Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

雪蹊寺(2019年5月4日参拝)

2019年12月02日 | 四国八十八ヶ所霊場
34番札所種間寺から約8キロ離れた33番札所雪蹊寺へ。

雪蹊寺から5キロ離れた場所には、
高知で一、二を争う観光地の桂浜があります。

私は戦国時代が専門で幕末は全く興味が無いので、
坂本龍馬像を見に行こうとは思わないけど、
時間があったら景色が抜群の龍王宮には参拝したかったな。

おっと、話が脱線した。

この雪蹊寺には重要文化財の薬師如来をはじめ、
運慶の長男湛慶の真作とされる毘沙門天を所蔵しているお寺です。

高知はもとより四国のお寺で湛慶の仏様が祀られているのは珍しい。




無料駐車場に車を停めていざ参拝。


所在地:高知県高知市長浜857番地3
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:薬師如来
創建:(伝)弘仁6年(815)
開基:(伝)弘法大師
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】

寺伝によれば弘法大師の開基で、創建当初は真言宗に属し、
少林山高福寺と称したという。

土佐国編年紀事略には嘉禄元年(1225)、
右近将監定光なる人物が高福寺を創建したとする。

天正16年(1588)の長浜地検帳には慶雲寺とあり、
この頃までに慶雲寺と改称していたことが窺える。

寺に伝わる毘沙門天及び両脇侍像は毘沙門天像の足枘銘から湛慶の真作と判明し、
高福寺創建の嘉禄元年(1225)頃の作と推定されている。
ただし湛慶作の仏像が都から遠く離れた土佐に伝わった経緯は定かでない。

鎌倉時代に仏師運慶と長男の湛慶が来山して慶運寺と改めたという伝承もある。

その後、寺運が衰え廃寺となっていたが、
天正年間(1573-1593)の後期に月峰和尚が住職となり、
土佐国の戦国大名長宗我部元親の後援で臨済宗の寺として復興した。

慶長4年(1599)の長宗我部元親の病没後、当寺は長宗我部家の菩提寺となり、
元親の法名雪蹊恕三大禅定門から雪蹊寺と称した。

江戸時代初期には南学発祥の道場といわれ天室僧正が,
朱子学南学派の祖として活躍、野中兼山などの儒学者を生み出した。

明治時代になると廃仏毀釈により明治3年(1870)廃寺となり、
翌年、後方に隣接して当寺所蔵の長宗我部元親坐像を神体とした秦神社が建立。
その後、大玄和尚により復興し現在に至る。


【鐘楼堂】



【本堂】



【大師堂】


ありがたや ありがたや。


【御堂】



【長宗我部信親乃墓】









【霊宝殿】


事前予約で拝観可能ですが、
すっかり忘れていた。

まぁ、少し前にBSの番組で見たからよしとしよう。


【稲荷社】



【安産子安地蔵堂】





【馬頭観音堂】



【修行大師】



【鎮守社】



【石仏】



【太玄塔・玄峰塔】





【御朱印】


奥の院中谷堂の御朱印もいただけるようです。

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