よしだルーム

吉田政勝の文学的な日々

流転~ポスター

2015-04-28 06:18:33 | 日記


「流転・依田勉三と晩成社の人々」のポスターを制作。書店などで貼るポスターは、流転の文字に視線が向くようにした。あれも、これも欲張りに訴える、と相殺になる場合も多い。強弱が大事。文章も誇張、抑制の使い分けが効果をうむ場合が多い・・・。

流転・・・・推敲と校正

2015-04-21 08:13:05 | 日記

「流転・依田勉三と晩成社の人々」が2015年3月19日に刊行。本になるまでの長い道のり。3~4年がかりか。推敲の連続、加えては削りの繰り返し。「ふたりを二人」にするか「覚える、おぼえる」かで悩む。文章は書き手の「脳の力仕事」である。




これは、まだ最終校正。最初は赤ペン訂正と付箋だらけであった。

題名は当初「開拓一番星」だったが「流転」とひらめいた。しっくり感じた。旅から旅への依田勉三の歩み。妻との別れで苦悩するが、再婚し嫡子誕生をよろこぶが、死去し嘆き苦しむ。まさに流転の生涯。

依田勉三の「小説」や映画「新しい風」では創作性が強かったが、史実を重視しょうと心がけた。歴史テレビドラマも嘘があるが、できるだけ虚構は排除した。歴史的人物が、出会うはずがないのに、ドラマで出会っていると「ウソだろう」とつぶやく。実に困惑する。小説だから「ウソがある」というので逃げたくない。資料を読み込んで飛躍や誇張を避けた・

 校正は専門家に依頼しようかと考えたが、自分で点検することに決めた。校正は60回はプリントしている。難しい漢字にできるだけルビをふりたいと思い慎重にひらがなをふったが、今のところ1か所誤りがあった。時期尚早(じきそうしょう)と打ってしまった。無念!。

表紙デザイン、写真レイアウト、図の作成、表紙デザイン、本文・・・とすべて1人の人間による集大成だ。長い生涯にわたり身に付けた技術と能力だ。まさに生涯学習の理念を実践したことになる。
勉強は「学校を卒業」したら終わりではない。そこから生涯にわたり勉強がはじまると思う。

文学のお手本は小檜山博さん。ステーブン・キング、阿部昭、樋口一葉、志賀直哉、八木義則、近松秋江・・・。

エッセー教室では藤原ていさんに指導を受けた。「やがてあなたは長いものを書くでしょう」とてい先生は予言した。25年前に、先生はなぜそれを口にしたのか不思議だ、そのころはせいぜい原稿用紙2枚程度の短文しか書いていなかった。

作家の草森紳一氏には「現代小説よりも、明治の本を読め」と助言をいただいた。また、「歴史から学べ」とも言っていた。そして「流転」は明治の歴史を無視しては書けなかった。

てい先生、草森紳一氏のことばは、まさに「流転」上梓にいたる路であった。
人生は不思議である。

開墾の初めは豚と一つ鍋

2015-04-20 15:54:04 | 日記
 (六花亭のひとつ鍋)

ひとつ鍋の由来。

明治18年4月だった。
 渡辺カネは、豚の餌を用意した。豚は渡辺家で飼っていた。くずのジャガイモ、カボチャ、くず豆を煮て、その中に鮭のホッチャレを入れて煮込み、豚の餌としていた。

 カネが豚の餌を煮ていると、夫の勝と鈴木銃太郎、依田勉三が集まった。
 さっそく、酒を一杯ということになった。しかし、つまむ肴がない。その時、カネが豚の餌を囲炉裏の鍋で煮ていたので、鍋の中のホッチャレを勝はつまみ、
「落ちぶれた極度か豚と一つ鍋」と自嘲ぎみに詠った。
「それは、ひどすぎる。訂正すべき」と勉三が苦言をいったので改作の議論になり、
「開墾の初めは豚と一つ鍋」と声高らかに詠われた。


中身はアンと白い餅が入っている。

晩成社と六花亭

2015-04-16 10:22:16 | 日記


六花亭は帯広のお菓子製造企業ですが、晩成社にちなんだ商品が多い。ヒット作が「マルセイバターサンド」。デザインは晩成社が使っていたバター缶の意匠である。

ほかに「ひとつ鍋」。依田勉三や渡辺勝などが囲炉裏を囲み、議論して出来た「開拓のはじめは豚と一つ鍋」の句が由来だ。赤い包装の「ビスケット」は晩成社印が凸部で浮き出ている。
「万作」は福寿草のことで、春先に鍬を入れるときに、福寿草が咲いていて、どこから鍬を入れるとよいやら、と苦笑したとか逸話がある。



本を謹呈した方から、上梓のお祝いという意味で六花亭のカステラが送られてきた

晩成社にちなんだ商品で、送り主のセンスのよさを感じて私は口元がゆるんだ。さっそくお礼のはがきを出した。
その方は、80歳のご婦人だが、読書好きな方で、私の本の完成を喜んでいた。「御苦労されたでしょう」とねぎらってくださった。電話で彼女と話したが、実に心が若く、ビビットな感性の人だ。年齢は「戸籍の便宜的」ものにすぎない。心が老けない人は、いつまでも若い心で生きていると実感した。

勉三の新たな姿を提起~

2015-04-15 10:03:57 | 日記


4月14日、十勝毎日新聞に載った記事です。
顔写真は高倉健さんではなく?「流転・依田勉三と晩成社の人々」の著者吉田です(笑)
取材は先月おわっていたのですが、このところ選挙紙面に占められて掲載が
遅れていたようです。実によい紹介になってます。
依田勉三の隠されていた弱さや人間臭い面をも描いたのです。
真実は「粗い網ではすくいとれない」真実は細部に宿るがごとく。

英雄・剛健として小説や映画で礼讃された帯広開拓の祖・依田勉三は、仕事に邁進しながら
離縁に悩み、子を失い嘆き、病に苦しむ人間でした。

なにより地元新聞の報道は「新たな依田勉三」の姿に人々の興味も
喚起されるでしょう。依田勉三没後90年後のリアルである。