よしだルーム

吉田政勝の文学的な日々

泣ける本

2016-08-26 08:44:06 | 日記


人生という夢・小檜山博(河出書房新社)

実家からの仕送りが少ない、ぼくは麦めしを食っていたが、
月末になると麦もなくなり空腹だった。
昼食になっても寄宿舎に戻っても何も食べ物がない。
前の席の小島がふりかえり「昼ごはんは?」と聞き、
ぼくは「食べたくない…」と言った。
小島は残り半分の弁当をくれた。おいしかった。
弁当箱を返す時、ありがとう、と言いかけたが、
黙っていた。お礼をいうと泣き声になりそうだった。

2年生の5月の春、グラウンドに土を敷くために、小島は荷台に乗って
いたが動き出した車から落下した。ぼくは、スコップを投げだすと、
落ちた小島に向かって走り「うわぁ、うわぁ」と絶叫した。
小島は16歳で死んだ。
作家になった(著者)は小島のことを「地の音」に書いた。

60年たった今も、1年半も弁当を食べさせてくれた彼を
忘れるわけにいかない。

(弁当より)

アイヌ女性の口の刺青は?

2016-08-14 10:10:01 | 日記


大川宇八郎は音更の開拓者であるが、
彼はアイヌ女性(オイカ)と結婚した。
オイカさんの口には刺青があった、と記述あり。

鈴木銃太郎もアイヌ女性(コカトアン)と結婚した。
彼女は口に刺青をしていたのか?。

この疑問に答える記述はどこにも記録されていない。

明治4年に開拓使は、アイヌ民族を平民として戸籍法を制定し、アイヌの女性の口などの刺青を禁止布達した。
明治4年はコカトアンは3歳。おそらく口の刺青は施されなかったと解釈するのが自然。
開拓使の布達はその後のアイヌ文化、風習を変えてしまう拘束があったと思う。

しかし、行政職員であるアイヌ研究家の某氏は「コカトアンの口には刺青があったはずだ」と断定した。
彼は、何を根拠に断定したのか?。私は不思議でならない。

例・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日ハムの中田翔選手は「あごヒゲ」を生やしているか?
レアード選手は「あごヒゲ」を生やしているか?。

中田は「あごヒゲ」あるよ。
レアードは「もみあげ、口ヒゲ」もあるよ。

じゃ、大谷翔平は「ヒゲ」を生やしているか?。
大谷は、まったくヒゲの話題は出ない。(休みの無精ひげあるかも)
だから「大谷にはヒゲがあったか」なんて誰も質問しない。

つまり、鈴木銃太郎の妻常盤さん(コカトアン)の口に刺青はなかったのではないか?。
西士狩時代、上美生時代、伏古時代、上伏古時代、更別時代、銃太郎一家は
移転してきた。多くの人々が銃太郎家族と接し、回想しているが、「常盤夫人は口に刺青あった」などの記述はどこにも触れられていない。

鈴木銃太郎


アイヌの家(チセ)
私がなぜ複製でない明治時代の写真を所有しているのか。信頼され保存を託された。