よしだルーム

吉田政勝の文学的な日々

ガーデンロッジでくつろぐ・・・

2015-07-25 20:48:18 | 日記




7月4日に某所で「依田勉三の歩み」講演会を開き、代表ほかの慰労会で「ガーデンロッジ」(帯広市西1条南9丁目15・サンプラザB1F)に寄った。講演会の受付を手伝っていただいた「まりえ」さんがカウンターで接待してくれた(北川景子似)。
「ちほ」さんが日ハムのファンで話が盛り上がった。晴子ママの気さくさが店の雰囲気をなごやかにしている。ぼくは「口笛が聞こえる港町」~♪を歌った。楽しい会話を交わしたいので、また店へ行きたいと思った。(実は24日に行ってきました)
(ガーデンロッジ=電話0155-26-3002)


泣けてくる話

2015-07-22 18:51:07 | 日記


 燃えるような紅葉が鮮やかな季節に、命の炎が消えるように義母が亡くなったのが10月21日の朝だった。

 出棺のとき、義母との思い出が胸に去来してきた。
2人の息子は本州勤務で、義母の身近にいる男は3女の婿である私だった。お寺参り、新得の88ケ所めぐり、広尾の港祭りなど車に義母を乗せて、あちこち連れ歩いたことが脳裏に次々と浮かんで涙が流れ落ちた。

 出棺後、バスで火葬場へ向かうが、遺族や親せきではないSおばさんが乗っていた。控室では、少し早めの昼食を親戚の人々が済ませていた。私たち兄弟も片隅のテーブルで弁当を食べ始めた。
「Sおばさん、最後まで残ってくれたね」と義姉が言った。すると義弟が、
「母ちゃんがむかしSおばさんが困っているときに何度か援助したと聞いたことがある」と言い出した。
 
その話を要約するとこうだった。

 義母は小さな町で理髪業を営んでいた。夫は事故で大怪我をして働くことができなかった。義母は5人の子供を育て、店の住み込み職人を3人ほど雇い、その職人たちの食事の世話もしていた。
 その町に、一軒の鍛治屋があった。
Sおばさんの夫が経営していた。注文主が周りの農家の人々だった。農機具やその修理などで忙殺されていたと想像できる。ところが、貧しい農家相手なので、どこも支払が溜まる一方で収入が少ない。ある日、農家に集金に行ったが断われた。S家では米がないので麦だらけのご飯になった。
 Sおばさんが義母と会ったときに「麦ご飯ばかりで子どもたちが食べたがらない」と困窮をもらした。
 それを聞いた義母は2万円を渡し「これで子どもたちに米のご飯を食べさせなさい」と言った。50年ほど前の話だ。

 義母は人に施しをかけても、それを自慢にしゃべったり、相手に負担になる言動を慎む人だったが、その援助を受けたSおばさんと家族は義母に感謝して、つい周りにその話をしていた。 
 
 火葬場の帰りのバスで、私はSおばさんの顔をさりげなく見て、頭をさげた。高齢だがにこやかな顔を向けてきた。



心なごむ光景(画像2点)

2015-07-19 13:04:55 | 日記

カモ家族の引っ越し。
6月下旬に、帯広緑が丘公園の池から移動してきた「かも親子」です。近寄ってデジカメで写しました。

羊のいる光景。
新得の「旧狩勝線を楽しむ会」主催のフットパスを歩いていると、このような場面に遭遇。羊の飼い主は「ヨークシャーファーム」。宿泊&レストランです。興味のある方は検索してください。

野球場外での楽しみ方~地方試合で

2015-07-17 07:26:52 | 日記
 かつては北海道の野球ファンは7~8割はジャイアンツファンだった。
子どものころから、テレビをつければ日本テレビ(読売系)で巨人戦が毎日中継されていたので、おのずと巨人選手に憧れる刷り込みができていた。
 2004年に地域密着で「日本ハム」球団が札幌にやってきてから様相が変わった。新庄選手や稲葉選手がスターだった。育成の若手の活躍も熱気を増し、優勝にからんでくる強さは、さらにファンを増やしてきた。ラジオでテレビで試合の経過がわかる。地域密着という恩恵です。「野球はいいなあ~」と札幌ドームや帯広の球場(7月15日)に足を運んで痛感するのであった。



B・Bの妹として誕生したのがエゾリスの「ポリー」です。
外野自由席の順番で列が背後に伸びます。試合開始までの高まりがたまりません。


帯広名物といえば「豚丼」です。
帯広開拓の祖依田勉三が明治17年に釧路の中戸川農場から買い入れて、
釧路から大津まで豚に縄をくくりつけ汗だくになって連れてきたのが
十勝に豚が4頭きた始まりです。


ライト側の外野自由席からの光景。旗振りタイム~


7回裏の風船飛ばし~。「絶対勝つぞう」の決意。

野球を通して教えてくれること。
監督の戦術、選手の人間性、組織力。ゲームの先を予測する想像力。・・・学ぶものは多い。それは仕事をする上でも生きてくる。野球は球を投げ、打つ単純なスポーツと捉えるのは安易すぎる。結論として野球は深いのである!。

女王さま、山女はどこ?

2015-07-16 18:39:07 | 日記


山女と書いて「ヤマメ」と呼ぶは、渓流の女王様。

北海道では「ヤマベ」と呼ぶ。
山女という漢字ですがメスではなく川に残るのはオスです。だが、そのパーマークのおしゃれな衣装から、敏感な躍動から「おんな」を意識してしまいます。釣りあげるときの、小刻みな振動、口から針を外すときも体をのけぞり拒む。「何すんのよ~やめて」と言わんばかり。
(釣り人の変な妄想・・・)

釣りは確率の高さを求めて、ポイントに餌を投げる。

確率の高さを求めて生きる・・・これは人生も同じ。野球も仕事も同じ。魚のいないところでは絶対に釣れない。需要のないところでは物は売れないのと同じである。
私は、強い波の流れは避ける。流れが少しゆるい辺り。それとも岩陰など。3~4度餌を流して当たりがなければ移動する。がんばれば報われる・・・分かるがニーズなき努力は徒労におわりがちなのだ。