五月乃家

へい、ご案内!(某師匠のHPをパクってみました)

坂の上の雲

2009年12月04日 | 映画とかテレビとか
すごいですねー。
あまりCGに頼ってなさそうなセット!
豪華俳優陣!お金かかってます!
もうそれしか、感想ないです。

10代の少年を演じるモッくんと香川照之が、
あまりにも無理すぎて大笑い

弾ける10代を表現しようとしたのか、やたらはしゃぎすぎてて、
「なんかテンションが高すぎるおかしな人」になっちゃってます

まあ、面白くなるのはこれからですねー。


あと、正岡子規の番組も見ました。
”子規がいかに友達思いでいい人だったか”
ということばかり強調し、美談に仕立て上げてましたが、
その分、家族には当り散らし、わがまま放題だったってことは、
あまり触れていませんでしたね、当然ながら。
明治の男なんて、そんなものだったのかしら・・・

「柿くへば 鐘がなるなり 法隆寺」
という俳句は、先に発表した漱石の句にそっくり。
番組では「友情の証」と解説してましたが、ホントかー?
パクっちゃったんじゃないのかー?(笑)
漱石も子規が師匠だから言えなかったとかね

ちなみに、柿が大好物の子規の句には、
柿が登場するものが120くらいあるそうです。

どんだけ柿好き!?

東京文芸散歩

2009年12月02日 | どくしょ


東京の下町から、ちょっと郊外のほうまで、
文学作品に登場する街を、その作品の一部とともに紹介。
地図も載っているので、実際に本片手の散歩も可能です

私は学生の頃、スタンダードな文学作品はあまり好まず、
ちょっとマイナーな作家作品を読むことが好きでした。
国語の授業で感想文を書くとき、困るんですけどね

・・・というわけで、本書に登場する定番文学作品は、
ほとんど読んだことがなく、でも街の描写が魅力的なので、
いまさらながら読んでみようかと思います。

普通は、文学作品を読んで、その土地を訪ねるというものでしょうが、
散歩の本から文学作品を知る、というのもありかもしれません。

例外は、以前訪れたことのある根岸の子規庵。
大好きな正岡子規の終の棲家のあった根岸は、
かつて鶯が鳴き、ごろりと横になれる草原があったとか。
根岸に住み始めた頃は、まだ散歩が出来たんですね。
病に臥してからの子規を訪ねた寺田寅彦が、
玄関に女物の履物しかないのが胸にこたえた、
と記しています。その頃はもう外出はかなわなかったのでしょう
あ、「坂の上の雲」録画してあるのまだ見てないや。

この本抱えて、ゆっくり散歩したいものです・・・

やっぱりDHAだね!!

2009年12月01日 | 窓際ナースのお仕事
毎日、ウォークマンで落語を聴きながら通勤してる私

この前、「目黒のさんま」を聴いてたら、
すごくさんまが食べたくなってきて、

そしたら、その日の病院の夕食がさんま・・・

誰か食べない患者さん、いないかしら?
と思ったけど、そういうときに限って全員食べるという・・・。

肉食系の私が好きなお魚は、ほっけ・しゃけ・ぶり、くらいかな。
生のお魚はダメなので、焼き魚限定です。
さんまはまああれば食べる、程度なんですが、
脂の乗った焼きたてのさんまの表現が、食欲をそそり、
なんかそのときはものすごーく食べたい気分だったのです

病院食って、魚・鶏肉・豆腐が多いので、
全体に低カロリー。淡白なものばかりです

その中にあって、たまーに出るウナギは大人気。
お刺身も出るけど、やっぱり味の濃いウナギがいいみたいです

患者さんに、食べたいものを聞くと返ってくる答えは、
ラーメン・チャーハン・餃子・焼肉・ハンバーグetc・・・
味が濃くて、脂っぽいものばかりですね。

糖尿の方も多く、食事制限は大変です。

円楽師匠の言葉

2009年12月01日 | 落語
「笑点」って、三浦綾子の小説「氷点」にあやかろうというのと、
「笑いのポイント」っていう意味。
そして我々に「焦点」を当ててくださいっていう意味もあるそうです。

今でも、サザエさんと並び、日曜日の国民的番組ですもんね~


「落語に行こう」の対談の中で、師匠がこう語ってます。


とにかくはずみがつくと、お客さんがドーンと来る。
テレビ・メディアで人気が出たら、必ずその人気を寄席に持ってくる。
そうでなくちゃ、テレビに出た意味はない。
そこで一生終わるわけじゃないんだからね。
でも、当時お客様が入るようになって、よく文楽師匠が言ってましたよ。
「世の中分からないもんですネ。あんな奴らがあんな芸で・・・」って(笑)
大事なのは、「芸と人気は比例しない」ってことですよ。
落語に縁もゆかりもない人が聞きにくるようでなきゃだめです。
落語ファンといわれる人たちは、いつの時代にも固定してるんだけれど、
そういう人しか来ないようじゃいけない。あたしはそう思います。
やっぱり落語は大衆娯楽の先頭なんだと、そういう気概を持ってます。
片隅に作マイナーな花じゃヤなんだ。メジャーでいたい。
それが今でも「笑点」をやってる理由です。


なるほどなるほど

「落語がわからない人が聞きに来るようになっちゃおしまいだ」
って言うのかと思えば、そういうことじゃないんですね。
聞きに来る人がいてこその寄席ですもんね。
芸と人気が比例しないっていうのは、この前すごーく実感いたしました。
いや、誰とは言いませんけどね(笑)

そうそう、どなたかがマクラで話してたんですが、
海外に呼ばれて落語をやることになり、
台と座布団があれば大丈夫です、と言っておいたら、
座布団が10枚ほど用意されてて、こんなものでいいですか?と言われたとか。
やっぱり大喜利=落語のイメージが強いんですねぇ