峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

何が大切なのだろう

2005年09月14日 | 学校教育
新聞によると、長崎県の金子知事は13日の県議会本会議で、本県の公立小・中学校での少人数学級について、本格的に検討する考えを明らかにしました。

長崎県では、少年による悲しい事件が多発しています。実は、取り上げようとしてそのままにしていましたが、夏休み明けの始業式の1日、長崎市内で中学生と高校生が相次いで亡くなるという事件がありました。長崎署は自殺と見て原因を調べているようです。

1クラスの人数が少ないというのは、教師の目が行き届きやすいということです。しかし、場合によって、子供は放っておかれた方がいいときがあります。
もちろん、目が行き届く状況があって、その上で、そっとしてやることができれば、それはそれでいいのでしょう。
しかし、そっとしてやった方がいい場合に、それが分からない教師がいたとしたら、少人数学級は子供にとって仇【あだ】となります。

つまり、少人数学級を検討、実施する前に考えなければならないことがあるということです。行動しなければならないことがあるということです。

「命の教育」に力を入れてきた学校関係者のショックは大きいとありますが、事件が起こるたびに何か形を示さなければならないことの方に気がとられているかぎり、残念ながら悲しい事件は繰り返し起こるのでしょう。

少年の通っていた中学校の校長は記者会見で「変わった様子はなかった。いじめや体罰は把握【はあく】していない」と話しています。
まるで、マニュアルでも読み上げているかのような、氷のような冷たい言葉が私の心に突き刺さります。

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2 コメント

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無責任な美意識 (すぎもと)
2005-09-26 20:26:12
大人と同等の腕力のある生徒たちを、

圧倒的に数の少ない教師だけで、統治

できるわけない現実。警察の力を借りない

事がいいとする無責任な美意識。



興味のない知識、なんの役にも立たない知識。

それを詰め込まれるストレス。

精神が凶悪化しやすい教室という環境。



「いじめ」は起こるべきして起こっている。

同じ環境に置かれたら、大人だっていじめをする。



「果てのない退屈に余りに長く晒された精神は

残酷な揺り籠の中で白骨と化してゐる

やがて揺り籠の中で育った狂気は 同胞争いの血を求める

数十年前に打てた手段を半年後にひとつ打つ

事なかれの悪党の遅さで国は荒み果ててゐる」

http://www6.ocn.ne.jp/~buraiha/

http://www.bungeisha.co.jp/search/detail.php?bid=21830



映画なら、岩井俊二監督作品

『リリイ・シュシュのすべて』をおすすめします。

観ていて、とてもつらい映画ですが、観てほしいです。



最後に、いま現在の僕の意見です。

なんで、政治家たちは、このひどい環境を変えないのか?

それは、選挙権のない子どもが自殺しようが、

知ったことじゃないから。

映画、観たいなぁ (峰野裕二郎)
2005-09-26 22:36:47
学校外で教員が誰かを殴ったならば傷害罪で逮捕です。

学校内で生徒を殴ったならば指導です。



警察が学校内に入ると困るのはだれでしょう。

美意識なんかからじゃないように思います。

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