Smudge!!

泥だらけになってでもやるしかない。

熊大東新宮東大

2011-09-28 17:36:10 | 生活
今月はじめは熊本にいながら、大分の現場を手伝いに行ったりした。
間もなく東京を経由して、新潟の現場を手伝いに行った。
そして、この前の連休に宮城に帰ってきた。
今は東京へ向かう新幹線の中。
東京駅着いたら、羽田へ移動して福岡行きの便に。それから大分へ。
安い便とは言え、23時に福岡着くのはしんどいそこから大分移動だもの

今月はだいぶ移動した新幹線、飛行機、バス。
飛行機が一番いいかな

ばか肉

2011-09-23 01:54:14 | 

たしか9月に入ってすぐだったはず。
足の親指の爪のちょっと尖った部分があるのに気づいてしまい、ついつい指でガリッとした
ちょうど爪の横の部分。

ちょっとだけ横の皮も剥けて、ちょっとピリッとした。けど、まぁ、珍しいような事態のことじゃないし、そのまま放っておいた。
いつもならそのまま何事もなく完治。なるとしても少し赤くなるくらい。

今回は赤くなった。そして、気づいたら、皮が剥けた傷口から肉が飛び出していた。押し出されたと言うのか。
現場作業でしゃがんだり、踏ん張ったりし続けていたからだろうか。

このむき出しの肉の塊は風が吹いても痛いくらいで、ついに耐えるに耐えられなくなって病院へ行った。むしろ今まで、大分の現場も、新潟の山も我ながらよく我慢したと思う。
この症状は『ばか肉』と言われる巻き爪の人に見られる症状らしい。
赤紫色になり、パンパンに腫れた親指は、薬のせいか、少し腫れがひいたようにも見える。
化膿がおさまったら切開やらなんやら、とにかく切らなきゃいけないっぽい


痛い。


新潟の現場

2011-09-18 20:03:05 | 仕事

新潟に着いてから約一週間。
ここの現場は山城の調査。その調査前の草刈り作業の現場監督。
ただ、山城だけあって草刈りも草刈りのレベルのじゃない。伐採だ。草刈り機だけじゃ太刀打ち出来なくて、近々チェーンソーが導入される。

毎日、標高約230mまで30分かけて登る。草刈り機などの道具や燃料、飲料水などを担いで登る。昼に下山して、1時間後にまた登る。腰には蚊取り線香と鈴をぶら下げて。蛇や虫ならまだしも、熊だけは逢いたくないもんだ
チャドクガや漆にやられている作業員さんが増えてきている為、日に日に着る物・身につける物も増えてきている。
登り下りするだけでもケッコーな体力を消費する。さらにそこでの作業。フツーの現場以上に汗をかいている

今週はずっと30℃越えの日が続いて、作業員さんもだいぶしんどそうだった。
ボクも暑かったのは確かだけど、熊本の暑さよりは弱いなと感じてしまった。


熊本→東京→新潟

2011-09-12 00:42:42 | 生活
朝から荷造りの続き。
どうにか間に合わせ、熊本をバタバタと発ち、昼には東京に着いた。一人での東京は初めてだった
20時過ぎに新潟へ着く新幹線のチケットを予約し、約5時間の暇つぶしへ。
とりあえず見つけた本屋へ入ったら、久しぶりの本屋だったのでついつい長居してしまった
運悪く、熊本では全く見かけられなかった、松田が倒れた直後に出たサッカー雑誌が特別に(?)まだ陳列されてるのを見つけて手に取った。
でもすぐ読めなくなって、途中でやめた。
今日も本屋でのいつもの流れを忠実に行動する。サッカー雑誌から格闘技雑誌、そしてファッション雑誌、インテリア雑誌コーナーへ動く。今日は釣り雑誌やバイク雑誌コーナーは素通りした。
そして、文庫本コーナーの後は、珍しくビジネス本のコーナーもウロついた。こういう情報ももっと積極的に取り入れなければいけないと思った。
予想よりも大きな本屋だったので、いつもより余計に、じっくりウロついた。
東日本大震災関連のコーナーへ行って一冊手に取ったら、あっけなく鼻水と涙でグズグズになってしまい、これ以上は無理だと思って数十分前のマツの件同様途中で読むのをやめた。
やっぱり、まだまだ当時を表す文や写真を目にしたら、しっかりとあの時の色んなことやあの時からの色んなことを思い出す。時間が経つにつれフワッとなりかけてたものがしっかりまた鋭角に鮮明に形を取り戻した。
きっと今日は『あれから半年』的なテレビ番組がやっているんだろう。
なんやかんやで2時間くらい本屋にいた。

その後はとりあえず東京駅を出て、皇居の方へ行ってみた。キャリーバックとエナメルバックを持っていたし、日差しの強さもあって割とすぐ引き返してきた。テレビで見たことあるように自転車の人達とランナー達がすごく多かった

まだ2時間近くの空き時間があったので、カフェに入った。
お洒落なオープンカフェでちょっと躊躇したけど、シレっと入った。屋内席に座る。高めの椅子に腰掛けて、あたりをよく見るとグラスや緑色の瓶を片手に昼間からアルコールを飲んでる人が多かった。外国の人が一人で飲んでいると画になる。
一人ランチして時間をつぶして、東京駅へ戻った。

出る時に新丸ビルって書いてあった。


新潟にも無事着き、やっと就寝。
長い一日だった。
明日も早い

今日と言う日。

2011-09-11 20:03:15 | 東日本大震災

あの日から半年。

あの日のことも、

あの日からのことも、
忘れない。

忘れちゃいけない。

そして、これからのことも。

震災の影響とは言え、こういった状況の後に家(東北)から離れると言うことにずっと負い目を感じていた。
だからと言って、宮城にあのまま居たとしても震災復興最前線で動いていたとは言いきれない。実際のところ、あの状況で仕事をしていくのは厳しかったので、西へ行くことになった。自分の生活もあったし、さらには仙台支店で働く人たちの生活にも関係していたのは事実だったから。

福島を離れた友人も同じようなことを言っていた。

地元に残った人も動いた人も、残らざるをえなかった人も動かざるをえなかった人も、各々、環境が違うので、その正解はないのを知っている。

「半年」と言うのはただの時間の経過。
この震災を九州では現実のものとして捉えきれていない人はいた。
それは仕方ないとは思うし、それをどうのこうの言う気もない。やっぱりテレビ画面を通してだけ見て、同じように感じてもらうのは無理だもの。
ただ、それをどういう風に感じてくれるかで、ボクらは有り難く感じたり、悲しく感じたりする。

東北を離れたとしても、生かされた人間は知らない人たちへ伝えていくことも正解の一つなのかなと思う。


少しずつ東へ

2011-09-10 19:24:09 | 仕事
一週間の大分出張も昨日で終わった。高速で3時間かけて熊本へ帰ってきた。まぁ、もともとが熊本に出張なんだから、出張の出張だ
一週間の現場作業と言えどもしっかり日に焼けたと思う
そして、急な展開だが日曜日に新潟の現場を手伝いに行くことになった2週間くらい新潟で作業したら、仙台支店の内業をする名目で帰仙する。おそらく仙台滞在は2週間くらいでまた再び熊本へ戻ることになりそうだただ、あくまで予定だし、うちの会社の急な動きを考えるとなかなか先がわからない
昨日は急遽、支店の人たちに送別会をしてもらえた。2ヶ月しかいなかったし、またすぐ戻ってきそうなので恐縮だったが嬉しかった。さすがに九州男児たちはずっと焼酎ですごかった



男子と女子

2011-09-04 10:55:01 | サッカー

昨夜、大分から帰ってきた。久しぶりの現場はやっぱり疲れた。
また明日、大分へ出発して、今度は一週間くらい現場入り

サッカー、男子の北朝鮮戦、女子の韓国戦は途中からだけど一応観れた。
香川はサイドだとあまり活きないんだな
北朝鮮は、後半からデザインの異なったユニフォームを着用していたけど、あれはアリなの初めて観たそして北朝鮮のGKが足を痛めたのは演技だったのかホントに痛めたと思わされた。でも最後の日本の猛攻には機敏に動いていたし…予想よりもしっかりサッカーしていた。テセ、もしくはテセみたいなFWが日本にもいたらな~
女子は後半、だいぶしんどそうで、澤が苦しそうだった永里姉のあの余裕感全開の態度がイマイチ気にくわないでも、あの場面から出場しての役割はしっかり果たしていたので、あの辺は上手い。
なんで女子ってこんなに過密日程なんだろう。その上、W杯よりも登録メンバーが少ないって可哀相だ。
川澄と柏木が似ていると思った。


結局は何事も経験だと言うこと。

2011-09-01 23:34:18 | 仕事
どうにか納品出来た。

初めての納品になったけど、終えられてホッとした。
成果品作成に割く時間をもっと確保しておけば、こんなにバタバタしなかったんだろう。けど、成果品作成にあたって、よくよく考えたらボクは成果品(作成作業も)を見たことがなかった。事前に確認するべきだったんだろうけど、予想以上に時間がかかった。
昔のマンガの一コマのように徹夜した。前の日も徹夜に近いくらい帰りは遅かった。
もうフラッフラだ
かなり他の人にも助けてもらった。初めて一人で着手から納品までを作業したから、こんな状態になってもそこまで強くは怒られなかったけど、次はこんなにバタバタするのは許されない。

ひとまず担当の業務はない状態になったので、明日は大分の現場を手伝いに行く。

疲れた。