ニッキ-通信 ~盲導犬ニッキ-のお母さんより~

盲導犬ニッキ-と私の日常。要援護者・障害者の防災について紹介します。

変な話から続いていた絆

2017年03月08日 | 日記


嬉しい訪問者

 ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った
「あれ、今日の訪問者は もう終わったはずだが...。はてな?」」
と応答したら、男性の声で、
「以前 ホームページでお世話になったOと申します。」途惑ったおかあさんが
「エッ 覚えていないけれど????」
すると男性は「変な話のOですと申し上げたら分りますか。」と聞いてきた。
 おかあさんはびっくり仰天、つい 先日、彼のことを思い出して、どうしているだろうかとつぶやいたところなのだ。

  そう、Oさんは14年前に我が家を訪れた営業マン。当時ホームページの作成やその後の管理をする会社の営業マンとして吾が治療院を訪問して、熱っぽく語った若者だった。
 その後 会社と契約して、Oさんが担当者となり、何度か訪問していたが、その内仙台に転勤に鳴るとの事で彼との交流は終わった。
 では この変な話の...というのはどんなエピソードなのだろうか。
 営業マンになる前Oさんはイタリアンのコックをしていたそうだ。転職して、営業マンとしての社員教育を受けることなく、頭に仕事の内容だけを詰め込まれて営業に借り出された。そんなことで、言葉遣いもなっておらず、おかあさんの眉を潜めさせたことも度々。
 特に気になったのが、口癖で「変な話ですが...というものであった。あまりにひんぱんにこの言葉を使うので、ある日おかあさんは、言葉遣いを直してもいいかしらと言って、へんな話でもないのに、変な話ですがと言うのはやめたほうがいいですよとさとした。
 すると、Oさんは顧客からそんなことを言われるなんて夢にも思わなかったのでしょう。大いにびっくりして、衝撃を受けたように思ったおかあさん。
 それ以来、この言葉は使わなくなった。
 22歳の気持ちの良い若者であったので、子供のいない私達夫婦は結構彼を可愛がって、おかあさんのお手製のパスタをご馳走したこともあった。
 イタリアンのコックであったことは、この食事の時に知ったのだが、プロだった人に対して、パスタを供したおかあさんの強心臓。
パスタを美味しいと言って食べてくれたことを思い出した。
 おかあさんは麺を電子レンジで茹でることが出着る容器を持っているが、うまく アルデンテにすることができるのを見て、感心していたことを思い出した。

 そして、今日、玄関に現われたのがOさんだった。
 あれから14年経って
 今は36歳の やはり 営業職に就いているとのこと。洋光台のお客様のところに来たので、我が家を訪問したくて来たのだった。
 そして、話題は変な話になった。
 彼はこの14年間で会社の仙台支店や東京支店で活躍をしているらしく、部下に向かって、この変な話のエピソードを100回以上もしたと言った。
 自分の若井頃、お客様であった視覚障害の女性から、変な話というおかしな口癖はやめたほうがいいと言われたことを」。
 


 100回以上もコノエピソードを話すほどのこともないとは思うが、Oさんにとっては自分自身の将来を見据える転機の忠告であったのだ。
 このおかあさんがと自分では恥ずかしくなるが、嬉しくなって満面の絵蛾をになった。
 彼は このことを直接私に話して御礼を言いたくてやってきたのだった。
 結婚して二人の男の子のおとうさんになったと報告をするその言葉遣いは温かく、立派な日本語。


 
 埼玉県に住んでいるので、今後も そう 交流は無いかも知れないが 電話番号を交換して別れた。
 こうして、思いもかけなかった大きな絆がつながっていたことを感謝。
 そう あなたなら、これからも、いい人生が送って行けると思うよ。頑張ってね。