「ニライカナイへの憧れ」を始めるにあたっては、あるキッカケがありました。
私には学生時代に出会った、2人の沖縄出身の親友がいます。
1人は東京で音楽活動をしています。
夢に向かって常に突っ走っています。
お互いに忙しいので、何年かに一度しか会えませんが久し振りに会ってもあの頃のまま。。。
最近では2年前に会ったのが最後でしょうか?
今まで沖縄の話はあまりしなかったのですが、その時何故か沖縄の話になり
私が熱く語っていると
「沖縄出身の立場から言えない事もあるから、kukuruみたいな立場の人から
言ってくれるのは有難いと思う。」と。
でも、その時は何から行動していいのかわからず漠然としていました。
もう1人の親友は沖縄へ帰り忙しくしています。
私が沖縄に行った時、時間が合えば会う事がありました。
しかし、そんな親友「T」と数年前に大きな喧嘩をしてしまいました・・・。
今から13年前、東京にいた時Tは「東京にいると自分が外国人みたいに感じることがある。」と
言ったことがあり、その意味が全く当時は分かりませんでした。
何でそんなこと言うのか悲しい気持にもなりました。
Tは私にとっては当時とても大きな影響を与えてくれた人で
恥ずかしがり屋だった私に「人と話す時は目を見て話す!」とか
「人目ばっかりを気にしないで行動する!」とか真っ直ぐにアドバイスをいつもくれました。
でも人の事は言うくせに、自分の事はほとんど語らず・・・。
弱味を見せずにいつも格好つけて、自分が苦しい時も私の事を
優先に話を聞いてくれる優しい人でした。
Tが沖縄に帰ってから始めてその優しさに気付き、私は色々Tから
もらったのに私は何もしていなかった・・・と反省しました。
自分も少しは大人になり、ゆっくりTと話をする機会ができた時
若い頃には話してくれなかった家の事や今抱えている悩みなど始めて打ち明けて
くれました。
何でもっと早く話してくれなかったの・・・と思いましたが、あの頃は
私に余裕がなかったのだと思います。
何年も掛かりましたがやっとTが自分の事を話してくれてとても嬉しかったのです。
東京にいた頃のTと沖縄に帰った後のTでは明らかに違いました。
東京にいた頃のTは、多分私に合わせていたのだと思います。
合わせていながら沖縄の気持ちだけはずっと持っていて、その気持ちに
私は影響を受けたのだと思います。
沖縄に帰った後のTが実は本当のTで。
今まで語らなかったT自身の話を沖縄で聞いた時、やっと本当の親友になれたと私は思っていました。
しかし。。。
喧嘩です。
何年も経って初めて心を開いてくれたTに
「もっと沖縄のことわかりたい」と私は言いました。
それに対してTは「kukuruには絶対に理解できない」と言われました・・・・。
悲しくて悔しくて泣きじゃくりました。
何でそこまで突っぱねる??何故私には理解できない??と。
ようやく近づいたと思ったのに一気にまた大きな壁を作られた気がしました。
その時、もう私からは連絡しない。。。と決めました。
でもTとは深い縁があると信じていて。
誰とも分からないこのブログをいつかきっと見つけてくれるかもしれない・・・
と始めたのがきっかけでした。
読まれることのない日記をT宛のメッセージがわりにして。。。
そんなことがきっかけでありながら想像以上に
沢山の沖縄の方と知り合い、自分の知らない沖縄をここで知ることができました。
そのお陰で今になってやっと少しだけTが沖縄のことを
「kukuruには絶対に理解できない」と言った理由がわかるようになりました。
見えない「壁」がここまで厚かったとは全く知らなかったのです。
逆に知らなければよかった・・・と思うほど苦しいこともあります。
Tと今度会う機会があった時はもっとマシな自分でありたいと思うのでした。
学生時代に影響を受けた2人の沖縄の親友がベースにありますが
ここで出会えた沢山の沖縄の皆さんにとても感謝しています。
私が知る何百倍も歴史的な背景や今の現状、想像もできないようなことが
沖縄にはあった、そしてあるのだと思います。
私達観光客は「沖縄」は「沖縄」だと思う人が多いです。
沖縄と言っても土地土地で言葉や風習も違うこと
第一にそこに生活があることを忘れてはいけないと私は思います。
私にとって大切な人が沢山いる沖縄。
私が国の代表なら色々なこと、土下座して謝ります。
沖縄に住みたいと思ったことも正直あります。
でも憧れでいいのです。
旅人であり続ける方が私には向いています。
私には学生時代に出会った、2人の沖縄出身の親友がいます。
1人は東京で音楽活動をしています。
夢に向かって常に突っ走っています。
お互いに忙しいので、何年かに一度しか会えませんが久し振りに会ってもあの頃のまま。。。
最近では2年前に会ったのが最後でしょうか?
今まで沖縄の話はあまりしなかったのですが、その時何故か沖縄の話になり
私が熱く語っていると
「沖縄出身の立場から言えない事もあるから、kukuruみたいな立場の人から
言ってくれるのは有難いと思う。」と。
でも、その時は何から行動していいのかわからず漠然としていました。
もう1人の親友は沖縄へ帰り忙しくしています。
私が沖縄に行った時、時間が合えば会う事がありました。
しかし、そんな親友「T」と数年前に大きな喧嘩をしてしまいました・・・。
今から13年前、東京にいた時Tは「東京にいると自分が外国人みたいに感じることがある。」と
言ったことがあり、その意味が全く当時は分かりませんでした。
何でそんなこと言うのか悲しい気持にもなりました。
Tは私にとっては当時とても大きな影響を与えてくれた人で
恥ずかしがり屋だった私に「人と話す時は目を見て話す!」とか
「人目ばっかりを気にしないで行動する!」とか真っ直ぐにアドバイスをいつもくれました。
でも人の事は言うくせに、自分の事はほとんど語らず・・・。
弱味を見せずにいつも格好つけて、自分が苦しい時も私の事を
優先に話を聞いてくれる優しい人でした。
Tが沖縄に帰ってから始めてその優しさに気付き、私は色々Tから
もらったのに私は何もしていなかった・・・と反省しました。
自分も少しは大人になり、ゆっくりTと話をする機会ができた時
若い頃には話してくれなかった家の事や今抱えている悩みなど始めて打ち明けて
くれました。
何でもっと早く話してくれなかったの・・・と思いましたが、あの頃は
私に余裕がなかったのだと思います。
何年も掛かりましたがやっとTが自分の事を話してくれてとても嬉しかったのです。
東京にいた頃のTと沖縄に帰った後のTでは明らかに違いました。
東京にいた頃のTは、多分私に合わせていたのだと思います。
合わせていながら沖縄の気持ちだけはずっと持っていて、その気持ちに
私は影響を受けたのだと思います。
沖縄に帰った後のTが実は本当のTで。
今まで語らなかったT自身の話を沖縄で聞いた時、やっと本当の親友になれたと私は思っていました。
しかし。。。
喧嘩です。
何年も経って初めて心を開いてくれたTに
「もっと沖縄のことわかりたい」と私は言いました。
それに対してTは「kukuruには絶対に理解できない」と言われました・・・・。
悲しくて悔しくて泣きじゃくりました。
何でそこまで突っぱねる??何故私には理解できない??と。
ようやく近づいたと思ったのに一気にまた大きな壁を作られた気がしました。
その時、もう私からは連絡しない。。。と決めました。
でもTとは深い縁があると信じていて。
誰とも分からないこのブログをいつかきっと見つけてくれるかもしれない・・・
と始めたのがきっかけでした。
読まれることのない日記をT宛のメッセージがわりにして。。。
そんなことがきっかけでありながら想像以上に
沢山の沖縄の方と知り合い、自分の知らない沖縄をここで知ることができました。
そのお陰で今になってやっと少しだけTが沖縄のことを
「kukuruには絶対に理解できない」と言った理由がわかるようになりました。
見えない「壁」がここまで厚かったとは全く知らなかったのです。
逆に知らなければよかった・・・と思うほど苦しいこともあります。
Tと今度会う機会があった時はもっとマシな自分でありたいと思うのでした。
学生時代に影響を受けた2人の沖縄の親友がベースにありますが
ここで出会えた沢山の沖縄の皆さんにとても感謝しています。
私が知る何百倍も歴史的な背景や今の現状、想像もできないようなことが
沖縄にはあった、そしてあるのだと思います。
私達観光客は「沖縄」は「沖縄」だと思う人が多いです。
沖縄と言っても土地土地で言葉や風習も違うこと
第一にそこに生活があることを忘れてはいけないと私は思います。
私にとって大切な人が沢山いる沖縄。
私が国の代表なら色々なこと、土下座して謝ります。
沖縄に住みたいと思ったことも正直あります。
でも憧れでいいのです。
旅人であり続ける方が私には向いています。