よしだルーム

吉田政勝の文学的な日々

網走までの途中停車

2014-09-29 08:21:46 | 日記

旅は途中も楽しい。人生もプロセスが刺激的だ。鈴木宗男の生誕地を見て、
メルヘンの丘を撮り、北方民族博物館や網走監獄博物館を見学する。
昼は「海鮮丼」で顔もほころぶ~。(写真はメルヘンの丘めまんべつ)
足寄の国道沿い(大誉地)にある鈴木宗男生誕地。彼は山奥の貧しい農家から政治家になった。鈴木裁判は「冤罪」と確信する松山千春は同郷の親友だ。


フラワーガーデン「はな・てんと」(あばしり)


北方民族博物館(あばしり)

動物の毛皮による防寒衣。中央はアザラシの腸製衣。右はイヌイットの竪穴住居

 常呂・擦文の村「竪穴住居」
常呂での昼食「海鮮丼」

 網走監獄博物館。
ショップでの人気なTシャツ「おつとめごくろうさまです」。

網走刑務所へ行ってきました

2014-09-19 11:40:19 | 日記

私(吉田政勝)は30年前に網走刑務所博物館を見学したが、今度の見学の意識はまるで違う。この数年、北海道史を調べて、監獄囚人の開拓挺身に胸打たれたからだ。そして、大井上輝前という人物に注目した。


典獄室。(典獄とは監獄の所長)

大井上輝前(おおいのうえ てるさき・1848~1912)



 大井上輝前は、14歳のときに同郷の偉才武田斐三郎に学んだ。(砲術や築城、航海術)その後、箱館奉行所が置かれると外国人の応接や国防の要員として務めた。諸学を身につけアメリカに渡り、3年間の見聞を広め、キリスト教の精神を身につけて帰国すると函館府の通訳として北蝦夷地詰めとなる。その後、釧路、空知、樺戸の各集治監典獄を務めた。
 大井上輝前典獄は「監獄は囚人を懲らしめるためでなく、教化と更正のためにある」という信念があった。川湯の硫黄鉱の採掘に苛烈な労働を強いられていた囚人を大井上は政府とねばり強くやりとりを重ねて廃止させた。また、幌内炭鉱で囚人たちが危険な採掘に従事させられていたので、これも大井上は廃止させた。(官僚と企業が癒着する事業を廃止したのだから、その困難さは想像に難くない。それは大井上排除の伏線ともいえる)

 北海道を縦断する意味の中央道路工事を決めるにあたり、釧路典獄であった大井上は自ら網走の原野を踏査し、建設拠点を網走(監獄外役所)に決めた。
 また、囚人を教え諭す教誨師の採用は典獄の権限だった。彼は「キリスト教による教化と更正を柱とする宗教教誨が囚人の衆情安定に効あり」と実施しつづけた。
 だが、日清戦争で民族主義の風潮が強くなりキリスト教を異端視する傾向になり、加えて教誨師をキリスト教に独占された仏教界から不満があった。
 謀ったかのごとく、そんな時「大井上典獄が天皇のご真影を物置に投げ入れた」という新聞の捏造記事が出た。また、囚人同士の融和を図るために大井上が導入したベースボールも保守派には批判された。大井上輝前やキリスト教徒の原胤昭教誨師は、その人道的施策の翼をもがれて排除されてゆくのだった。 
 「監獄ベースボール」これは小説になると思い、私はネットを検索した。だが、すでに本になっていて、著者は成田智志氏であった。(素晴らしい本で、最近賞を受けている)

 監獄が果たした北海道開拓。
 罪の償いのために拘束され国家政策のために厳格なる看守にしたがい、未開地に道や橋を作り開拓に挺身したのが監獄の受刑者であった。ロシアの極東進出への対応のためにも開拓が急がれた。運輸の便は、囚人たちの功労と犠牲があってこそなされた。
 明治10年(1877)に日本の在監者は2万5千人だったが、5年後には4万人に増えた。この間に何があったのか?。そこで「時代への熟考」が生じるのである。
 明治新政府は国の支配権を天皇を中心とし、藩をなくし、大名は貴族とした。廃藩置県で失業した武士たちに生活保障として与えられていた家禄(給与)は廃止され、士族は生活がなりたたなくなった。
 また、政府の重要な役職は、ほぼ長州藩と薩摩藩で独占されていた。薩摩出身の黒田清隆長官は北海道開拓使の設備を薩摩出身の商人に特別安く払い下げたことも発覚し、国民の藩閥政治への批判が一段と強くなった。
 政府から離れ高知に帰郷した板垣退助は、藩閥政治ではなく政治の民主化と国会開設を求めて「自由民権運動」を始めた。
 その後、各地で士族の反乱が起こり、その最大なものが西南戦争だった。鹿児島の西郷隆盛軍と政府軍が戦ったが、西郷軍が破れ2千人余が断罪され監獄に収容された。
 当時は、米や物価が上がり不況で犯罪人が激増もしたが、増税と凶作で苦しむ農民は農民一揆となり、石川県では農民5千人が金貸しの会社を襲撃する事件があった。役所に集団で押しかけ税の延期などを求める集団もあり治安が荒れた。政府批判者は逮捕となり、監獄に収容される国事犯も増えた。
 あふれた囚人を北海道へ送って開拓に使役させよ、と提案したのは、後に司法大臣となる金子堅太郎だった。内務卿の伊藤博文によって取り上げられ、囚人開拓が推進された。金子は「囚人は悪徒なれば、その苦役に耐えられず死んでも監獄費支出の困難な今では一挙両全の策である」と述べる。
 だが、増大する囚人費と囚徒悲惨な実情を知った司法大臣の山田顕義は「犯罪者の濫造を戒め、微罪では検挙をしない」との方針を説いた。


 大井上典獄に採用された原胤昭(たねあき)教誨師は「神の前に人はみな平等」という人間観だった。これは、土屋三余の「士農の身分差なし」、福沢諭吉が説いた「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずと言えり」という考えと同じと思う。
 だが、人は平等ながら、富者と貧者、賢者と愚者の差が生じる。その差はどこからくるか。それは学問があるかないかの差だという。
(上の画像は教誨堂)

「たこ部屋」と呼ばれた動く監獄。
人形による面会室の再現。妻は赤子を背負い切ない光景である。
(小さな画像はクリックすると、少し拡大になります)

しめくくりに一言。
網走刑務所は入るところではなく、見学するところ。
「網走刑務所に行ってきました」というクッキーを買って、帰ってくるのがいいですね。



 

蒸気機関車をみる(狩勝高原で)

2014-09-15 08:54:14 | 日記

蒸気機関車(59672号)、国鉄特急形寝台客車(20系)。主な路線は北海道内でしたが、走行距離は地球を67周走った。(狩勝高原の旧新内駅に設置されている)鉄ちゃん、鉄ガール?歓迎!。


住所:北海道上川郡新得町字新内(狩勝高原) 狩勝峠十勝側3合目。
宿泊、案内は「YORKSHIRE FARM」ヨークシャーファームへ。

(画像はクリックで拡大)


旧狩勝線ミュージアム。(入場券200円・資料、鉄道模型あります)


蒸気機関車の横に併設してあるカフェ。14日は私吉田が店番でした。
入館券販売、コーヒー、お茶、ジュース、アイスクリーム、ケーキなどの販売。


カフェ南には、レンガ作りの旧鉄道官舎でしたが今は「ウェスタンビレッジ」に。
ここでは野外乗馬ができます。「ウェスタンビレッジ」で検索してください。

ヤマメ釣り(渓流を歩きながら)

2014-09-11 09:07:04 | 日記

これは9月初めに「渓流釣り」をした画像です。北海道ではサクラ鱒の子を「ヤマベ」と呼ぶが、本州では「ヤマメ」と呼ぶ。見た目はサケ科の「アマゴ」に似てるが朱小点がない。


釣果のヤマベが蕗の葉にならぶ。
上がナラの実(どんぐり)左上がクルミ。左下がコクワ(キュウイフルーツの味)。本流にゆけば17㎝前後の良型のヤマベが釣れるが、同行者が76歳の方ゆえ、小さな川での釣りになる。崖を登り、草やぶ越えて、熊に遭遇するような所の沢に尺ものヤマベがいるが、もうそれは昔のこと。大物狙いよりも、ただ川を歩くだけでも満足するようになった。釣りは、誰とゆくかで選ぶ川もちがってくる。(画像をクリックすると拡大されます)


釣りの初心者で「上達する人」かどうか、なんとなく予測できる。
上達する人は、必ず名人の仕事ぶりから学ぶ。よく観察している。天気、季節、水の量など状況によって魚の行動もちがってくる。ヘタな初心者は釣りのコツを会得するのが遅い。
 それは、何事にも通じるかもしれない。仕事のできる人は「新しい仕事への対応も早い」。だが、仕事を把握できない人は、ことごとく遅いし、チームワークを乱す。(教えられたことを記憶できないのならメモをとり、マニュアル本を読むべき)
 我流に解釈するなら「釣りも、相手がある恋愛だ」。自己中心では相手が理解できない。相対化、対自できなければヤマベの心が分からないと思う)
 釣りも、勘とデーターが活きるものだと思う。

 同じポイントを餌を3度流してみると、魚がいれば、まず1度は当たりがある。野球の打者でいえば、相手投手が投じた3球のうちの打ちごろの球を見送ったら、もう決して甘い球はこない。釣りも3割打者の境地か?。チャンスを活かさないと、もうヤマベは用心して素早く逃げてしまう。知恵があり、用心する大物ヤマベこそ、生きのびてきた証なのである。だからこそ釣り人も細心で繊細にヤマベに向き合う態度が必要になる。
 自然は恵みの神、そうアイヌ民族が考えたように、「恵みに感謝する心」が生じ、自然と溶け合う自分がいる・・・。初秋の渓流を歩いてリフレッシュできた。


ヤマベの唐揚げ。私は、油で2度揚げしている。山ワサビをつけながら食うと最高。

 禅的思想をつづった「菜根譚」に釣りに関して、こんな文があった。
「水際で糸をたれて魚を釣るは、いかにも世間ばなれしていて気楽で風流なようであるが、魚を生かすも殺すも思いのままである。また、囲碁なども、いかにも上品な遊びのようであるが、勝負という競争意識をはたらかせている・・・」
 釣りは「生殺」の心、勝負事は「戦争」の心を宿すという。しかり、とうなずいた。



ふしぎな偶然?

2014-09-07 06:45:24 | 日記

秋桜、と書いて「コスモス」。そのコスモスの花にバッタがとまっていた。
珍しいので写真を撮ると、翌朝自宅窓にもバッタが?。さらに買い物で車に乗ると右窓にバッタがへばりついていた。3度のバッタとの対面。虫のしらせ?さらに・・・。




実は、以前から先住民族の「アイヌ文化」に興味があり、丸木舟を取材したいと思っていた。(開拓時代の本を出版するため)できれば「鮭を捕獲」する場面を写真に撮りたいと念じていた。その2つの希望がかなった。実は、今日アイヌ文化伝承再現で「マレック漁」を取材してくれ、という依頼があった。このような偶然の確率は・・・。まず稀であるにちがいない。

 偶然が重なる。これを
心理学で「共時性」とユングがいう。
シンクロニシティ(英語:Synchronicity)とは「意味のある偶然の一致」
 心理学者のユングみずから体験している。カワセミのスケッチをしているときに散歩中に水辺で「カワセミの死がい」を発見した。そもそもチューリッヒでカワセミを観ることは稀だ。ユングはその鳥を観たのは生涯でいちどだけと述べている。

 意味ある偶然とか、念ずることが実現する・・そんなことを思いながら「マレック漁」の取材にいってきた。ふしぎだ!(いずれ共時性については、別の機会にもう少し言及してみたい)



これがアイヌ伝統の「マレック漁」(鉄のかぎ針のついたヤリで鮭を捕獲する)