか小さなLED電灯を3個持っていた、なぜか懐中電灯が多くあると気も落ち着く
  

度々起こる余震の恐怖の中では何も持たずに飛び出してはまた取りに戻るようになりそうと、
懐中電灯と携帯は充電したまま枕の傍に置き、玄関の出口にはコートを掛けておき、それと一回分の着替えの服と下着、シャツ、靴下などを入れたバックも玄関に置いた。
この懐中電灯はラジオ付き(左)、一晩中ラジオのニュース報道を聴きながら合い間に入る静かな曲に癒される事も、深夜のラジオを聴くことなんてなかったこの頃では眠れぬ冴えた頭と心に染み入った。
中心のも懐中電灯、これは携帯電灯でLEDタイプ、口紅より小さいサイズでバックに入れて置くには重宝
右のは庭に刺しておけばいいだけのソーラー外灯、今回は自分では後から聞いたのでやらなかったが、懐中電灯が無い場合このソーラー外灯を真っ暗な家の中に置くと意外と明り取りになるらしい!
昼間に太陽熱を蓄熱し夜になれば回りを照らすソーラー外灯にいち早く気づいた人がいたんだとか!
私も庭に細長いのを2本刺していたけど全く気づかなかった・・;
なので明かりの度合いを見る為に追加で買ったのが頭が黒い色の2本、大きさも違うが大きい方が明るいのは当然でした。意外と明るいのにもちと驚き。

              

このバックに1回分の着替えなど入れて置いた。
下着の類からスポーツウエア上下、タオル2本、必要な薬、化粧品の諸々、他
このバック地震の前日、そう10日に買ったばかり、実は15~16日に箱根まで旅行に行く予定でした!
私の兄弟姉妹達の年が上の方の者達が老い先短くなたから今の内に全員元気なうちに旅行しようと言い出した。
下っ端の私らには興味はイマイチだったが一応賛同して取り決めたのが今回の箱根旅行でした。
でも日も迫ってまさかの大地震で中止となり、またこのバックに避難用品をいれて準備しようとは・・;
でも今日この準備はもう解放してもいいかなと思い荷を解きました。


あの地震の最中に携帯の充電はどんどん減っていく、この充電がなくなれば通話もメールも不通になる!
通話をやめてメールだけでやりとりをするも深夜には事切れた・・;

以後子供達との連絡も出来ず誰がどこに避難してるか定かでない状態が次の日一日中続いてしまった。
昨日のこと、車から充電できる車載充電器なるものを買って来た、青く光った色してるのが充電器。
以前から知ってはいても急ぐような生活をしていない今ではそこまでの必要性を感じたこともなく
買うという思いもなかったが今回は買ってなかったことを非常に後悔した。
              

車からだけでは困る事にもなりそうな予感がしますよ
ガソリン不足はいくらか緩和されたようだけどこんな不測の事態がまた来そうに思ってしまいます。
充電器も電池仕様のを用意しておきたのだが今は見つからないです。

惰性で暮らしていたのが急にあれもこれも用意をしておこうと思うようになるとは
普段の生活を見直さないとならないか

物置にある必要性のないものばかりを取って置いても仕方ないから捨ててしまいこれからの非常時のために必要な物を用意しておこうと夫に言ったのに
肝心の夫は喉元過ぎればなんとやらで返事だけは良かったがもう忘れたように生活してる。



自分達の生活

2011-03-29 13:01:23 | 東北地方太平洋沖地震
甚大な被害となった今回の地震ですが、私の地域は他の場所から見れば大きな被害にはならなかった。
津波が床上まで来た家もあるし地震でブロック、大谷石塀の崩れは目を見張った。
年代の古い塀は地震対策がなかったのだろうか、総じて崩れているように見える。

気持ちも落ち着き平常の生活になりつつある、会社には時間通りに出勤する夫や近所の人たち。
車での通勤にはガソリン問題があって思うようではないが夫は気にせず車を使っている。
物事にとらわれない性格もここまでくれば意見しても無駄。
会社まで近いんだから歩いてでも行ける距離なのに・・。


壊れたガラスコップを片してキッチンの掃除も終わり使えるコップや器を洗いなおしてしまい込んだ。
電気、水道も回復したので食洗機を一日中何度も動かしてコップや器などを洗い直してからしまった。
                     
                     お前ご苦労さんと労った


                     お前もご苦労でしたとポリタンクに
                     
これが無かったら水には相当な苦労をしたはず、
夫曰く、こんなのがこんなにあったのを知らなかった と・・;
狭い物置の中に何十年も置いてあるのにさ、気づかない程小さな物でもないのにさ・・;

今問題になってきたのがまたもや 水!
放射能汚染という水と野菜

浪江、富岡という町には家の息子二人が出張で時々行く所
二男に至ってはあの大地震の二日前に出張から戻っていたばかり
まるで他人事のようにテレビを見ている息子にお前は関係してないの?
俺は設計だから とだけの返事
あの状況の中にいないでよかったと思うしかない

東電の原子炉の事はまるで小説か映画のようだがこれは現実の事

小さな子供はいないので普通に水道水を使ってますが心配するほどの量ではないが気をつけましょうって言われてもどうしようもないのも現実。

煮沸して使おうと浄水器を通そうと無駄なよう、でも浄水器を通しながら飲む事にした。
                     
この浄水器、今から10年ほど前に夫会社の同僚が私の為に進めてくれた!?
これを使った水を毎日3リットル飲んでいれば病気は治せる!?
力説されて断れない夫はなんと35万も出す羽目に・・;

それでも以前から蛇口に浄水器をセットしていた私には抵抗はなかったがさすがに35万とは...
その値段に見合うだけの価値も見出せず10年経過、今にしてこれがあって良かったのかな?!
放射能は浄水器では除去できないと言うしなあ・・;
でも水の美味さは本物でした。
これは回帰水というもので[タ イ ヘ イ]という社名であります (検索すると出ます)
なんともいわゆるマルチという方も・・;
実際には故障などの対応は敏速でサービスも徹底してます。

なのでこの浄水器で裏の小さな畑に作ったレタス、春菊、ミズナ、そしてホウレンソウを不安な気持ちを抱きながら洗い食べてます!

          

          多分大丈夫!きっと大丈夫と思いながら・・;

     



思いがけない日常が始まった

2011-03-23 16:08:45 | 東北地方太平洋沖地震
未曾有の大きな地震がおき日本中を巻き込んだような被害となりました。
東北から関東まで太平洋側におきた最大の地震とか。

まさか海岸を東北から関東まで巻き込んだ地震があろうとは思うはずもなく
私は自分たち区域だけと思ってました。

即電気が止り水道も止り情報は無しの生活に突入し近所の誰かが津波が来るぞ!叫んでいた。

家の夫は早く車に乗れ!と叫ぶが私にはなんで車?でした。

津波が来ないうちに高台に上がるんだ!と夫は言うが

それなら裏の階段を駆け上がった方が早い!

隣家のじいさまが気になると声を掛けてみたら家の中から出て来ないので叫んで呼んだ

高台に行くように言っても家の中に戻ってしまう!説得も気が急いて何を言ったか覚えてない

高い崖の上から海を見ていた近所の人たち

津波はゆっくり序々に引いた波を引き寄せて戻ってきた

高い波ではなかったが何度も繰り返しながら段々に大きな波になり道路を川のように流れていった。

もう大きな波にはならないだろうと思った時に自分たちのこの先の事が

今夜はどうする?どこに寝るのか・・

車は夫のを乗ってきたから私のが庭にある!ポンコツでもまだ乗れる!

その時夫が言う
俺のガソリン入ってねぇ・・;

ほとんどカラの状態で、そう地震が起きるわずか30分前に帰って来たばかりの夫

なんでガソリン入れて帰って来ないのよ!と私だって怒りますよ

明日でいいやと思ったそうデ・・…


私の車を取りに戻ると言う夫に(当然)

毛布を二枚!冷蔵庫にあるすぐに食べれる物と水!物置からポリタンクも!

言われても分らない夫 なんでそんなものを持ってくんだ!

言ってるだけじゃ分らないと私も家に戻って冷蔵庫から食べれそうな物を袋に
毛布の古いのを二枚と こんなときでも古いのでないと汚れると思う根性がある
飲料水用のポリタンクは結構な数がしまい込んであった。

七輪も これは残念夏に捨てた

小学校の校庭に行けば凄い人の数

うららさんとnihaoさんに指摘された以前の記事

そうあの時は避難しないですり鉢なんぞ買って来た不謹慎な行動

でも今回は誰しも避難をしたようでとても小学校の体育館には入りきれない人の数

校庭が解放されたので思いもかけず車中泊をすることに

そう夫の車はガソリン切れで高台に置いてけぼり、私のポンコツ軽でまさかの車中泊

狭い、息苦しい、眠れない、余震ばかりのせいではないなと思った。

二日目はもう懲りたので家に帰ろうと思ってました。

でも近所の知人が教室が解放されて広く寝れるから一緒に寝ようよと言う

こんな時誘われて断るわけにはいかない親切で言ってくれてるのにと

子供達が通った小学校にまさかの寝る事に

朝起きても食事は無い! あるんだろうけどいつ出るか誰もわからない
地区内で誰かがご飯を炊こうと始まり20キロもの米を一気に炊いた
水を含んでない米はあわれ芯の残ったガンダ飯に・・;

それを見ていて思い出した、家はガスはプロパンだ!プロパンなら使えるはず

急いで家に戻り見てみたボンベはしっかりしてる、これなら使えると火を出してみた。

電気なし、水なし、でもガスだけはある!

ポリタンクに行列して貰った水は40リットル!これでご飯が炊ける!


これも以前に書いた事がある あの無水鍋!

甥が結婚した時お返しに頂いたカタログで取り寄せたあの無水鍋

これが結構なお役立ちをしました!1度に5合も米を炊いても大丈夫
良い物を選んだと我ながら自己満足。

ガスが使えるならと余震の怖さの中せっせとご飯を炊く事数回!

息子宅に、娘の嫁ぎ先、結婚して昨年近くに越して来ていた姪の家に
一日中飯炊きが始まった・・;

でも炊きたてのご飯だけしかないけどこんな時には何よりの力になると我ながらしみじみ思った。


夫には力仕事を任せた

ポリタンクは20リットルx2個、10リットルx2個、5リットルx4個ありバケツなども、
これで水を確保に奔走、助かった。


日が経つと怖さばかりでいられないと買出しに行く
これはどこもかしこも長い行列の中

そこまでしなくてもいいと早々に諦めあるものでしのごうと残り物を食べ

電気が付くのをひたすら待つのみ、水道管から水が出るのを今日か明日か待つばかり


今、大きな余震もある中での生活を余儀なくされてますが
被災地の酷さ惨さを思うと贅沢なことなど言えないです。
早くに余震がおさまり皆が平穏な生活に戻れますように。

骨折のなりゆき

2011-03-12 20:33:49 | 膠原病あれこれ
暮れに骨折した腕の怪我はようやっと残していたピン(クギのような)を
7日の診察の時にとってくれました。
説明よりちと早くなって良かったです。

残されたピンは皮膚に擦れてこれが痛いのよ(前にも同じ事をグチッたはず?)
と言う事で晴れて骨折治療は終了と思いました。

ところが医師
umiさんはリウマチよね、この先の様子も暫く診たほうがいいので6週間後にまた来てね。


え?・・・まだ終わらない・・・


全部の金具が取れても違和感があって腕に力が入らない
物を持たないように、力を入れ過ぎないように、無理に使わないようにと注意の言葉


リウマチであるから元より注意事項は同じではあるが


退院後の毎回の診察時
先にレントゲンを毎回撮り、それを見ながら
umiさんの骨はかなりもろいですね~…
次回の診察でももろいですね~…
の繰り返し

なので私の骨はそんなにもろいですか?かなりですか!
先生は言う
リウマチで免疫抑制剤使ってますよね、影響だから仕方ないけど骨のつきが悪いですね~…

通常より骨のつき具合が遅いんだとか、しっかり付くかどうか診ていないとね、だそうです
もろいと言うのは手首に関してなようで他の場所の骨のことは関知せずらしい

そこまで言われちゃ諦めの心境になりまして
時間が掛かるのは仕方ない、今年は大人しく無理をせず、あの予定もこの予定も ?あったっけ


私の担当医はかなりの美人女医さんで30代かもと思える年代
小柄な身体のしなやかなイメージなのに言う事はきつい・・;
こういう人が壊れた骨をつなぐ手術をするのかと思いながら手術中みてました。
女性だからという時代ではないけどこういう方今の時代多いんでしょうね

世代を間違えて生まれたと思うことあるでしょ?!
何様でもないけど何かが出来たかなとか漠然と誰しも思うことあると思うんだけど

今の自分はこんなんじゃなかった とか・・…
意味のない事を振り返るんじゃないと・・…







時期を逸したけど

2011-03-11 11:27:47 | 日常
先週の事を今頃とは思うけど


甲子道路(R289)に入ったら雪道となりこの先に進むほど激しい雪道を進む事に


やっと念願の宿場に到着、朝の7時半!誰の姿も見えず、駐車場のオジサンが出て来て、早すぎッペ~
格家々が開くのは9時過ぎだとか・・;
ねぎそばも食べられず早々に退散...


ただ走る事になった磐越道を磐梯熱海方面へ、雪の姿はまばらになっていた。
距離感がまったく働かない午前の時間でした。
吹雪の中の雪道を峠を越えて降りて長靴で歩いて見ただけの宿場の中
温泉に浸かり夕方帰る頃には晴れた青空、眩しい日ざしの夕日に照らされて家路に着いた。
なんなんんでしょう……ネ!



それで次の日、水戸まで観梅に行きまして、見えるのは梅園から見た千波湖
晴れた天気だったから貸しボートがかなり湖に見えます。


人出の多さに疲れたけど梅の花はこれから咲く花ともう終わっている花と
人込みの中で見る花はイマイチな感じですねぇ
ゆっくり見れる方がいいね、わがままでも

お昼に蕎麦を食べようと注文をしたら蕎麦のどんぶりの中に大きな梅干しがどーんと
お!これが梅の酸味を程よくて以外に美味しかった!
意外と美味いんだナァ~これが
そう言えば夏に良く食べる冷麦や素麺のツユに私は梅干しを入れるのよ
蕎麦のツユにも合うのが分って今度実践しようとこの時の梅干しを買って来た。
自宅製のがあるじゃないか!
そうなんだけどね
使われていた梅干しが美味しかったんだよ~