Smudge!!

泥だらけになってでもやるしかない。

働くネコ

2011-04-28 21:11:45 | 仕事

朝の仕事は日に日に確実に忙しくなってきている。運ばれてくる荷物は相変わらず米や飲料水など、まだまだ支援物資等の荷物が多いけど、一人暮らし用の荷物もだいぶ多い。最近まで引越し用の荷物は他会社に委託していたらしいけど、それもなくなったのでホントに荷物が多い。息つく暇もなく勤務時間が終わるそのまますぐにいつもの職場へ行き、仕事が始まるも、最近は完全に朝から疲れている。
そんな中、送られてきた荷物に電子レンジなどがあると「あ、いいなー」と思ってしまう。地震で電子レンジが壊れてしまったので、もう少しお金が貯まったら新しいのを買おうと思っているが、自宅から比較的近い大手電器屋さん3つは震災でダメになったり、つい最近までは電子レンジは品切れ状態だった。でも、そろそろ揃い始めたらしい。どうせだからオーブンレンジが欲しいのだ。
今週は毎日忙しくて、勤務時間が早朝に関らず汗をかいた日もあった。こっちがネコの手も借りたいくらいだ。


馴染みの店

2011-04-24 21:49:44 | 東日本大震災

金曜日にお店から、「電気・水道・ガスが復旧し、全てのサービスが利用できるようになりました」とメールがきて、震災後、初めて髪を切りに行った。
昔から通っていて、地元にあるそのお店は海に近く、津波で壊れたかなと心配していたがなんとか無事だったようだ。しかし向かいの塾や隣の飲食店はシャッターがグチャグチャだったり壁が壊れたりしているのに何故かそのお店だけポツンと無事だった。もちろんガラスが割れたりしたらしいが、営業再開できる範囲の被害だった。
店内は半分くらいしか使えず、壁の150cmくらいの高さの所までにはしっかり浸水した水の跡が着いていた。店内の物も流されたようで、道具も不足気味だった。幸い、スタッフの人たちは全員無事で、地震直後の話を聞いたら地震後30~40分後くらいには津波が来たらしい。ちょっとした判断の遅れが大きな運命の分かれ道だった。
お店は駅の近くだし、ついこの間、電車も通ったのでその辺りも少しは通常に戻っているかと思いきや信号もまだだし、いろんなお店もやっていないので人がいなくて静かだった。コンビニや駅の裏のスーパーは未だに店頭販売。道路には津波でボロボロになった車もまだ残っていたりする。塩竈市内でも海から少し離れれば、そんなことはないのに。塩竈には本屋が少ないので、スタッフの人は仕事的にも個人的にも本や雑誌が読めないのがケッコー辛いと言っていた。
前回は次来る時はさらにパーマを強くして、くるんくるんにしようかと思ってたけど、今はそんな気にもなれないのでやめた。
スタッフの人とも話したが、震災後はなんだか物欲が弱まった。今必要かは前以上に考えるようになったのはもちろん、手に入れてもまたすぐ地震がきて、また壊れちゃうんじゃないかとか考える。まぁ、それでも、必要な物はちょっとずつ手に入れたりしてきている。
ここ数年、けっこー通っていたアジア雑貨のお店が昨日から営業再開したが、震災の影響で閉店することになった。本格的な家具を揃えていたお店は他にないので残念だ。本格的な物だけあって、お値段もなかなかで、ボクにはなかなか手の届きにくかっただから、手を出していたのはもっぱら小物だ。全品半額からスタートした閉店セールは初日の昨日ですでにありえない人の多さだった。来店した昼頃にはすでに家具のほとんどに「売約済み」シールが。ボクは地震の被害で壊れてしまった、ゴミ箱(籠)と食器などの必要な物だけを買った。お香立ても壊れたので、それとついでにお香幾つかと小物を買った。全て半額だったから、普段の状況だったらあれもこれもとなってしまったかもしれない。別の場所で営業してくれたらいいのになぁ。


フットボールパワー。スポーツの力。

2011-04-24 09:08:11 | サッカー

震災後、速やかにリーグ中断を決定したJリーグがついに再開。海外でもサッカー界は献身的に日本を支援してくれていて、とても嬉しく感じた。
電力の問題やスタジアムの問題などはまだ抱えたままだけど、週末の楽しみが戻ってきた。
マリノスはアントラーズに3-0で勝った。アントラーズは被災地復興の気負いとACLの疲れがあったようだ。被災地以外のクラブもチャリティーマッチやそれらの活動などで支援してくれているし、リーグ全体が盛り上がればいい。
ベガルタの逆転勝利、楽天のサヨナラ勝ち。昨夜の仙台のサポーター達は沸いただろう地元クラブながら、応援したことはなかったベガルタと楽天のことを今季だけは少し違った目で見てしまう。避難所のテレビで試合の展開に一喜一憂する人たちを見ると、他サポなので「勝て!」とまでは思わないけど、他サポながら「負けるな!」とは思ってしまう。一生懸命がんばれ!


雪です。

2011-04-19 21:20:12 | 東日本大震災

今日は寒かった。気温も8℃くらいまでしか上がらなかったようだ。そして夕方から雪が降っている。今夜はこれから風も強くなって天気は荒れるようだ
地盤沈下が酷い石巻のある地域はただでさえ一日二回、満潮時にしっかり冠水するのにそれに加え今夜の大シケ。怖いだろうな。
始業式を迎えた学校も出始め、そして給食も始まった学校もあるらしい。しかし、ニュースで見た献立はコッペパン1個と牛乳1本。まだ給食センターが復活してない理由に加え、食べ物の有り難みを感じさせることと、この際、朝食をしっかり食べる習慣を身につけさせる意図があるらしい。けど、小学生高学年くらいにもなると完全に量は足りないだろうな。可能なら、もう少し増やしてあげてもいいような気もするけど。
塩竈までやっと電車が通ったらしい。


桜が咲いていた

2011-04-17 19:12:24 | 

水曜日に病院に行ったけど、矯正の新しい装置が上手く合わなくて、歯茎に当たってしまっていた。痛かったけど、またいつもみたいじきに慣れるかと思って我慢してたが、歯茎は腫れて内出血っぽくなってしまったそしてあまりの痛みで付けられなくなった。木曜日に病院に電話して担当の先生に相談したら急患で予約入れてくれて、急遽、金曜日に病院へ行ってきた。治療自体は装置を調整し直すだけだったので、30分くらいで終わった。装置もキツメなので久しぶりにハッキリと歯が痛い。

朝も昼も最近の道路は混んでいる。ガソリンはだいぶ出回っているが、電車やバスがまだ通常ダイヤじゃないので車移動が増えているんだろう。そしてそれ以上に自転車人口も増えている。車通勤だったのが、地震後から自転車通勤に切り替えた人が多くて、今後もこのまま出来る限りで車を使う人が減ったらいいと思う。

気づいたら近所でも桜が随分と咲いていた。今年は気づく余裕がなかった。なんかピンク色が薄く感じる。
今年の花粉症はここ数年で格別にヒドい。

              


あれから1ヶ月。

2011-04-11 20:53:01 | 東日本大震災

この1ヶ月、まだまだ余震は続いていて、揺れない日はないけど少しは落ち着いた。
あの日は、大きな揺れの後、空は急激に暗くなりモサモサの雪が降りだした。まるで、漫画に出てくる地球最後の日のようだった。携帯電話はすぐに繋がらなくなった。通話もメールも不通で、センター問い合わせは、電池を消費するばかり。ボクは電池が切れる前に家族や親戚、親しい人の電話番号を紙に書き写した。震災翌日の自宅へ帰れた時に、釣り用にしまってあった懐中電灯や携帯ラジオを引っ張り出した。携帯できる食べ物はなく、そういった物は少し常備させておくべきだったと思う。貴重品はある程度まとめておいたので大丈夫だった。そしてブレーカーを下ろして避難所へ戻った。(停電解除になった時に室内の電気コード等が傷ついていた場合、火事の恐れがある)
つい先日の震度6強の余震は23時半頃だった。寝ていたので、揺れで目が覚めた。揺れがおさまり、外に出ると両隣の部屋の住人も外に出ていた。互いの安否を話していたら、片方の部屋に住むおじさんの左腕がザックリ、パックリ切れていて、血がダラダラ流れていた。腕のことを話すと、おじさんは自分の腕が切れていることに気づいていなかった。それほどパニくっていた。ボクはすぐに部屋に戻り、タオルを持って出ておじさんの腕に巻いた。駐車場に降りると外は停電で一帯がまた暗く、近辺の家の人達もとりあえず外に出てきていた。津波警報が出て、あの暗闇の時間帯に津波が来るのかと思うと怖すぎた。海側の人は一斉に移動した。1ヶ月前のあの日があったから。1ヶ月前のあの震災時間がこんな時間帯だったら、もっともっと被害は大きかったんだろう。恐怖。
ついこの間、津波被害が甚大な県北地域の友人の安否の確認がやっととれて、すごく安心した。彼の「t9さん、うちの町、何もなくなっちゃいました」と言う言葉に上手く声をかけてあげられなかった。慰めたらいいのか、励ましたらいいのか。でもどんな言葉も適切じゃない、足りないんじゃないかと思ってしまい、言葉につまってしまった。
別の友人は、あれ以来、地震があると体の震えがとまらなくなってしまう。また津波が来て、何もなくなっちゃうかもしれないと思ってしまうようだ。
目の前で家が流されたり、隣で命の火が消えたり、逆にたまたま出会った命をつなぎ止めることが出来たり。必要以上の過酷な経験をした人が多すぎる。
家族が無事だったり家が残ったようなボクは、それだけで十分だと思う。
家を失った友人は、家族が無事だっただけで十分だと言った。
家族を失った知人は遺体が見つけられただけでもマシだと言った。
遺体が見つかった別の知人はお葬式をあげられただけでも良かったと言った。
家族を探していたテレビ画面に映っていた人は、家族は見つからなかったけど、自衛隊へ捜索してくれたことに感謝していた。
生き残ったボクらは本当に生かされた命だと感じる。
津波は感情なく、町を飲み込み、感情なく去っていった。人間が作った物しかないのに残ったのは無音の風景。
多くの支援物資、人、気持ちに助けられた。ありがとうございます。
それでも時間が経過した分、頑張るのにも少し疲れてきたと感じる時もある。しかし、被害が軽いボクらが動かなきゃ、被害の大きい人達はもっと辛くなる。少しずつ、出来ることは出来るだけフツーに行っていきたい。そして引き続き、被害の大きい地域の人達を考慮した行動をとるようにしたい。
国内の「自粛」に優しさを感じたりもしたけど、「復興」へはそろそろ力不足になってきたんじゃないか。
現場で活動している人は信頼できるが、国はあまり信用できないのが本音。特に漁業・農業関係の人たちの今後にはどう考えたって国の支援が必要。しっかりしてくれ。
津波や震災被害で苦しむ宮城県内や岩手の人、東北地方、さらには原発関連で苦しい思いをしている福島や液状化関連で苦しんでいる北関東の人、みんな諦めずに生きましょう。頑張るのを少し休んでもいいから諦めずにいきましょう。

知ってる人も多いかもしれませんが、このような素晴らしい人たちに助けてもらいました。
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing/
ありがとうございます。