よしだルーム

吉田政勝の文学的な日々

よりよく生きるために食べる

2015-05-20 10:18:57 | 日記


食べることを「適当に考えている人」をあまり賛成できない。好きなものを食べ、好きなだけ食べると「病気をつくることになる」と健康講話で保健士さんが述べていた。病気は「生活習慣」と関連する。

私の場合、朝起きたら、まず歯を磨くか、お湯でうがいをする。(就寝中に口のなかに雑菌が繁殖する)
歯を磨いたら、お湯を飲む。(コップ1杯弱程度か)。

食事は、いきなり肉を食べない。主食の前に野菜を先に食べる(植物繊維質)。塩分、糖分を抑え気味にする。大人は1日、塩10グラムが目安といわれる。そば、ラーメンなどつゆを飲みほさない。運動をした場合は、汗をかいているので塩分がよりほしくなるが・・・。あきらかに暴飲暴食はよくない。

食事のバランスは・・・。
糖質・・・・6割
脂質・・・・2.5割
蛋白質・・・1.5割

糖尿病は全身に関係する(糖尿病の3人に1人は気づいていない)。

糖尿病・・・膵臓(インスリンをつくる工場がやられる)
      腎臓(尿をろ過できない)
      脳 (新しい脳は海馬がになう。認知症が2倍に発症)

糖尿病の症状
のどが渇く、甘いものがほしくなる。体がだるい。おしっこが多くなる。

私(吉田)は甘党なので、甘いものに弱い。(だから気をつける)
また、日ごろパソコンに向かう時間が多いので、できるだけ歩くことにしている。
「渓流釣り」「パークゴルフ」などは歩くので健康志向だ。しかし、妻は「遊んでばかり」と皮肉を言うことがある。私は、これは健康のため・・・とつぶやく。

写真は、ヘルシー食で、健康講座のときに、用意された食事の献立である。

狩勝トレイルランニング

2015-05-20 09:59:33 | 日記

明治時代に建設された「旧狩勝線の線路跡」や林道などを走るトレイランニングが5月17日に開かれた。私はコース誘導係。この日は、朝にはアラレと雨が降り、晴れてきたが強風で、天候フルコースのレースだった。


道内、本州から219人の過去最多の参加者の受付は旧新内駅のカフェ。

表彰式。

新内駅の裏手には、予約で乗馬のできる「ウエスタンビレジサホロ」がある。詳しくは検索で見てください。

草森紳一が、いた。展

2015-05-18 14:02:37 | 日記

帯広図書館で「草森紳一が、いた。」の展示が行われている。5月26日まで。
評論家の草森紳一さんと会ったのが、今から36年前の喫茶店で、私は24歳だった。草森さんは実家の音更に帰省し、その機会に会っていただいた。今もそれらの会話を思い出すことがある。


私は「狼藉集」「ナンセンスの練習」などを読み始めた。
草森さんの著書の中で、何度か私も登場している。


草森さんの原稿と机。草森さんの好きなCDは「マドンナ}。私と同じ好みだ。
「流転・依田勉三と晩成社の人々」を書く動機も、草森さんだったような気がする。
音更の草森さんの書斎を訪問し雑談していると、何かの拍子に「晩成社の事業はどれも失敗つづきだった」といった。私は、晩成社の当初の開拓の苦労(交通の不便・バッタに作物食われ・・・)は知っていたが、事業とは?、といぶかるだけで話がつづかなかった。その時、草森さんは晩成社について相当調べていると感じた。しかし、書くべきほかのテーマが山積し、「晩成社」もういて手がけるのは無理だろう、と想像した。
 いつか自分が「晩成社について書く機会があれば書こう」と漠然と思いつづけてきた。そして、その機会がこの3年前から意識しはじめて資料を調べ始めた。

数字の不思議?

この3月19日に「流転・依田勉三と晩成社の人々」を刊行した。
第1刷は3月19日で、草森紳一氏の命日を意識した。依田勉三と草森紳一氏は慶応の同窓。今年は勉三没後90年(後で気づいた)。勉三生誕162年。この数字には私の誕生日の数字が・・・。私は2月6日が誕生日。そして16は私に縁がある数字。中学の出席番号が16番。さらに、不思議なのが、昨年、大樹の晩成社跡地に行った日が勉三誕生日の5月15日。阿部良富さんに、写真の許諾をえるために会いにゆきたい、と電話すると相手から「この日が都合よい」と指示されたのが偶然5月15日だった。そして祭牛之霊と佐藤米吉の墓に参り、依田勉三住宅(復元)を観てきた日だった。

 数字にこだわりながら、偶然の符合が一致する不思議・・・。これを「ユング心理学」における意味ある無意識の偶然と私は解釈している。

あなたの人生の大事な出会いや出来事で「ふしぎな偶然」が起きているかもしれない。

「流転・依田勉三~」の広告を作成

2015-05-15 08:16:09 | 日記


沼津方面からの「流転・依田勉三~」本の注文が多く、この地域で購読されている「沼津朝日新聞」に広告を載せることにした。東京の朝日新聞や毎日新聞に広告を載せたいが、その経費は大きい。まずは地域をしぼり需要の掘り起こしを試みたい~。

家内制手工業的な、わが自営の書房では、本の販売に大きな宣伝経費はかけたくない、と思いつつも、また何も宣伝なしでは販売促進されないとも考える。
「ひとり出版社」の苦心はつづく。だが「いい仕事はする」それだけが己を支える自負心である。まだ、4月に出したばかりの新刊である。これからだ!。奇跡がやってくる!。勉三翁があの世から導いてくれるはず~。

この本を友人にプレゼントする、といって沼津市鳥谷のTさんが2冊買ってくださった。また私の知らないところで手渡しされ、著名な政治家にも渡っていると伝え聞いた。松崎町の先生などから手紙が届いて、何度も繰り返し読みたくなる本です、と記されてあってうれしい。

5月15日は、勉三さんの誕生日である。
帯広墓地へ、いなり、一つ鍋のお菓子を持ってお参りにゆく。

私は、死んだ人間を忘れてはいない。
 友人、恩師、先輩、高倉健、愛川欽也、草森紳一、藤本敏夫、会ったこともない人をふくめて、想い出を共有し、生きる力を与えてくれた存在を胸の中から消したことがない。

北野武美術館で~

2015-05-13 07:37:17 | 日記

大樹へゆく途中で中札内にある「花畑牧場」に寄った。そこに「北野武美術館」がオープンしたと新聞に紹介されていたからだった。ここで懐かしい人と邂逅した。1人はカメラマンのMさん。もう1人はYさん。相手から声をかけてきて気づいた~。


Yさんとは23年ぶりの再会。わたしが某デザイン事務所で、イベントの手伝いをしていたときに知り合った。その後、私は独立して会う機会もなかったが、時々「Yさんたちは元気かな・・・」と思う程度だった。お互いに忙しい23年だったかもしれない。私はYさんに「3月に本を出したばかりで、送るから~」と言うと、紙片に彼女の住所を書いてくれた。さっそく「流転~」を送った。Yさんへは(悔いない幸せな人生を・・・)とひそかに祈念している。いつか機会があればランチしながら懐かしい話がしたいと思う相手だ。


牧場施設内で田中義剛さんに会った。彼の顔を見て「ぼくは新得の及川JACKの友人です」と声をかけた。「ああ~そう~」と笑った。及川さんと田中さんは交流があることを知っていたからだった。それにしても、花畑牧場からヒット商品が次々と産まれた。消費者のニーズをつかんだからに違いない。経済は、やはり需要を見極めなくてはならない。
 利益追求だけでは、消費者を満足させられないと思う。だからこそ、思う・・。
がんばっても成果はない。ニーズがどこにあるのか・・・。それが肝心

そうそう田中義剛さんについて、彼が本音を語りすぎた某新聞のコラムに賛否があり話題になった。私は、その新聞に援護の投稿を載せたことがある。義剛さんは、その投稿者が私とは思いもしないだろうが「ああ~そう~」という義剛さんの短い会話を思い出して苦笑した。

どんな仕事もライバルや競争相手から横やりや根拠ない批判が伴うものだ。それを乗り越える仕事をしなくてはならない。風圧もあるが、背中を押す共感者も必ずいるものと思う。