「流転・依田勉三と晩成社の人々」が2015年3月19日に刊行。本になるまでの長い道のり。3~4年がかりか。推敲の連続、加えては削りの繰り返し。「ふたりを二人」にするか「覚える、おぼえる」かで悩む。文章は書き手の「脳の力仕事」である。
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これは、まだ最終校正。最初は赤ペン訂正と付箋だらけであった。
題名は当初「開拓一番星」だったが「流転」とひらめいた。しっくり感じた。旅から旅への依田勉三の歩み。妻との別れで苦悩するが、再婚し嫡子誕生をよろこぶが、死去し嘆き苦しむ。まさに流転の生涯。
依田勉三の「小説」や映画「新しい風」では創作性が強かったが、史実を重視しょうと心がけた。歴史テレビドラマも嘘があるが、できるだけ虚構は排除した。歴史的人物が、出会うはずがないのに、ドラマで出会っていると「ウソだろう」とつぶやく。実に困惑する。小説だから「ウソがある」というので逃げたくない。資料を読み込んで飛躍や誇張を避けた・
校正は専門家に依頼しようかと考えたが、自分で点検することに決めた。校正は60回はプリントしている。難しい漢字にできるだけルビをふりたいと思い慎重にひらがなをふったが、今のところ1か所誤りがあった。時期尚早(じきそうしょう)と打ってしまった。無念!。
表紙デザイン、写真レイアウト、図の作成、表紙デザイン、本文・・・とすべて1人の人間による集大成だ。長い生涯にわたり身に付けた技術と能力だ。まさに生涯学習の理念を実践したことになる。
勉強は「学校を卒業」したら終わりではない。そこから生涯にわたり勉強がはじまると思う。
文学のお手本は小檜山博さん。ステーブン・キング、阿部昭、樋口一葉、志賀直哉、八木義則、近松秋江・・・。
エッセー教室では藤原ていさんに指導を受けた。「やがてあなたは長いものを書くでしょう」とてい先生は予言した。25年前に、先生はなぜそれを口にしたのか不思議だ、そのころはせいぜい原稿用紙2枚程度の短文しか書いていなかった。
作家の草森紳一氏には「現代小説よりも、明治の本を読め」と助言をいただいた。また、「歴史から学べ」とも言っていた。そして「流転」は明治の歴史を無視しては書けなかった。
てい先生、草森紳一氏のことばは、まさに「流転」上梓にいたる路であった。
人生は不思議である。