未曾有の大きな地震がおき日本中を巻き込んだような被害となりました。
東北から関東まで太平洋側におきた最大の地震とか。
まさか海岸を東北から関東まで巻き込んだ地震があろうとは思うはずもなく
私は自分たち区域だけと思ってました。
即電気が止り水道も止り情報は無しの生活に突入し近所の誰かが津波が来るぞ!叫んでいた。
家の夫は早く車に乗れ!と叫ぶが私にはなんで車?でした。
津波が来ないうちに高台に上がるんだ!と夫は言うが
それなら裏の階段を駆け上がった方が早い!
隣家のじいさまが気になると声を掛けてみたら家の中から出て来ないので叫んで呼んだ
高台に行くように言っても家の中に戻ってしまう!説得も気が急いて何を言ったか覚えてない
高い崖の上から海を見ていた近所の人たち
津波はゆっくり序々に引いた波を引き寄せて戻ってきた
高い波ではなかったが何度も繰り返しながら段々に大きな波になり道路を川のように流れていった。
もう大きな波にはならないだろうと思った時に自分たちのこの先の事が
今夜はどうする?どこに寝るのか・・
車は夫のを乗ってきたから私のが庭にある!ポンコツでもまだ乗れる!
その時夫が言う
俺のガソリン入ってねぇ・・;
ほとんどカラの状態で、そう地震が起きるわずか30分前に帰って来たばかりの夫
なんでガソリン入れて帰って来ないのよ!と私だって怒りますよ
明日でいいやと思ったそうデ・・…
私の車を取りに戻ると言う夫に(当然)
毛布を二枚!冷蔵庫にあるすぐに食べれる物と水!物置からポリタンクも!
言われても分らない夫 なんでそんなものを持ってくんだ!
言ってるだけじゃ分らないと私も家に戻って冷蔵庫から食べれそうな物を袋に
毛布の古いのを二枚と こんなときでも古いのでないと汚れると思う根性がある
飲料水用のポリタンクは結構な数がしまい込んであった。
七輪も これは残念夏に捨てた
小学校の校庭に行けば凄い人の数
うららさんとnihaoさんに指摘された以前の記事
そうあの時は避難しないですり鉢なんぞ買って来た不謹慎な行動
でも今回は誰しも避難をしたようでとても小学校の体育館には入りきれない人の数
校庭が解放されたので思いもかけず車中泊をすることに
そう夫の車はガソリン切れで高台に置いてけぼり、私のポンコツ軽でまさかの車中泊
狭い、息苦しい、眠れない、余震ばかりのせいではないなと思った。
二日目はもう懲りたので家に帰ろうと思ってました。
でも近所の知人が教室が解放されて広く寝れるから一緒に寝ようよと言う
こんな時誘われて断るわけにはいかない親切で言ってくれてるのにと
子供達が通った小学校にまさかの寝る事に
朝起きても食事は無い! あるんだろうけどいつ出るか誰もわからない
地区内で誰かがご飯を炊こうと始まり20キロもの米を一気に炊いた
水を含んでない米はあわれ芯の残ったガンダ飯に・・;
それを見ていて思い出した、家はガスはプロパンだ!プロパンなら使えるはず
急いで家に戻り見てみたボンベはしっかりしてる、これなら使えると火を出してみた。
電気なし、水なし、でもガスだけはある!
ポリタンクに行列して貰った水は40リットル!これでご飯が炊ける!
これも以前に書いた事がある あの無水鍋!
甥が結婚した時お返しに頂いたカタログで取り寄せたあの無水鍋
これが結構なお役立ちをしました!1度に5合も米を炊いても大丈夫
良い物を選んだと我ながら自己満足。
ガスが使えるならと余震の怖さの中せっせとご飯を炊く事数回!
息子宅に、娘の嫁ぎ先、結婚して昨年近くに越して来ていた姪の家に
一日中飯炊きが始まった・・;
でも炊きたてのご飯だけしかないけどこんな時には何よりの力になると我ながらしみじみ思った。
夫には力仕事を任せた
ポリタンクは20リットルx2個、10リットルx2個、5リットルx4個ありバケツなども、
これで水を確保に奔走、助かった。
日が経つと怖さばかりでいられないと買出しに行く
これはどこもかしこも長い行列の中
そこまでしなくてもいいと早々に諦めあるものでしのごうと残り物を食べ
電気が付くのをひたすら待つのみ、水道管から水が出るのを今日か明日か待つばかり
今、大きな余震もある中での生活を余儀なくされてますが
被災地の酷さ惨さを思うと贅沢なことなど言えないです。
早くに余震がおさまり皆が平穏な生活に戻れますように。
東北から関東まで太平洋側におきた最大の地震とか。
まさか海岸を東北から関東まで巻き込んだ地震があろうとは思うはずもなく
私は自分たち区域だけと思ってました。
即電気が止り水道も止り情報は無しの生活に突入し近所の誰かが津波が来るぞ!叫んでいた。
家の夫は早く車に乗れ!と叫ぶが私にはなんで車?でした。
津波が来ないうちに高台に上がるんだ!と夫は言うが
それなら裏の階段を駆け上がった方が早い!
隣家のじいさまが気になると声を掛けてみたら家の中から出て来ないので叫んで呼んだ
高台に行くように言っても家の中に戻ってしまう!説得も気が急いて何を言ったか覚えてない
高い崖の上から海を見ていた近所の人たち
津波はゆっくり序々に引いた波を引き寄せて戻ってきた
高い波ではなかったが何度も繰り返しながら段々に大きな波になり道路を川のように流れていった。
もう大きな波にはならないだろうと思った時に自分たちのこの先の事が
今夜はどうする?どこに寝るのか・・
車は夫のを乗ってきたから私のが庭にある!ポンコツでもまだ乗れる!
その時夫が言う
俺のガソリン入ってねぇ・・;
ほとんどカラの状態で、そう地震が起きるわずか30分前に帰って来たばかりの夫
なんでガソリン入れて帰って来ないのよ!と私だって怒りますよ
明日でいいやと思ったそうデ・・…
私の車を取りに戻ると言う夫に(当然)
毛布を二枚!冷蔵庫にあるすぐに食べれる物と水!物置からポリタンクも!
言われても分らない夫 なんでそんなものを持ってくんだ!
言ってるだけじゃ分らないと私も家に戻って冷蔵庫から食べれそうな物を袋に
毛布の古いのを二枚と こんなときでも古いのでないと汚れると思う根性がある
飲料水用のポリタンクは結構な数がしまい込んであった。
七輪も これは残念夏に捨てた
小学校の校庭に行けば凄い人の数
うららさんとnihaoさんに指摘された以前の記事
そうあの時は避難しないですり鉢なんぞ買って来た不謹慎な行動
でも今回は誰しも避難をしたようでとても小学校の体育館には入りきれない人の数
校庭が解放されたので思いもかけず車中泊をすることに
そう夫の車はガソリン切れで高台に置いてけぼり、私のポンコツ軽でまさかの車中泊
狭い、息苦しい、眠れない、余震ばかりのせいではないなと思った。
二日目はもう懲りたので家に帰ろうと思ってました。
でも近所の知人が教室が解放されて広く寝れるから一緒に寝ようよと言う
こんな時誘われて断るわけにはいかない親切で言ってくれてるのにと
子供達が通った小学校にまさかの寝る事に
朝起きても食事は無い! あるんだろうけどいつ出るか誰もわからない
地区内で誰かがご飯を炊こうと始まり20キロもの米を一気に炊いた
水を含んでない米はあわれ芯の残ったガンダ飯に・・;
それを見ていて思い出した、家はガスはプロパンだ!プロパンなら使えるはず
急いで家に戻り見てみたボンベはしっかりしてる、これなら使えると火を出してみた。
電気なし、水なし、でもガスだけはある!
ポリタンクに行列して貰った水は40リットル!これでご飯が炊ける!
これも以前に書いた事がある あの無水鍋!
甥が結婚した時お返しに頂いたカタログで取り寄せたあの無水鍋
これが結構なお役立ちをしました!1度に5合も米を炊いても大丈夫
良い物を選んだと我ながら自己満足。
ガスが使えるならと余震の怖さの中せっせとご飯を炊く事数回!
息子宅に、娘の嫁ぎ先、結婚して昨年近くに越して来ていた姪の家に
一日中飯炊きが始まった・・;
でも炊きたてのご飯だけしかないけどこんな時には何よりの力になると我ながらしみじみ思った。
夫には力仕事を任せた
ポリタンクは20リットルx2個、10リットルx2個、5リットルx4個ありバケツなども、
これで水を確保に奔走、助かった。
日が経つと怖さばかりでいられないと買出しに行く
これはどこもかしこも長い行列の中
そこまでしなくてもいいと早々に諦めあるものでしのごうと残り物を食べ
電気が付くのをひたすら待つのみ、水道管から水が出るのを今日か明日か待つばかり
今、大きな余震もある中での生活を余儀なくされてますが
被災地の酷さ惨さを思うと贅沢なことなど言えないです。
早くに余震がおさまり皆が平穏な生活に戻れますように。