この頃からだ、私が歴史を身近に感じるようになったのは。本格的に勉強してはいなかったが実際、古事記や日本書紀でクマソ征伐の話は読んだ記憶があった。自分のイメージも「ひげもじゃ」の人相の悪い悪人を想像していたが、そのクマソとこの山口さんや山江村の松本さんとは全く結びつかなかった。もし熊本に住むこともなくこの人たちと会ってなかったらすっかり信じ込んでいたかもしれない。歴史書は勝者が作るといわれるが、具体的にここクマソの地の歴史にこんな風に関わるとは思ってもいなかった。
しかもこの後にとんでもないことがわかる。私自身が兵庫県出身で山口県、大分県と移住し、この熊本県は3番目の移住地だった。しかも熊本県の98市町村を5年かけて2週半したのにとうとう一番南の高度経済成長に取り残された人吉球磨地域に通うことになり、ついには住むことになってしまう。そして、この数年後の正月だっただろうか?生まれ故郷の兵庫県加古川市に戻ったときに同級生と飲んでいるうちにこのクマソの話になった時、同級生が「俺らはヤマトタケルの子孫だと教えられていた」というのだ。しかもヤマトタケルの母は播磨稲日大郎姫といい、我々が小学校の遠足から高校のマラソンまでいつも世話になっていた日岡山が実はこのヤマトタケルの母の古墳で、宮内庁の管轄だ、という。
??!!、ほんとにその話を聞いたときは驚いた。まつろわぬ民を征伐せよとして父親景行天皇から命じられクマソの地に向かって勇敢にも単独で乗り込み、戦ってクマソタケルを刺し殺したヤマトタケルが俺たちの先祖!?なんだ。要はあの山口さんや松本さんの先祖を殺ったのは俺たちの先祖、という話になってきた。ドラマ制作の時はこのことに全く気づいてなかったのだが、もし知らされていたら相当関わり方が変わっていたことだろうと思う。
話が先に進んでしまったが、このときの衝撃は結構大きかった。熊本に住むことになってしまった理由もいつもなぜだろう?と気になっていたのだが、このときは流石になるほどそういう因縁があったのか・・・、と考えるしか思いつかなかった。ドラマ制作の年は山口さんらとクマソについても土地の人々話を聞いたり、考古学や古代史の本を読んではオリジナルの歴史を改めてドラマ作りを通して再編するような作業をしていたので、クマソには自信があった。しかし、ヤマトタケルには逆に自信がもてなかった。同級生を見ているうちにこの連中も人がいいよなあ・・・、と感じるばかりでいよいよヤマトタケル対クマソタケルの対決の歴史に疑問符が大きくなっていった。 <つづく>
(写真:KKT「テレビドラマを作ろう!」より)
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