岸本晃の住民ディレクターNEWS

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産地直送の手作りドラマ 「クマソ復権」メイキング (1)

2008年02月10日 | Weblog
 最近各地を回っていると土地の歴史に詳しい方に会い、その土地の独自の歴史を聞く機会を得ることが多くなってきた。スタート当初の住民ディレクターがまずは何でもいいから身近なことから撮り始めるという簡単さを優先していたことから、次第に時代が移り、カメラを持つ持たないによらず、その土地の風土や歴史を表現することの大切さに気づいている人たちとの出会いが増えてきた感じがある。いつもいうがどれが大事だとかこれが優先だというのはないけれども、大きなメディアによる流行や時代の空気に流されやすい世相があるので、土地の人々が大事に守ってきたものや土地独自のいわゆる郷土史は土地の人にしかわからないので大事にして欲しい。

 平成5年、テレビ局時代のほぼ後半の時代だが、熊本県球磨郡免田町(現在はあさぎり町)で住民主体の手作りドラマ制作を1年かけてプロデュースした。平成元年に初めて住民手作りドラマを作ってから4年目で私にとっては4本目のドラマ制作だった。

 テーマはクマソ復権、タイトルは「テレビドラマを作ろう!」、シナリオ作りから出演、ロケ地の準備、大道具小道具などは全部町民でやった。私はテレビ局のプロデューサーとして総制作費1500万円を捻出し、純粋にドラマ制作に関して1000万円は使えた。地域作りが盛んな時代で補助金もとりやすい古きよき時代ではあったが、住民手作りドラマにこれだけの予算を組めるのは全国的にも稀有な事例だったと思う。新聞の全国紙、週刊誌、テレビなど当時は一年中マスコミを賑わした。

 テーマのクマソ復権というのはこうだ。当時の免田町は地域興しをやるにも何も素材がなかった。すぐ近くに今、住民ディレクターの発祥地として知られる山江村があり、川下り観光で有名な球磨川の人吉市、作家の水上勉さんが「桜大観」と呼んだ桜の里水上村、子守唄の里でダム建設にゆれる五木村など錚々たる市町村に囲まれ全く特徴がなかったのが免田町だった。企画財政係長だった山口さんは悩んでいたが悩みは二つあった。町おこしの特徴がない、というのがひとつ。もうひとつは町民の自信のなさだった。というのはこの地は古事記や日本書紀に出てくる古代クマソの地で、流金獣帯鏡という鏡が発掘され、考古学的にもクマソのボスが住んでいたと証明されていた。しかし、クマソはヤマトタケルが景行天皇の命を受けてまつろわぬ民とされ征伐された野蛮人だとされていた。出稼ぎに都会へ出ても出身地を話すと「クマソの子孫か」などと揶揄され町民は自信喪失の状態だった。

 そこで山口さんが考えたのがクマソ復権!だった。俺たちが子供の頃は爺さんやばあさんから「おったち(我々)の先祖はやさしくて強く、みんな仲良く暮らしていた」と聞いて育った。記紀の話とは全く逆だったという。自分たちの手でクマソ(熊襲)の歴史見直そうと考えたのだ。そこへテレビ局で地域興しをやっている変な男がいると言う話を県庁で聞き私にお呼びがかかったのだった。  <つづく>
(写真:KKT「テレビドラマを作ろう」より)

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