いや、ネタを訪ねて三千里!!!
あれです、母を訪ねて三千里ってのがありましたが日本じゃ無理ですね。
北海道の北の果てに立っても、先島諸島の南の端から始めても三千里も行くと外国ですもんね。
あっ、そー言うことか、母ちゃんは異国の人だったのか、なんちゃって、冗談ですってば。
あれだ、ここはお国を何百里って歌もありましたね。
離れて遠き満洲の、と続く訳ですが、確か題名は「戦友」でしたっけ?
お国を離れること何百里か、と歌う訳ですが、満洲って何処らなのかと地図を見れば朝鮮半島の北の方で、やっぱし三千里は行かないんだな、なんてドーでも良い事を思っていた次第であります。
と、いうことで、本日もヤフーニュースからネタ探しであります。
OECDは、国別の平均賃金についてもランク付けしています。本件、経団連の中西宏明会長が「日本の賃金水準がいつの間にか経済協力開発機構のなかで相当下位になっている」と発言したことも話題になりました。日本の平均賃金については、現在22位。OECD内の下位層に所属しており、西洋諸国、ニュージーランド、韓国と悲しい差が開いてしまっています。 少子高齢化、新型コロナ感染拡大など要因は様々ではあるものの、ついに海外メディアが「貧困層の増加によって、日本の『中間層』は消え始めている」(Japan’s middle class is ‘disappearing’ as poverty rises, warns economist 2020.7 CNBC)とも報じ始めています。
まぁーた金の話か、聞き飽きたぞ、と思いつつ、捨てては置けない話でして心のどこかで、ホントかぃな? と疑う気持ちもある訳です。
やはり気になるのは分布図。同調査によると、「200~300万円未満」が13.6%、「300~400万円未満」が12.8%、「100~200万円未満」が12.6%と、所得300万円未満の世帯が最も多くなっています。中央値は437万円。平均所得金額(552万3千円)以下の割合は61.1%と過半数を超えています。
世帯ってのは独り住まいでも一世帯、なんでしょ?
例えば、田舎から都会の学校に出て来て、ついでに住民票もそこにしたら一世帯出来上がりな訳でしょ?
これ、所得の低い世帯のかなりの部分を占めていると推測する私は異常でありましょうか?
と、言うことで、私ゃ核家族化が進みすぎたのも貧乏人が目立つ原因と思う訳であります。
で、学生のうちから家を離れて一人暮らしをして解放されちまうと、学業が終わっても地元には帰らないんだろうと思うんであります。
だから、まともな大学が多い都市はそこそこの人口が維持されるけれども、その力の弱い地方都市はますます寂れるって事で、収入云々はとても複雑な構造であり、上記の記事が宣うような労働生産性なんてのは瑣末な事だろうと思うんでありますがどーでしょうか?
一方でこのコロナ禍、家計の金融資産が過去最高の1,999兆8,000億円になったことも報告されています(日本銀行)。
いや、私の持っている株といえばデルタ株だし、金といえば借金なので、ってのは冗談ですが、金融資産って預貯金じゃ無いってのが味噌でして、土地バブルの時より多いってのはやっぱし株なんですかね?
そーいう意味じゃマンションバブルの韓国の資産も急激に増えているそうで後の祭が楽しみであります、なんちゃって。
日本の対外純資産が強調されることはあまりないが、世界一の対外純資産を持つ日本は、やはり豊かな国だと言えるだろう。
いや、いやいや・・・中々切れのある記事ですぜ。
ご用とお急ぎ出ない方は是非とも読んでもらいたいと思いますが、まっ、いいでしょう。
あれです、日本が貧乏を装う意味の一端が記事の中にある、と私ゃ思いましたが、その反面、国内の空洞化と言いますか、外国に投資しちまうんですから国内経済は冷えて当然ってことでして、こんな事からも日本人の所得が伸びない理由ってのは複雑な絡みがあると思うんであります、なんちゃって。
まだ風呂が沸かない・・・ならば続けようぞ!!!
いいこと言うなぁ、婆さん、なんちゃって。
いや、曽野綾子さんの本はあんまし読んでいないと言いますか、記憶にないのであります。
が、エッセイを読んで随分と感化されたのはそこそこ覚えている訳です。
で、ネットで検索すると曽野綾子さんの記事っていいますか、名言がナンボでもヒットする訳でして、やっぱし言葉と表現の天才なんだろうなと思う次第であります。
当たり前ですけれども、天才ってのは天賦の才能ってことでして、凡夫とは生まれた時から違うわけで、真似しようとしても無理なんですよね。
「人生の勝ち負けに単純な答えはない」
「幸福を感じる力は不幸の中でしか養われない」
「すばらしいのは、人生が未完であること」
あれです、頷く以外に何もありませんで、こんな重い事をなんとも簡単に現すってのは人としての中身が本物なんでしょうね、なんて言い方は失礼か?
あらゆる物質は、こちらが取れば相手の取り分は減る、というのが原則です。食料でも空気中の酸素でも日照権でも、すべてこの原則を元に考えられています。しかし愛だけは、この法則を受けません。与えても減らないし、双方が満たされるのです。
いや、自分と重ねるのもアレですが、私の持論の「世界は貸借する」と似てるなと思う訳でありますが、ダメですかぃ?
しかし、未だに娑婆っ気の多い自分はこの文章を読んでテレビドラマ「家なき子」の台詞である「同情するなら金をくれ」を思い出しちまった訳であります。
ここなんですよね、昔関わった人が貧困状態を表す言葉として「飢餓線以下」と言ったんですが、そこで優先されるのは生き物としての本能でして、法律とか道徳とかを簡単に超えちまう生き方なんであります。
言ってみれば人間じゃない生き方でして、それって世界には腐る程ある現実なんだ、と思うと私の脳みそは止まってしまうのであります、なんちゃって。
いや、私ゃ飢餓線のそこそこ上にいるんで曽野綾子さんの言葉が染み入って同調する訳であります。
しかし、生まれた国の違いで生き方が決まっちまうのを目の当たりにすると言葉は無力だと思うんでありますが、まっ、いいでしょう。
おおっと、お風呂が沸きましたので、んじゃ。