よしだルーム

吉田政勝の文学的な日々

ついに、新刊に。

2019-03-19 08:38:20 | 日記

あとがき
 いつの日か、郷土の開拓先駆者である「鈴木銃太郎の物語を書いてみたい」とひそかに念じてきました。
 近年、自営の仕事が減り副業を辞して、執筆する時間が得られるようになったので鈴木銃太郎の生涯について調べ始めました。あらためて、破産士族の流浪、入植地が未開地ゆえの苦労、銃太郎とアイヌ女性との結婚など、劇的な過去が浮かんできました。
 「過去は決して死んではいない、過去はすぎ去ってさえもいない」(ウィリアム・フォークナー)という言がありますが、十勝開拓初期の出来事は、現代に生きる私の関心を強く引くものとしてよみがえってきました。
 本書は、明治十五年の夏にオベリベリ(下帯広)に入地した時から、シブサラ(芽室町)に移住した明治二十六年春までの「銃太郎日記」にもとづいて書いたものです。残念なのは、実際の日記では「明治二十二年~明治二十五年」まで紛失のため欠落となっています。その空白の四年間は、依田勉三や渡辺勝の日記などに記されている銃太郎の動向を手がかりに若干復元しております。また、文中の会話文は筆者の創作ですが、事実を踏まえて書いたものです。開墾は入植者たちの艱難でなされましたが、書きながら開拓行政や時代の大きな枠組みと無縁でないという点も意識させられました。
 さて、銃太郎が単独で入地したオベリベリ河畔は先住民族アイヌの居住地でした。
銃太郎や勉三、勝を筆頭に「晩成社」の移民団はアイヌの人々を見下げることなく、等しく友好的に接しました。筆者もまた銃太郎に感情移入し、アイヌ文化を身近に感じ、自然を神の護りとする世界観に学ばなければならないと強く思いました。
 しかし、ためらいました。私はアイヌ文化を研究する専門家ではなく浅い知識しかありませんでした。その浅学を補うには多くの記録された文献を読むことで理解し認識を深めようと努めました。
 明治四年にアイヌの人々は「平民」に戸籍編入されますが、生活難や差別はつづきました。それらの事例にふれることで傷つく人がいるのではないか、あらたに差別を芽ばえさせてしまうのではないか、と心配しました。
 執筆中に先住民族関連事項がありました。政府による「アイヌ民族に対する差別や権利侵害を禁止する」を理念とする法案が衆院に提出されました。また、「民族共生象徴空間」(ウポポイ)が胆振管内白老町に開設されるのも意義ある文化支援と思いました。
 本書は当時の暮らしを理解し、文を何度も練り、苦心して紡いだものです。文字は見た目ではアリのように黒くて小さいだけですが、たくさん集まって意味をおび物語として読まれれば幸いです。
 むすびに、アイヌ文化の伝導者である尊敬する萱野茂さんの言葉を引用させていただき、文字つづりの旅を終えたいと思います。
「人間の言葉というものは魂を持っていて、それとともに足があるように、口があるように、言葉の魂がひとりで歩くものなのだよ」(「萱野茂アイヌ語辞典」より)