もう春だからこそ「冬枯れ」なのでる・・・わかるかなぁ? わかんねぇだろうなぁ!!!
夏バテと言うのがあるように、やっぱし冬バテと言うのがあって、夏バテが初秋に現れるように、冬バテも初春に現れる物なのだ。
そして、冬バテが終わる頃には初夏になっていて、その時期にはきっと春バテになっているし、その後には皆も知っている通り、バテの正統な主である夏バテに見舞われ、そして秋バテへと続く・・・そう言う事で、人は一年中バテている物なのである。
おっさん・・・冬バテです・・・特に脳味噌と財布が。
春先の、未だ花も咲かない野に立つと、荒涼とした景色なのだが陽光が数日前迄とは確かに違うと感じる時、目の前の広がりは冬枯れであるなと思うのだ。
いや、本日はどう言う訳か詩的な思いが全身から溢れ出て止まらない・・・才能が怖い。
なにっ? 昼間っから呑んでいるのかと? バカ言っちゃぁいけない、昼間から酒などと、教養が自制してやれるはずも無い。
いや、暇です・・・要するに暇で、何もする事が無いし・・・さりとて特別書くべきネタも無い訳で、無駄に字数を走らせたのでありますが・・・生きるって、暇なもんです。
宗教の話しでもしましょうか? おっさんの得意分野は「仏教関係」・・・いや、正統派の仏教ではなく、あくまで自分流の解釈で宣う「のようなもの」な訳ですが。
まっ、宗教は本日は止めときましょう・・・脳味噌が未だ半回転し化していないんでたぶん支離滅裂になりますから。
で、暇なんで傍らの本置き場・・・けして本棚とか本箱ではなく、本置き場です。
ヒョイと手を伸ばすと届く所に、昨年から読んでおきっぱなしの本が100冊以上は在る訳ですが、一度しか読まない者から、二度三度と読んだ物迄・・・ああ、10年来の愛読書で一年に一度は読み返すのでここに置いてあると言う本なども在る訳です。
そこに「日本語のこころ」と言う文庫本が在りまして、手に取った訳です。
大概の本はタイトルを見ると中身が適当に思い出されるんでありますが、これを見てもおっさんの脳味噌は無反応でありました・・・読んでないのか? と。
しかし、中身を開けてみますと・・・おっさんがこれはと思った言葉が在るページに付ける角折りが施されている訳です。
本の中身は、63編ものエッセイが詰め込まれている訳で、成る程なぁ~一つ一つの影は薄くて覚えていないと言う事なのか、と、思う訳です。
で、パラパラと眺めてみますと、ああ、読んだ気もするわ、と言うエッセイから、こんなモノ読んだっけ?迄様々でありました。
おっさんがバカだからなのだろうけれども、やっぱし記憶に残る文章と言うのはそれなりの重さと言うか量が有って始めてそうなるモノなのかなぁ?などとも思った訳で、二三ページのエッセイの固まりを一気に読んでも片っ端から忘れちまうのであるな、などと勝手に納得してみた次第であります。
が、しかし、パラパラと捲って行くうちに、金田一晴彦の章に当って「日本語のこころ」と言う題名を見た途端に中身を思い出した訳です。
なんとぉ~・・・これは中身を殆どすっかり覚えていたわ、と。
で、本のタイトルが「日本語のこころ」で、それは金田一晴彦のエッセイのタイトルでもあった訳で、やっぱしこれが主役と言いますか、主賓と言いますか・・・まっ、その他のアレコレは脇役であると思って良いのであるな、と、これも納得した訳であります。
まっ、文章の事なんで好き嫌いが有ると思うんですけれども・・・しかし、主役に慣れる文章と言うのは短くても忘れないんだなぁ・・・で、これは、アレ・・・美人とすれ違った時なんかと似ているのかなぁ? なんて事も思ったりする訳です・・・意味不明になって来たので 止めぃ。
夏バテと言うのがあるように、やっぱし冬バテと言うのがあって、夏バテが初秋に現れるように、冬バテも初春に現れる物なのだ。
そして、冬バテが終わる頃には初夏になっていて、その時期にはきっと春バテになっているし、その後には皆も知っている通り、バテの正統な主である夏バテに見舞われ、そして秋バテへと続く・・・そう言う事で、人は一年中バテている物なのである。
おっさん・・・冬バテです・・・特に脳味噌と財布が。
春先の、未だ花も咲かない野に立つと、荒涼とした景色なのだが陽光が数日前迄とは確かに違うと感じる時、目の前の広がりは冬枯れであるなと思うのだ。
いや、本日はどう言う訳か詩的な思いが全身から溢れ出て止まらない・・・才能が怖い。
なにっ? 昼間っから呑んでいるのかと? バカ言っちゃぁいけない、昼間から酒などと、教養が自制してやれるはずも無い。
いや、暇です・・・要するに暇で、何もする事が無いし・・・さりとて特別書くべきネタも無い訳で、無駄に字数を走らせたのでありますが・・・生きるって、暇なもんです。
宗教の話しでもしましょうか? おっさんの得意分野は「仏教関係」・・・いや、正統派の仏教ではなく、あくまで自分流の解釈で宣う「のようなもの」な訳ですが。
まっ、宗教は本日は止めときましょう・・・脳味噌が未だ半回転し化していないんでたぶん支離滅裂になりますから。
で、暇なんで傍らの本置き場・・・けして本棚とか本箱ではなく、本置き場です。
ヒョイと手を伸ばすと届く所に、昨年から読んでおきっぱなしの本が100冊以上は在る訳ですが、一度しか読まない者から、二度三度と読んだ物迄・・・ああ、10年来の愛読書で一年に一度は読み返すのでここに置いてあると言う本なども在る訳です。
そこに「日本語のこころ」と言う文庫本が在りまして、手に取った訳です。
大概の本はタイトルを見ると中身が適当に思い出されるんでありますが、これを見てもおっさんの脳味噌は無反応でありました・・・読んでないのか? と。
しかし、中身を開けてみますと・・・おっさんがこれはと思った言葉が在るページに付ける角折りが施されている訳です。
本の中身は、63編ものエッセイが詰め込まれている訳で、成る程なぁ~一つ一つの影は薄くて覚えていないと言う事なのか、と、思う訳です。
で、パラパラと眺めてみますと、ああ、読んだ気もするわ、と言うエッセイから、こんなモノ読んだっけ?迄様々でありました。
おっさんがバカだからなのだろうけれども、やっぱし記憶に残る文章と言うのはそれなりの重さと言うか量が有って始めてそうなるモノなのかなぁ?などとも思った訳で、二三ページのエッセイの固まりを一気に読んでも片っ端から忘れちまうのであるな、などと勝手に納得してみた次第であります。
が、しかし、パラパラと捲って行くうちに、金田一晴彦の章に当って「日本語のこころ」と言う題名を見た途端に中身を思い出した訳です。
なんとぉ~・・・これは中身を殆どすっかり覚えていたわ、と。
で、本のタイトルが「日本語のこころ」で、それは金田一晴彦のエッセイのタイトルでもあった訳で、やっぱしこれが主役と言いますか、主賓と言いますか・・・まっ、その他のアレコレは脇役であると思って良いのであるな、と、これも納得した訳であります。
まっ、文章の事なんで好き嫌いが有ると思うんですけれども・・・しかし、主役に慣れる文章と言うのは短くても忘れないんだなぁ・・・で、これは、アレ・・・美人とすれ違った時なんかと似ているのかなぁ? なんて事も思ったりする訳です・・・意味不明になって来たので 止めぃ。
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