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岸本晃の住民プロデューサーNEWS

加古川駅の改札口でタイムスリップ!?

 仕事で兵庫県加古川市に戻ってきた。数日間はここ「プリズム西日本」を拠点に関西各地を回る。この地を出ることになったのは35年前のことだった。一年浪人をして何とか山口大学に受かったからだ。駅の改札口を行き来するサラリーマンを見ながら当時を思い出す。山口に住んでいる方には悪いが当時は山口の大学に行くということだけで「島流し」「都落ち」といわれ、同級生にからかわれた。しかし自分には明るい未来が見えていた。加古川を出る理由はひとつだけだった。家族も親戚も、知り合いも誰一人いない土地で一人で生きはじめたかった。とはいえ学生だから仕送りは4年間保障されていたので今思えば半端なのだが・・・。

 しかし、山口に着いてすぐに母親からもらってきた現金を全部使い果たした。先日紹介した鳥取県境港から来ていたやはり一浪の濱田君と意気投合し1週間飲み続け、有り金を全部使い果たしたのだった。わざわざ所持金ゼロにして「さて、これからどうするか・・・」という馬鹿なことをやっていたのだ。彼にはそんな気はなかったと思うがこちらは確信犯だった。仕送りをしてもらっている若造が何を馬鹿なことを・・、ということで人にはあまり話せる話ではないが、とにかくその頃はそうだった。一からスタートしたい。そして自分の力で生活を作っていきたい。何ができるのか、できないのか。できないならどうなるのか?・・、当時は真剣だったから今思えば逆に笑えることだ。その頃から自分のネットワークを作っていった。親や親戚のつながりではなく自分の力でひとつひとつ紡いでいきたかった。

 結局、留年、卒業、プータロウとなって仕事さえもレールに乗るのを辞めた。一応、リクルートスタイルにもなっていくつかの会社を受け決定していたが、全部通知の後すぐにお断りをした。勿論、不安はあったがやっとその時に素っ裸になった感じだった。学生時代はこちらの意識とは別にまだ親の庇護の下にあった。卒後したらいよいよ社会人だ。でも無職だ。プータロウだ。いよいよ何もない。当時、近くに本当の苦学生の人たちがいて、仕送りはないので、バイトで稼いで熱心に勉強していい会社に旅立って行った。この人たちにはどこか申し訳ない気持ちがあったが晴れて何もなしになれたのがうれしかった。

 やっと自分ひとりでやるスタートラインに立てた感じだった。会社を受けたのは就職試験への関心(どんなことをするんだろう?という)や半分不安もあったのだが、辞退するのには戸惑いはなかった。しかし、6ヶ月ほどたった頃急に不安が押し寄せてきた。ここまでしても自分がしたいと思うことが全く出てこないのと周りが安定した身分になって妙に大人びて見えたりしたからだ。当時は今ほどプータロウが多数ではなかったし、フリーターも希少種だった。

 今、振り返って当時の気持ち、志しを貫いてこれたのは何だったのだろうと思うが結局「自由」を求めていたと思う。勉強をしてないのだが少し社会学をかじっていたので「本当の自由」は自由業で獲得できるなんて甘いことは考えてなかった。この社会体制がある限り自由はないのではと思いつつ、どうすれば自由に仕事し自由に生活できるのか?は常に関心事だった。大分県別府市の旅館に身一つで飛び込んだのもサラリーマンではなかったが、決して自由ではなかった。その縁でテレビ局に入ったがここは一見自由な職場だが周囲は逆にサラリーマン根性が強く、官僚的で自由になるべく営業も制作も全て自分でやってしまったが、毎日のつまらない会議の時間がもったいないといつも感じていた。

 テレビ局を退職するのは「地域作りの仕事をしたい」とやっと自分のやりたい方向が見えたというのもあるが、会社組織の不自由さに嫌気がさしたほうが強かったかもしれない。あれからほぼ11年、毎日が狩猟生活のようなものだが結構これがあっているようだ。なにしろ自分で獲物を捕れないと生きて行けない。その獲物も好きなものだけを食いたいという気持ちが強いので、向こうから飛び込んできたり、動物園のように与えられる獲物では19歳の頃のあの飢餓感が満足されない。などとなかなか我ながらワガママだ。

 普通ならもう定年といわれる年になっている。不思議な感じだ。いつもこの話は他人事のようにしか聞けない。卒業や入学、就職、退職というタイミングになるといつも周囲の人たちが急に変わることに驚かされてきた。特に大学の卒業が近くなるとほとんどの人が「実は教員になりたかったんだ」「マスコミの仕事が天職だと思う」「○○がしたかったんだ」・・・と自分のやりたいことが決まっていくことがうらやましくて仕方がなかった。同時に不思議だった。自分は(自分の中に)どう聞いても答えが出てこない。テレビ局でも退職が近づくと急にやさしくなる人が多かった。??・・。「辞める辞める」といつも言っていた人はいまだに辞めていないらしい。こちらはある日突然、その夜に辞めてしまった。

 駅の改札口に戻ろう。あれから35年、やっと自分のやりたいことがはっきり見えてきた感じだ。周囲からはなんと言われるかわからないが、35年かかったとうのが本音だ。で、特に若い人に伝えたい。やりたいことってのはそんなに簡単に見つかるものではない、と。やりたいことをやっているといっていた人たちも今、ほとんど元気がないし、退職を間近に控えてすっかりやさしくなってはいるが、不満も山積みだ。退職を機に・・・、とまた繰り返しているように私には見える。今まで何度「○○を機に」やろうとしたのだろう。

 「今」やるしかない。いついつからやろうとか、この仕事が一段落してからやろうとかは無理だ。その仕事をしつつやっていくしかやり始められない。「今、この時」の瞬間瞬間の生き方が明日もあさっても続くとわかったほうがいい。あえて言えば正月ぐらいだろうか。昔の人の暮らしの知恵を感じる。やり直しをする機会を創ってきたのだなあと思う。秋が深まる駅の改札をぼーっとみながら考えていた。苦いコーヒーだったが。

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