間もなく東京を経由して、新潟の現場を手伝いに行った。
そして、この前の連休に宮城に帰ってきた。
今は東京へ向かう新幹線の中。
東京駅着いたら、羽田へ移動して福岡行きの便に。それから大分へ。
安い便とは言え、23時に福岡着くのはしんどいそこから大分移動だもの
今月はだいぶ移動した新幹線、飛行機、バス。
飛行機が一番いいかな
たしか9月に入ってすぐだったはず。
足の親指の爪のちょっと尖った部分があるのに気づいてしまい、ついつい指でガリッとした
ちょうど爪の横の部分。
ちょっとだけ横の皮も剥けて、ちょっとピリッとした。けど、まぁ、珍しいような事態のことじゃないし、そのまま放っておいた。
いつもならそのまま何事もなく完治。なるとしても少し赤くなるくらい。
今回は赤くなった。そして、気づいたら、皮が剥けた傷口から肉が飛び出していた。押し出されたと言うのか。
現場作業でしゃがんだり、踏ん張ったりし続けていたからだろうか。
このむき出しの肉の塊は風が吹いても痛いくらいで、ついに耐えるに耐えられなくなって病院へ行った。むしろ今まで、大分の現場も、新潟の山も我ながらよく我慢したと思う。
この症状は『ばか肉』と言われる巻き爪の人に見られる症状らしい。
赤紫色になり、パンパンに腫れた親指は、薬のせいか、少し腫れがひいたようにも見える。
化膿がおさまったら切開やらなんやら、とにかく切らなきゃいけないっぽい
痛い。
新潟に着いてから約一週間。
ここの現場は山城の調査。その調査前の草刈り作業の現場監督。
ただ、山城だけあって草刈りも草刈りのレベルのじゃない。伐採だ。草刈り機だけじゃ太刀打ち出来なくて、近々チェーンソーが導入される。
毎日、標高約230mまで30分かけて登る。草刈り機などの道具や燃料、飲料水などを担いで登る。昼に下山して、1時間後にまた登る。腰には蚊取り線香と鈴をぶら下げて。蛇や虫ならまだしも、熊だけは逢いたくないもんだ
チャドクガや漆にやられている作業員さんが増えてきている為、日に日に着る物・身につける物も増えてきている。
登り下りするだけでもケッコーな体力を消費する。さらにそこでの作業。フツーの現場以上に汗をかいている
今週はずっと30℃越えの日が続いて、作業員さんもだいぶしんどそうだった。
ボクも暑かったのは確かだけど、熊本の暑さよりは弱いなと感じてしまった。
あの日から半年。
あの日のことも、
あの日からのことも、
忘れない。
忘れちゃいけない。
そして、これからのことも。
震災の影響とは言え、こういった状況の後に家(東北)から離れると言うことにずっと負い目を感じていた。
だからと言って、宮城にあのまま居たとしても震災復興最前線で動いていたとは言いきれない。実際のところ、あの状況で仕事をしていくのは厳しかったので、西へ行くことになった。自分の生活もあったし、さらには仙台支店で働く人たちの生活にも関係していたのは事実だったから。
福島を離れた友人も同じようなことを言っていた。
地元に残った人も動いた人も、残らざるをえなかった人も動かざるをえなかった人も、各々、環境が違うので、その正解はないのを知っている。
「半年」と言うのはただの時間の経過。
この震災を九州では現実のものとして捉えきれていない人はいた。
それは仕方ないとは思うし、それをどうのこうの言う気もない。やっぱりテレビ画面を通してだけ見て、同じように感じてもらうのは無理だもの。
ただ、それをどういう風に感じてくれるかで、ボクらは有り難く感じたり、悲しく感じたりする。
東北を離れたとしても、生かされた人間は知らない人たちへ伝えていくことも正解の一つなのかなと思う。
昨夜、大分から帰ってきた。久しぶりの現場はやっぱり疲れた。
また明日、大分へ出発して、今度は一週間くらい現場入り
サッカー、男子の北朝鮮戦、女子の韓国戦は途中からだけど一応観れた。
香川はサイドだとあまり活きないんだな
北朝鮮は、後半からデザインの異なったユニフォームを着用していたけど、あれはアリなの初めて観たそして北朝鮮のGKが足を痛めたのは演技だったのかホントに痛めたと思わされた。でも最後の日本の猛攻には機敏に動いていたし…予想よりもしっかりサッカーしていた。テセ、もしくはテセみたいなFWが日本にもいたらな~
女子は後半、だいぶしんどそうで、澤が苦しそうだった永里姉のあの余裕感全開の態度がイマイチ気にくわないでも、あの場面から出場しての役割はしっかり果たしていたので、あの辺は上手い。
なんで女子ってこんなに過密日程なんだろう。その上、W杯よりも登録メンバーが少ないって可哀相だ。
川澄と柏木が似ていると思った。