よしだルーム

吉田政勝の文学的な日々

彼のことがわからない

2015-12-26 15:37:13 | 日記
亀山早苗著(ポプラ社)定価1400円(税別)
選べない、決められない、いまどきの男たち。

数年間つきあってきた男性と別れたという女性たちの声が・・・。

Mさん(29歳)は
「彼は2つ年上で、1年前から結婚の話が具体的になり、
それで話し合うようになってきたら、この人はこんな考えだったの?。
私の言ったことが全然通じてない、と分かって・・・・」
 仕事に意欲的な彼女は、結婚後も働くと彼に話していた。
だが、彼は結婚後、彼女は退職すると思いこんでいた。
 ふたりは3ケ月の冷却期間を置いて別れた。決断したのは彼女だという。
相手の話が通じていないのだ。

Aさん(32歳)は、
「デートはしているんですが、彼はセックスは誘ってこないんです」
という。彼女は同じ職場の1つ年上の彼が大好きで、つきあってほしい、と告白した。
デートがつづいてキスはしたが、それ以上は進まない。
Aさんは著者の亀山さんに相談した。本気に悩んでいた。
ここに彼を呼んでもいいか、とAさんは言い始めた。
やってきた彼は身長180センチ。優しそうな男性だ。
 彼女は、お手洗いに、といい席をはずす。亀山さんは聞き出す。なぜを?。

彼は「セックスをするとなると、相手を満足させなくてはいけないという
プレッシャーが強すぎて、僕はもともとセックスってあまり好きじゃないし・・・」と
述べている。
 ~この男性はペニスの力だけに頼っているのではないか。いちゃいちゃして、抱きしめればいいのに。その延長線上に性交があるのだから~と著者の独白。

 キスして、抱いて、指をつかって楽しむ~。緊張したメンタルもゆるんでくるはず?。女性は性の体がやられる的(受動的)だが、男性はやる的(能動的)であるかもしれない。餅つきの「ウスとキネ」みたいなもの?。ウスはキネを受ける。(ウスから突きにゆけないかぁ~)

恋心が伝えられない男・・・。
現代の男性のコミュニケーション能力不足を物語る例が描かれている。

亀山早苗著「男が離婚を語るとき」(ポプラ社)
「女の残り時間ーときめきは突然やってくる」(中央公論新社)など~。

クリスマスと恋

2015-12-23 16:54:35 | 日記
キリスト教の牧師で「聖ニコラウス」がなまって「サンタクロース」に。
1700年前にトルコあたりに住んでいた。

聖ニコラウスの遺骨がイタリアへ移されたのが5月9日。
5月9日に「聖ニコラウス祭」が行われた。
フランスでは5月9日、12月6日に「聖ニコラウス祭」が行われた。


1943年にコカコーラの広告で赤い服のサンタクロース登場。


この祭りに、若者たちは思いをよせる娘の家の扉に若木で作った
リースを飾り、窓際に若木(ツリー)を植えたりした。

クリスマスツリー
葉が落ちない「常緑樹」は永遠の「愛」、永遠の「生命力」の象徴。



靴下は性的な小道具?
ヨーロッパなどでは、若者が婚約者に手作りの木靴を贈った。
また、靴下を背中越しに投げて、二人の相性を占うという習慣があった。

オーストリア中部の「聖ニコラウス祭」では、娘たちがリンゴやクルミをポケットに隠して若い男たちがこれを探って取り出そうとした。これは公然とたがいの体をさわりあうことを目的にした、性的な遊び。

ヨーロッパの村や町ごとに未婚の青年たちの団体があり、
「聖ニコラウス祭」で無礼講がゆるされ、求愛行動、夜ばいなどふるっていた。
聖職者の間にいらだちが募り「聖ニコラウス祭」を禁止することもあった。


今も「聖ニコラウス祭」の原型が残り、クリスマスは恋人たちが
思いを打ち明けたり、プレゼントしたり「ときめき」の行事だ~。








ジングルベルの歌が・・・

2015-12-18 17:06:59 | 日記
10年ほど前であった。
自営のしのぎが楽でなくアルバイトをする気になった。
運送会社の朝の仕分けのバイトを終えて帰宅途中だった。
車のラジオから「ジングルベル」の歌が流れてきた。


 その歌とともに作者の人生が紹介されて衝撃を受けた。
ジョン・ピアポントというボストンの音楽家だったが、
あらゆる職業に失敗していた。弁護士・大学教授・牧師…。
そんな失意の生涯で「ジングルベル」という世界中の人々に
愛される歌を残した。

 私もまた転職を経験している。印刷会社、雑誌出版社、広告会社。
異業種を経て、デザイン界へ復帰…そして独立…。
「ジングルベル」の歌を聴くたび、私は荷物運びのバイト帰りの朝を思い出す。


だれかを愛することは容易だが、愛されることは難しい・・・
同じ風景を見ていても、心通じる相手と観る夜景は格別だ。
誰かに思われていることは、すばらしい・・・。
今年のクリスマスは胸に「ジングルベル」が鳴り響いているだろう~♪

依田勉三の歩みを書く動機

2015-12-17 07:34:45 | 日記


松本晴雄氏の功績

帯広開拓先駆者・依田勉三を調べはじめたのが5年前。
松山善三氏の「十勝野」を読み「新しい風」の映画を見た。
さらに萩原実氏の「十勝開拓史」、田所武氏の「拓聖・依田勉三」
それらを読んでいるうちに「依田勉三礼賛濃厚」と思った。
そして、ネットで「風吹け、波たて」松本晴雄氏の依田勉三の軌跡が
肌理こまかく記載されていた。松本氏は松崎町在住の「郷土史家」と知った。
松本氏は萩原実氏とご交誼があり、資料の継承者だという。
松本さんとメールでやりとりするようになった。
それから私の胸に「官製の依田勉三紹介」ではなく、
また「勉三英雄視の礼賛ものでない」勉三の実像に近い物語を・・・
家族や周りの人々との関係を描く(しかし下世話にならない)
そんな気持ちがめばえてきた。
そして、勉三関係の資料、談話、回顧談、をあさった。
あまり知られてない、渡部哲雄、角田東耕など両氏の野帳も読んだ。

多くの勉三研究者は鬼籍に入られ、現在はもっとも詳しく語り合える
のが松本晴雄氏である。年齢を超えて親しくさせてもらっている。
学ぶには「時の余りを」「身分の差を超えて」という土屋三余の
教えそのもの。また福沢諭吉いわく「天は人の上下をつくらず」
だからこそ「学問が大事といえり」そうありたい。
松本様は健康に留意され、長生きしていただきたい。
まだまだ、語り合いたい。頭脳溌剌な方である・・・。



ゆきすぎた対象への肉薄?・・・遺族の悶着など懸念もあり子孫への
校正をお願いしました。依田博之氏の了解をいただく。
このような手間を惜しまない。
「著作権のハンドブック」を制作した者として、引用、著作権侵害には
誰よりも神経質だ。誰のおとがめ受ける必要はない。私が人物を描くには
あたりさわりのない話にはならない。これは草森紳一氏の指導でもある。


「流転」続編へ。入手できた資料、写真もふんだんに使い、ビジュアルに工夫したい。
前篇とは違う体裁になるだろう。