Smudge!!

泥だらけになってでもやるしかない。

あれから1ヶ月。

2011-04-11 20:53:01 | 東日本大震災

この1ヶ月、まだまだ余震は続いていて、揺れない日はないけど少しは落ち着いた。
あの日は、大きな揺れの後、空は急激に暗くなりモサモサの雪が降りだした。まるで、漫画に出てくる地球最後の日のようだった。携帯電話はすぐに繋がらなくなった。通話もメールも不通で、センター問い合わせは、電池を消費するばかり。ボクは電池が切れる前に家族や親戚、親しい人の電話番号を紙に書き写した。震災翌日の自宅へ帰れた時に、釣り用にしまってあった懐中電灯や携帯ラジオを引っ張り出した。携帯できる食べ物はなく、そういった物は少し常備させておくべきだったと思う。貴重品はある程度まとめておいたので大丈夫だった。そしてブレーカーを下ろして避難所へ戻った。(停電解除になった時に室内の電気コード等が傷ついていた場合、火事の恐れがある)
つい先日の震度6強の余震は23時半頃だった。寝ていたので、揺れで目が覚めた。揺れがおさまり、外に出ると両隣の部屋の住人も外に出ていた。互いの安否を話していたら、片方の部屋に住むおじさんの左腕がザックリ、パックリ切れていて、血がダラダラ流れていた。腕のことを話すと、おじさんは自分の腕が切れていることに気づいていなかった。それほどパニくっていた。ボクはすぐに部屋に戻り、タオルを持って出ておじさんの腕に巻いた。駐車場に降りると外は停電で一帯がまた暗く、近辺の家の人達もとりあえず外に出てきていた。津波警報が出て、あの暗闇の時間帯に津波が来るのかと思うと怖すぎた。海側の人は一斉に移動した。1ヶ月前のあの日があったから。1ヶ月前のあの震災時間がこんな時間帯だったら、もっともっと被害は大きかったんだろう。恐怖。
ついこの間、津波被害が甚大な県北地域の友人の安否の確認がやっととれて、すごく安心した。彼の「t9さん、うちの町、何もなくなっちゃいました」と言う言葉に上手く声をかけてあげられなかった。慰めたらいいのか、励ましたらいいのか。でもどんな言葉も適切じゃない、足りないんじゃないかと思ってしまい、言葉につまってしまった。
別の友人は、あれ以来、地震があると体の震えがとまらなくなってしまう。また津波が来て、何もなくなっちゃうかもしれないと思ってしまうようだ。
目の前で家が流されたり、隣で命の火が消えたり、逆にたまたま出会った命をつなぎ止めることが出来たり。必要以上の過酷な経験をした人が多すぎる。
家族が無事だったり家が残ったようなボクは、それだけで十分だと思う。
家を失った友人は、家族が無事だっただけで十分だと言った。
家族を失った知人は遺体が見つけられただけでもマシだと言った。
遺体が見つかった別の知人はお葬式をあげられただけでも良かったと言った。
家族を探していたテレビ画面に映っていた人は、家族は見つからなかったけど、自衛隊へ捜索してくれたことに感謝していた。
生き残ったボクらは本当に生かされた命だと感じる。
津波は感情なく、町を飲み込み、感情なく去っていった。人間が作った物しかないのに残ったのは無音の風景。
多くの支援物資、人、気持ちに助けられた。ありがとうございます。
それでも時間が経過した分、頑張るのにも少し疲れてきたと感じる時もある。しかし、被害が軽いボクらが動かなきゃ、被害の大きい人達はもっと辛くなる。少しずつ、出来ることは出来るだけフツーに行っていきたい。そして引き続き、被害の大きい地域の人達を考慮した行動をとるようにしたい。
国内の「自粛」に優しさを感じたりもしたけど、「復興」へはそろそろ力不足になってきたんじゃないか。
現場で活動している人は信頼できるが、国はあまり信用できないのが本音。特に漁業・農業関係の人たちの今後にはどう考えたって国の支援が必要。しっかりしてくれ。
津波や震災被害で苦しむ宮城県内や岩手の人、東北地方、さらには原発関連で苦しい思いをしている福島や液状化関連で苦しんでいる北関東の人、みんな諦めずに生きましょう。頑張るのを少し休んでもいいから諦めずにいきましょう。

知ってる人も多いかもしれませんが、このような素晴らしい人たちに助けてもらいました。
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing/
ありがとうございます。