人が生きている間に学ぶことはいっぱいありますが実際に学んだことを「自分でやってみる」ことは意外と無いままに信じ込んでいることがあまりにも多いと感じます。住民ディレクターという発想はテレビという巨大な情報発信メディアに入り込み、その仕組みや影響力の大きさを自分自身どう受け止めていけばいいのか?を考え、迷い、模索して来たことの果実のようなものです。
テレビ局や新聞社は一日にいくつも取材をするためにどうしても「取材対象の一番目立つ動きがある時」に出かけ、エッセンスを掴めば次に向かうというやり方が普通になっています。記事を書いたりニュースを放送するのが仕事になっているからですがここが14年間腑に落ちなかったことです。
取材した相手やグループ、地域のことに関わるようにして取材しないと自分自身の問題として共有できません。エッセンスだけではどうしても一過性で終わり、放送した後の責任を負わない、負えないということになり「忙しいから当たり前」意識になっていきます。改革を試みましたが中にいる限りは無理でした。
番組ディレクターや記者として関わる限り取材した相手との関係は「放送局の人」との関係性です。「一人の生活人」はテレビという巨大な存在に隠れてしまいます。取材という作業で他者の追体験ばかりが増え、いっぱい知っているかのような錯覚に陥りますが実はそのどれもが「耳学問」で自分の足で歩き、自分の身体を使って経験したことはほとんど何もありません。
その世界からの脱出は素っ裸の一人の人間が砂漠のど真中にほっぽり出された時に自分で何ができるのか?を問われたときにはっきりとわかりました。自分でやり自分でわかる。ITだけでなく大地に足を踏み込み暮らしの知恵を育む「ITで開拓!人、大地。」一般社団法人 八百万人 の理念です。
@テスト配信の朝の撮影担当はスクールバスの運転手梶原伯夫さんでした。