帯広図書館で「草森紳一が、いた。」の展示が行われている。5月26日まで。
評論家の草森紳一さんと会ったのが、今から36年前の喫茶店で、私は24歳だった。草森さんは実家の音更に帰省し、その機会に会っていただいた。今もそれらの会話を思い出すことがある。
私は「狼藉集」「ナンセンスの練習」などを読み始めた。
草森さんの著書の中で、何度か私も登場している。
草森さんの原稿と机。草森さんの好きなCDは「マドンナ}。私と同じ好みだ。
「流転・依田勉三と晩成社の人々」を書く動機も、草森さんだったような気がする。
音更の草森さんの書斎を訪問し雑談していると、何かの拍子に「晩成社の事業はどれも失敗つづきだった」といった。私は、晩成社の当初の開拓の苦労(交通の不便・バッタに作物食われ・・・)は知っていたが、事業とは?、といぶかるだけで話がつづかなかった。その時、草森さんは晩成社について相当調べていると感じた。しかし、書くべきほかのテーマが山積し、「晩成社」もういて手がけるのは無理だろう、と想像した。
いつか自分が「晩成社について書く機会があれば書こう」と漠然と思いつづけてきた。そして、その機会がこの3年前から意識しはじめて資料を調べ始めた。
数字の不思議?
この3月19日に「流転・依田勉三と晩成社の人々」を刊行した。
第1刷は3月19日で、草森紳一氏の命日を意識した。依田勉三と草森紳一氏は慶応の同窓。今年は勉三没後90年(後で気づいた)。勉三生誕162年。この数字には私の誕生日の数字が・・・。私は2月6日が誕生日。そして16は私に縁がある数字。中学の出席番号が16番。さらに、不思議なのが、昨年、大樹の晩成社跡地に行った日が勉三誕生日の5月15日。阿部良富さんに、写真の許諾をえるために会いにゆきたい、と電話すると相手から「この日が都合よい」と指示されたのが偶然5月15日だった。そして祭牛之霊と佐藤米吉の墓に参り、依田勉三住宅(復元)を観てきた日だった。
数字にこだわりながら、偶然の符合が一致する不思議・・・。これを「ユング心理学」における意味ある無意識の偶然と私は解釈している。
あなたの人生の大事な出会いや出来事で「ふしぎな偶然」が起きているかもしれない。