ニライカナイへの憧れ

沖縄への思いを自分なりに綴った日記

心に刻む。

2010-10-30 | 旅の思い出

旅の2日目の朝。
南部へ。




この日の天気予報は雨でしたが、南部へ向かうと少し雲が切れてきました。




今回沖縄へ行くにあたり、同行するMさんに前もってどこか行きたい所ありますか?
と聞いた所、「ひめゆりの塔へ行きたい」とのこたえが。

平和祈念公園からひめゆりの塔へ。

Mさんは今回、6度目の沖縄。
「向き合いたい」と思ってくれた気持ちが私はとても嬉しかったです。
本当はもっと前からそうしたかったのかもな・・・。

私が最後に訪れたのが何年前だったか忘れてしまいましたが
以前と印象が違うなと思ったら修復されていたのですね。



資料館もリニューアルされていて展示が以前に比べて分かりやすく
修学旅行生達も真剣に足を止めて展示物を見ている姿が印象的でした。

なのに、どこのどなたか知りませんが、子供ならまだしも私の親ほどの年齢のツアー客達が
大きな声でペチャクチャ話しながら館内を回っていたのが残念でした。

そのグループの一人の方が、集団自決の文字を見ても「本当にねアメリカが悪いよ」と言っていました。
何か違和感・・・。ちゃんと展示物、読んでいるのかな・・・。
年配の方にはまだ天皇崇拝の教育が残っているからなのでしょうか。

悪いのはアメリカだけ?

戦争を知るにあたり、本当に教育とは恐ろしいものだと感じる事があります。
間違った事を正しいと思い込ませていた時代・・・。

旧日本軍が奪わなくてもいい命まで奪ってしまった事。
その事実を未だ受け入れようとしない人達がいる事。

思い出したくもない悲惨な過去を苦しみながらひとつひとつ紐解いて語り継ぐ沖縄戦体験者の方々。
思い出すのが辛くて語る事が出来ず、黙って過去を封印せずにはいられずに
亡くなられていった沢山の方々。




インターネットの普及と供に、沖縄戦を経験された方の証言など
今まで知らなかった事が知ろうと思えば知る事の出来る時代に少しはなったと思います。
私も沖縄へ数十回と来ているのに最近になって知った事、沢山あります。

知れば知るほど悲惨な過去。
まだ続く現実・・・。

沖縄の友人が
「分かってもらおうとは思わないけど、せめて知って欲しい。」
と私に話して下さった事。
印象的な言葉でした。

沖縄の綺麗な海や美味しい食べ物は知っていても
過去の事実をちゃんと知っている内地の人間が何割居るのだろうか?と常に疑問に思うところです。
まだまだ私も知らない事沢山あります。
でも、その場に足を運び、話を聞き、感じる事の大切さを常に持ち続けたいと思っています。


この日、夕方は読谷のチビチリガマへも向かいました。
排水溝から水が噴水のように溢れるほどもの凄い大雨でした。
道にも迷ってしまった為Gala青い海で暫く雨宿り。
インフォメーションカウンターで場所を確認。

チビチリガマへ到着するも雨は弱まる気配なし。
私達が来るのを拒んでいるような気さえしました。

車の中で待つ事数分。
少し雨が弱まったのを見計らってガマへ向かう階段を下りました。

川の濁流が全ての音を消しさるほどの轟音を立てていました。
あの場所は今、思い出しても涙があふれます。
私達がもしかしたら踏み入れてはいけない場所だという事も分かっています。
でも、ここであった事実を知った以上手を合わせないわけにはいかないと思いました。
手を合わせた時、何て言葉を胸にしたら正しいのか分かりませんでした。
ただただ、本当にごめんなさいという気持ちでした。

チビチリガマ入口には「世代を結ぶ平和の像」があります。
この像は過去に破壊された悲しい事件があります。
像を制作したのは彫刻家の金城實さんと地元の協力者の方々。
金城實さんはお父様が靖国神社に合祀されている方の一人で
無断で「英霊」として祭られている事に対して提訴するもこの度、棄却されてしまいました。

理不尽な事が多すぎて、知れば知るほど胸が痛く、辛い事ばかりです。
でも、私達が知らないだけでそんなことが常日頃沖縄ではおこっているのも事実。

今の若い子達は、私達の世代も含めて戦争を経験していませんが
天皇崇拝や軍事教育を幸いにも受けていません。
沖縄戦の事実をきちんと受け止めて、今置かれている沖縄の現実を把握し
近い将来、過半数以上の「ないちゃー」が沖縄の過去と現実を身近に感じ未来を変えて行けるよう
私なりに伝える努力を微力ながらして行かなければいけないと思っています。

変わらないじゃ変わらない。
変えて行かなきゃ変わらない。


千羽鶴をガジュマルの木に結び、階段を上ると
あんなに激しく降っていた雨がいつの間にか止んでいました。