よしだルーム

吉田政勝の文学的な日々

まかない飯

2014-11-30 07:19:46 | 日記
帯広名物「中華ちらし」

 2014年の秋「味福」という老舗が閉店した。「中華ちらし」が大好きで何度も通った・・。寿司ネタの残り具を利用してご飯で炒めた「まかない飯」が生まれた。まかない飯というと評論家の草森紳一さんを思い出す・・・。


感涙エッセイ
まかない飯(あるいは草森紳一さんのこと)

 私の知る範囲で読書家として思い浮かぶ人物は草森紳一氏で、東京のマンションで3万冊の本に埋もれて、2008年3月19日に亡くなった。わが敬い私淑する知の巨人である。
 残された蔵書は東中音更小学校へ引っ越し、一部は帯広大谷短期大学の「草森紳一記念資料室」に展示されている。ほかに音更町の実家敷地内の書庫に3万冊の本がある。
 草森氏は音更町出身で、柏葉高校、慶應大学文学部中国文学科を卒業後、出版社に入社したが、三年後フリーの物書きになった。

 草森氏との出会いは、私が24歳で、草森氏が36歳だった。春に喫茶「川」で会って、港区の住所を教えられ、歓談できたお礼に手紙を出した。次々と発刊される草森氏の本を夢中で読んだ。ライトの建築論、画家ルッソー論、「江戸のデザイン」、テレビ論、ナチス「絶対の宣伝」など、どれも関心が強い分野で、まるで自分の嗜好に合わせた著作群だった。

 2004年の秋、私は「モモの贈りもの」という初のエッセイ集を周りの人々の厚意で発刊できた。草森氏にもその本を送ると、師走にA4の封書が届いた。横80センチ幅の和紙5枚に筆字で感想が記されていた。
「遅まきながら、完読しました。面白かったですよ。一冊になって通読してみると、なるほど自伝になっています。こういう自伝(エッセイの集積)のありようもあるかと感心しました……」 

草森氏は、翌年の3月に吐血し入院した。そのころの様子が、没後13冊目に刊行された。「その先は永代橋」に書かれてあった。
 一人暮らしの草森氏は、友人の大倉舜二氏に付き添われ退院し、永代橋たもとの「シサム」という飲食店に寄った。尾形太郎、石橋潤志郎両氏が五月に開店したばかりの店だった。
 大倉氏が「栄養が足りなくて倒れたから、何でもいいから彼に無理やりにでも食わせてやってくれ」と頼んだ。
 石橋氏は草森氏の顔を見て、
「先生、僕ら昼の2時くらいに賄い食うから一緒に食べましょう」と提案した。
 そこから家族になったという。
 賄い飯を食べて、代金を払おうとする草森氏に、二人は礼儀正しく、強く首をふって
「賄い飯ですから、料金は頂きません。お気になさらずに」と断わった。
 草森氏は思いがけぬ好意に破顔すると
「わかった。そうさせていただく」と頭をさげた。

 下心のない親切、思いやり、なさけ。その「仁」こそ儒教における最高の徳目だ。彼らにそれを感じた草森氏は好意に素直に甘えたのだと思う。
 そのページを読みながら、私は泣きそうになった。




草森さんの筆文字による書簡。
右が吉田(28歳ころか?)
草森さんの本
(クリックすると拡大)

評論家草森紳一。知の巨人、私淑するわが恩師です。
もう2度と会えないインテリだろう・・。












偉大なる崖、という名のふしぎな建物。

2014-11-30 07:08:42 | 日記

明野ケ丘公園にたたずむ町のシンボル『ピラ・リ』。ここに佇むと、異国にいる気分になる。


 アイヌ語で「偉大なる崖」の意味を表す『ピラ・リ』は、
平成8年に、開基100年を記念する事業のひとつとして建設された。

大地を見下ろすようにそびえる『ピラ・リ』は、『ピラ・リ』はもう1つ、「未来を見つめる大地の眼」のイメージが込められ、町に住む人たちの幸せを見守り続けてほしいとの願いが込められている。
 地上8メートルの高さを持つ展望タワーの頂上からは、幕別の街並みやどこまでも続く広大な畑、日高山脈や大雪山系の勇壮な山並みを大パノラマで一望することができる。

 設計、建築は世界的に活躍している「高野ランドスケープ」。
わたしと高野代表と「インサイダー」の高野孟さんと2~3度、食事をしている間柄だ。

明野ケ丘公園の住所:幕別町明野496
電話:0155-54-6606(幕別町観光物産協会)

とうや湖ぐるっと彫刻公園で

2014-11-29 06:05:27 | 日記
共通テーマは“生の讃歌”湖水と風と光を背景に、3町村が連携して完成させた青空美術館。

イゴール「月光」

峯田義郎「旅ひとり」

2014年11月、日本彫刻界の巨匠のひとり、佐藤忠良さんのブロンズ像『ひまわり』が虻田町洞爺湖温泉に取り付けられ、10年間に及ぶ彫刻公園づくり事業がほぼ完了。
 湖畔に面した3つの町村が連携してすすめてきた、この壮大な事業は“生の讃歌が共通テーマだった。
 1977年に目前の有珠山が大噴火。再起不能とまでいわれた被害から復興した人びとに「生き抜くことのよろこびと尊さを知った体験のメモリアルを残そう」と呼びかけた町長と、それにこたえた人びとの熱い思いでスタートした。
 わたしが、この彫刻などを眺めて、湖の周辺を散歩した8年前のことが思い返される。レベルの高い作品が並んでいたので感激した。同行した団体の人は、目で見る彫刻よりも、もっぱら温泉とご馳走に関心が強かったのか。芸術をめでる心が不足しているのは感心しない。

高倉健さんと哲学書

2014-11-23 09:34:22 | 日記

高倉健さんの訃報に接して、ファンとしては悲しいが、同時に様々な人が「高倉健」さんについて語ってくれるのはうれしい。そこに、健さんの人生における秘話が現れるからだ。彼の魅力・神秘さを知り、ある哲学書を思い出した。それは・・・。


 わたし吉田政勝が、24歳のときに書店で「論理哲学論考」という本を買った。難解な本、という書評だった。著者はL・ウィトゲンシュタイン。(法政大学出版局)。訳者の坂井秀寿氏は前書きでこう記している。

ウィトゲンシュタインの「論考」の中心思想は「言語は事実の映像であり、言語は事実と論理的形式を共有する」というテーゼ。(世界は事実のよせあつめであって、物のよせあつめではない)。政治家が「しっかりやります」という言語は、彼が事実において行ってこそ論理的になる。その「しっかりやる」という時点では単なる音にすぎない。(論理は事実との鎖の輪ようなつながりをもつ。輪の外れた鎖は鎖とは呼べない)。

 私が日常において、言語と行いに矛盾なく暮らそう(価値と倫理)と努めるが、それは日常の規則性としばしば摩擦や軋みをうむ。だからこそ、矛盾を受け入れ妥協し、人は長いものに巻かれてゆく。前へ進むとするならば、古い慣習を少し壊さなくてはならないのかもしれない。1人の自分なら、習慣をどんどん変えられる。(だが、社会や職場はそうはいかない・・・)。

 高倉健さんは「孤独は自由と背中あわせ」と述べている。いったん映画の現場から離れると、彼は糸のない凧のごとく放浪の旅に出る。だが、彼は人々の優しさに無関心ではない。親切、同情、琴線にふれたことには熱意や興味をしめす。
 健さんは「ブラック・レイン」で共演したアンディ・ガルシアに「ken」という名入りの腕時計を贈った。もちろんガルシアは喜んで、お礼になにか贈りたいと応えたが、健さんは「いや、それではお礼の意味がない」と断った。ガルシアは「健は気品にあふれた優れた芸術家だ。その時計は今も大事に使っている・・」と述べる。

 ウィトゲンシュタインもまた、純粋無垢な献身に対して、離れがたい魅力を感じる人物だった。彼自身が「人のあたたかさと愛情」にもっとも飢えている人間であった。利害で人は離れたり、近づいたりするが、ウィトゲンシュタインは、利害を超えた本当の裸の人間のつきあいに心からあこがれた。人間的なあたたかさを「識見や財力」よりも高く評価するのである。その証に、ウィトゲンシュタインは親からの遺産を有能な芸術家の育成に寄付した。
 実は、高倉健さんも「利害を超えた人づきあいをした」そういう人であったと思うのである。


←(クリックで画像拡大)



健さんのサポート

2014-11-21 09:15:12 | 日記

網走刑務所博物館の敷地内の池に咲くハスの花。泥の中から根をはり、やがて開花する。モラル欠けた政治家、ブラック企業など眉をひそめる時世に、高倉健さんは裏表ない人格で清々しく咲くハスの花のごとく誰もが憧れる爽やかな人だ。

吉田政勝の最新エッセイ(部分引用)

 東映時代からの盟友、降旗康男監督と健さんのコンビで「居酒屋兆治」「冬の華」「駅」「鉄道員」などの名作が出来た。
 私にとって「鉄道員(ぽっぽや)」は印象深い映画だ。
ロケ地の南富良野の幾寅駅へ何度か訪問した。撮影で使った幌舞駅の看板のままで、待合室は資料館になっていた。数年前、私は慣れない仕事に心身ともに疲れていた。健さんの駅長のストイックな役柄に力をもらって仕事に戻った。

(幸福の黄色いハンカチ・ラストの場面)
 健さんと接した人や共演した俳優たちの悼む声がテレビで次々と流れた。その多くの悔やむことばの中で、武田鉄矢さんの思い出は、私の胸に特にひびいた。
 「幸福の黄色いハンカチ」のラストで泣くシーンなのに鉄矢さんは、涙が出ないから困った、という。
すると、健さんが鉄矢さんに、
「お疲れさん。ロケつらかったか。東京に帰っても元気に暮らすんだぞ」といった。
 大好きなこの人と別れるのか、と思うと鉄矢さんは自然に涙が出てきた。それは健さん流のサポートなのか……。

(訃報つたえる健さんの記事)

 11月20日「岡村隆史のオールナイトニッポン」のラジオを聞いた。岡村隆史さんと高倉健さんの交流がよかった。岡村さんはセンスのよいタレントだ。健さんが好感もって可愛がっていたのが理解できる。
 興味ある方は「岡村隆史 高倉健」で検索してください。