室戸岬の不動岩から次なる参拝地がある足摺岬を目指す。
目指すといってもそんな簡単に行ける距離ではありません。
その距離は何と約220キロもあるのです。
通常なら安芸市や高知市の寺社巡りをしてから行くもんですが、
何故そんな遠距離をわざわざ一気に走るかというと、
まずは自宅から一番遠い場所に行って、
それ以降は家に戻って行くというルートにしているからです。
足摺岬から家まで一日で戻るのは遠すぎてキツイからね。
それと室戸岬から足摺岬まで一気に走るのも男のロマンですから。(笑)
【米豚バーベキュー】
四万十市の道の駅で休憩。
スゲー良い匂いに釣られていくと、
ゴーグルをした店員達が。(笑)
写真撮った時はたまたま煙が少なかったけど、
もうもうとした煙が立ちこめていました。
めっちゃ旨くて帰りも食っちゃいましたよ。
太平洋を見ながら55号線から高知自動車道、
56号線をひたすら走ること約4時間。
ようやく到着。
足摺岬に着いた頃は既にお昼の12時でしたよ。(^^;
無料駐車場に車を停めていざ参拝開始。
所在地:高知県土佐清水市足摺岬214-1
宗派:真言宗豊山派
御本尊:三面千手観音菩薩
創建:(伝)弘仁13年(822)
開基:(伝)弘法大師
札所:四国八十八ヶ所霊場
【縁起】
寺伝によれば弘仁13年(822)に、嵯峨天皇から補陀洛東門の勅額を受けた空海が、
三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建てて安置し開創したという。
空海が唐から帰国の前に有縁の地を求めて東に向かって投げたといわれる五鈷杵は、
足摺岬に飛来したといわれている。
寺名は五鈷杵は金剛杵ともいわれそれから金剛を、
観音経の福聚海無量から福を由来したとされている。
金峰上人が住持の時、修行を邪魔する魔界のもの達を呪伏すると、
そのもの達が蹉跎したことから、山号を月輪山から蹉跎山に改めたといわれる。
歴代天皇の祈願所とされた他、源氏の信仰が篤く源満仲は多宝塔を寄進、
その子頼光は諸堂を整備した。平安時代後期には観音霊場として信仰され、
後深草天皇の女御の使者や和泉式部なども参詣している。
鎌倉時代後期には南仏上人が院主となって再興したと伝えられ、
また阿闍梨慶全が勧進を行ったとも伝えられている。
南仏を南仏房と記す史料もあり、南仏は慶全の別名であったとみられる。
室町時代には尊海法親王が住職を勤め、幡多荘を支配していた一条家の庇護を受けた。
戦国期に一時荒廃したが、江戸時代に入って土佐藩2代藩主山内忠義が再興した。
【寺号石標】
【仁王門】
堂々たる立派な仁王門う。
【蓮】
【仁王】
うーむ、渋い仁王門に相応しくない仁王です。
色も安っぽいし珍寺にありそうな感じ。(^^;
【敷石】
BSでチャリお遍路という番組を見てましたが、
意外と小島よしおが真面目で、
狩野英考が予想通り糞野郎だということが分かりましたよ。
【参道】
【宝篋印塔】
【本堂】
本堂も立派なものです。
御本尊は正月三が日御開帳されるとのこと。
【庭園】
大きな池を擁するこれまた立派な庭園です。
お遍路札所では最大なんじゃないかな。
【錦鯉】
【愛染堂】
【十三重石塔】
土佐らしいね。
【石仏】
【百八仏】
【行者堂】
【権現堂】
【鐘楼堂】
【地蔵菩薩】
【宝篋印塔】
【大師堂】
【鎮守社】
【修行大師】
【宝篋印塔】
【弁財天】
【石仏】
【三鈷杵】
【護摩堂】
【不動明王】
【多宝塔】
【九輪宝塔】
【五輪塔】
【百八仏】
【御朱印】