「向田邦子の恋文」を読んだ。(向田和子著)。
文壇の原節子といわれ生涯独身だった向田邦子にN氏という恋人がいたことが明かされた。他人の男女の秘めごとなど関心がないが、脚本家としての恋愛体験が作品などにどのように影響しているか私は興味を覚えた。
向田邦子は、昭和56年8月22日に台湾で航空機が墜落し、その犠牲者となった。まだ51歳だった。
N氏と向田の出会いは、彼女が大学を卒業しての就職先でだった。そこは教育映画を作る会社で、出入りのスタッフの中にカメラマンのN氏がいた。交際はその時期から秘密裡に続けられたようだ。日頃「父親みたいなうるさい男とは結婚したくない」と向田はもらしていたが、N氏は穏やかな人柄だった。彼は向田より13歳年上で、妻子がいたが家庭を捨てた男だった。
二人の長いつきあいで、向田が別れたがっていた時期があった。27歳の時、彼女は週末になると新潟にスキーに出かけてN氏に会おうとしなかった。N氏の生活が乱れて酒に溺れかけて、困り果てた彼の母親が向田に相談に来た。彼が体調を悪くしたとも聞いて心配で別れきれなかった。
昭和38年11月27日消印で、向田からN氏への手紙が残されている。
「28日は夕方までうちで仕事して、ひさしぶりでいっしょにゴハン食べましょう。邦子の誕生日ですもんね。ガス、ストーブはやくお買いになってね。手足を冷やさないように。バイバイ」
三日後、電気毛布が届く。贈り主は向田だった。N氏が脳卒中で倒れて働けなくなっていたので、向田が生活費などを支援していた。N氏の分まで稼がないといけなくなって彼女は仕事を増やした。疲れてやつれてきた向田を見てN氏は腑甲斐なさから自ら命を断った。数年後、向田には見合いや、結婚を前提にした相手が現われるが成就にいたらなかった。
さて向田邦子の作品に視点を移すと彼女の実体験と重なる。
「冬の運動会」の家族の秘密は、祖父が愛人を囲っていた。父は亡き友人の妻に思慕し、よくアパートに通っていた。
「幸福」という連続ドラマでも元校長の倉田という老人と30代半ばの多江という愛人が出てくる。「阿修羅のごとく」でも竹沢家の父は愛人のアパートに通っていて、妻のふじが探しあてるというドラマだった。
向田邦子の家庭も最悪な状態の時期があった。
父の浮気発覚で「父が家を出る」と思い込み母は不安定な日々を送っていた。向田邦子は母親の苦しみを思い出させることを避け、家族に心配かけさせないために自らの不倫を秘密にした。
彼女は愛することの悦びや葛藤を体験し、男女の機微を描ききる作品をうみだしていった。建て前の生活に本音の爆弾を破裂させて高揚感が生じる向田ドラマを再び見たくなった。
(資料参考「向田邦子恋のすべて」小林竜雄著/文中敬称略)