ニッキ-通信 ~盲導犬ニッキ-のお母さんより~

盲導犬ニッキ-と私の日常。要援護者・障害者の防災について紹介します。

駅のホームで転倒

2019年03月30日 | 日記

 駅のホームでの店頭

 昨日、JRの関内駅のホームで電車を待っていた時の事。  ジャネットが突然左側の何かの臭いに向かって突進しようとした。おかあさんは背中に思いリュックを背負っていたこともあり後ろに転倒。頭を打たなかったが左腰をしたたか打った。  ジャネットが前にあるものに向かうことは以前にあったが、横向きは初めてだ。  おかあさんは、十分に引き戻せると思ったが、そうはならなかった。背中の荷物というのは意外に動きを阻害することを知った。  関内駅は壁型ホームで横幅が広く、おかあさんは電車待ちで、前の方に出ていなかったので線路上に転落する心配は無かったが、とても臭いに敏感な犬を同伴していることは危険につながることを改めて思い知った。  まあ きちんとおかあさんの横にリードを短くして管理下に置いていなかったのがあらぬ方に突進してゆく事になったと反省。  週に何回かのお出かけに慣れていたのが気のゆるみだったかと思う。  たかが犬、されど犬としてついつい気を許してしまうが、一瞬の気の迷いが事故につながることを考えて、気を付けようと思った。  今日は何となく左の膝が重たいのはこのせいかな、それとも低気圧が来ているからかな。


あーら ここでもうぐいす?

2019年03月19日 | 日記

小田原散歩

 あ うぐいすが鳴いたとおかあさん。今日、近くの公園の傍でジャネットのワンをさせていた時のことだ。
 ホーホケキョ と鳴いている。あら この公園にうぐいすが来るのは珍しいわね。
 始めは 公園の方から聞こえてきたと思ったのに、ホー ホケキョとおかあさんのウエスト ポーチから聞こえてくるではないか。
 なあんだ、ケイタイ電話の呼び出し音でした。ああ お粗末。

さて、
 先週の水曜日に小田原への散策行事に参加した。。
 大船駅から東海道線の各駅停車に乗って40分。地元からは1時間弱の行程だ。
 行き慣れないと何と遠い所だろうと思いがちだが、意外に近くて驚く。
 小田原は今から1923年に発生した関東大震災や、終戦直前に発生した東海地震でも大津波を体験した街だ。行ってみると分かるが海から平坦な地形が続いていて、道は広いが平坦地が海側に広がっているように思えた。
 戦後建てられた小田原城は高台に建てられているが、又大きな地震が来たらどうなるのだろうかと心配になったおかあさん。
 そして、横浜はほんの1時間もあれば行ける近い場所。。又相模灘が地震の発生源となると恐ろしいでは済まされないと実感した。
 1万ぽ以上歩いた小田原は魚市場が水曜日が休みとのことで、多くの店舗が閉まっていた。途中で漆器やさんの扉を開けてもらってのぞいた。小田原に漆器の工芸があるのは知らなかったが、今の世の中ではどう経営を続けてゆくのだろうかと思ったが、各地に漆器用の生地をていきょうしているとのことで、活路はあるのだろう。
 道々 創業380年とか書いてある古い街なのだ。
 街の中に無料で使わせてくれる休憩所がある。お茶まで出してくれて、ユニバーサル トイレもきれいだ。大きな一軒の家で、二階もある。小田原市が管理していて、週に3回ヴォランティア
さんの手で清掃されている。入ると管理人らしき方が親切に案内してくれた。
水曜日だからかかんこうきゃくは少なかったようだが、お陰でゆったりと過ごすことが出来た。
 ジャネットはお行儀が悪く、通過する電信柱の一本筒に抱き着かんばかりに花をくんくんして、それを引っ張るおかあさんはハーネスを持つ左手が痛くなった。
 道からは早く電信柱を撤去してもらいたいが、犬たちは経っているものはポールであれ コーンであれ 誰かの脚であれ難にでもおしっこをひっかけるので困ってしまう。
 他の盲導犬はどうなろだろうか。そう言えば前のニッキーもかまくら中の電信柱に頭をこすりつけんばかりにして、おかあさんを困らせたものだ。
これを防ぐには道の真ん中を歩けばいいのだが、盲導犬は左側通行だから、常に臭いのある方を歩いている。真ん中歩行にしてほしいな。


成功裏に終わったラグビー解体新書セミナー

2019年03月17日 | 日記


ラグビーセミナー大成功

 我が家で開催されたラグビー教室。教師をしている友人のSさんをはじめとして他に男性2名 女性4名が参加。 Sさんとどうすれば見えないおかあさんと見えるがラグビーには馴染みの無かった5人とラグビーが好きというKさんを前にSさんは用意してきた白板と磁石を使ってどのような形で試合が始まるかとかその他ルールを目の前で見えるように説明をしてくれた。 今年の9月に開催されるラグビーのワールドカップを前にして、ラグビー界でも一人でもフアンを獲得しようと力を入れている。
 今回は たまたま おかあさんが好奇心を発揮してラブビーを学ぼうと思い、周りに声を掛けて実現した教室。
 難しいことはさておき、試合を見てノック オンとかラックとかモールと聞いてすぐにどんなことか分かるようになったと思う。

 来月は参加したKさんのカフェ、ハスクで南アフリカとの激戦を制した試合のビデオを見ることになった。
 その後は、実際に試合を見に行くという希望も出た
 今回、ラグビー以外に良かったのは、参加のそれぞれが地元で活躍していて、知り合うことで助け合うラインが生まれた事だ。
 今日のようなイベントに参加してくる人は、それぞれ何らかの形で地元に貢献していることが分かり、知り合うことでお互いを生かせる道が待っていた。

 Kさんのカフェにはグランドピアノがあるとのことで、今後おかあさんのやっているホームコンサートの会場としてピアニストをお呼びすることも可能になった。

 今度の水曜日は笑いヨガ。死ぬ迄現役。ジャネットは若手のKさんと友達になったようで、遊んでもらった。良かったね。


代筆 代読が必要なんです。点字で自分の名前を書いてもいいのですか 

2019年03月07日 | 日記

質問です。自署と書いてあるところに、点字で名前を書いてもいいのですか?
 代筆代読が必要です。

 一人暮らしのおかあさんは、日々 ポストに入る郵便物やちらしなどを読んでもらい、又、提出するものは、必要事項を代筆してもらう。
 これを、ホーム ヘルパー ガイド ヘルパー 友人の力を借りてこなしてきた。
 
 先日、この代筆 代読の制度の利用率が何と1.4%と聞いて驚いた。
 障碍者の中には家事援助をしてくれるホーム ヘルパーさんは利用していないが外出時に同行して援助するガイド ヘルパーさんに外出時に依頼して、喫茶店などで用を済ます場合もあるそうだ
 おかあさんは両方のサービスを受けているので、家でも外でも困らない。
 とはいえ、郵便局とか銀行での代筆はそこの職員さん2名で代筆してくれるので今まで困ったことが無かったので、代筆代読の制度の利用率が1.4%とは信じかねる低い数字と見た。

 障害があって家事援助とか外出支援のサービスを受けていないと、後は友人とか周りの誰かに代筆を頼む以外に方法がないから、困っている障碍者が大勢いるのだろう。

 横浜市では2016年の市民公聴会に自宅での代筆代読が出来るようにしてほしいとの要望が出され、回答として2019年の8月までに何らかの回答を出すとの発表があった。これはネットでおかあさんが見つけた内容だ。

 もしかすると、自宅で代筆代読をしてくれるヘルパーが出現するかも。

 最近 Y銀行の封筒に入ったT保険会社の保険の勧誘があった。
 おかあさんはそれに加入しようと考えて、Y銀行のY支店に住所などの細かい部分を代筆してもらいたくて支店に出かけた。しかし、その保険の依頼書には銀行員は代筆できないと言われた。約1時間待たされて、本部と話してのノーの解答。おかあさんは
なぜ代筆をしてもらえないのか納得がいかず、帰宅してから保険会社と話、銀行の本部とも話したが、電話に出た銀行員の理由を理解できなかった。
担当者不在で銀行側では答えが出なかった。
明日、本部から電話をくれるとのこと、だ。
 それにしても このくらいの代筆は支店長の裁量でさばけるのではないの。
 銀行側で代筆をしてはいけない書類を決める前に、、代筆代読に関する法律の存在を無視しているのではないのかと言いたい。こんな場合 どちらが優先されるの?
平成20年3月20日に厚労省から出された法律。
代筆を求められたら、それが違法の物でなければ求めに応じて代筆しなさいよというものだと解釈しているが
その本人が求めているのに代筆を断る銀行は法律に抵触するのではないかと思うし、目の前の銀行の顧客が書類を書けなくて困っているのを見ながら、雨の中を追い返すなあんて人でなしではないの。
 おかあさんがあまりの杜撰な銀行の扱いに怒ったら、ジャネットはびっくりして座っていたのに立ち上がって心配そうにした。

これはおかあさん一人の問題ではない。依頼書に自署でなければ認めないと言う保険会社の言い分も字を書けない状況にある人を無視している。
 点字で自分の名前を書いたら自署とは認められないのだろうか。
 点字の持つ社会的な位置づけはどうなっているのだろうか。ああ 知らないことだら
もう考えるのは明日にしてPCを閉じよう。


このクラスは学校の宝石箱です。

2019年03月03日 | 日記


熱川のひい婆ちゃんの吊るし雛

 今日はひな祭り。残念ながら全国各地で雨天となり、神社の階段にお雛様を飾る地域はどこに飾ったのだろうか。 我が家にはお雛様はないので吊るし雛をぶら下げている。
 先日 盲導犬の講和に行っている小学生のクラス全員が折ってくれた45羽の折鶴も共にぶら下げた。

 さて、3月1日 待ちに待った楽しみのイベント
 毎年盲導犬と障碍者の講和に行っている学校の児童からご招待があった。今学期にお世話になった地域の方々をお招きしてお礼の会を開きたいのだと言って優先的に日を決めてくれた。
 朝、まだ沢山の雨。ジャネットには久しぶりに靴を履かせて颯爽と出かけた。
今がっこうの門扉は常時鍵がかかっているが、中ではお出迎え担当の児童がいる。
 この時間には雨はすっかりと上がり、門内で待っていた児童は濡れなくて済んだね。良かったこと。
三年生のひなたちゃんの誘導に導かれてちょっとうろうろして会場へ。
 見えない者に あっちだ こっちだそちらだと言われても戸惑うばかりであるが
 しかし、終わってからは 玄関まで問題なくスムーズに誘導できたのだから偉いよ。
 会場には児童43名と保護者と4名の地域の人が雛段に収まっていた。

 開会の言葉から始まり、学校紹介をしてくれた。今の小学校はこんな風だよと。
さて、内容はと言うと 授業のこと、宿題の事、理科の授業の事、朝会のこと、給食のこと、教材のことなどである。
 その他全員がそれぞれの部門で登場してのお話に笑顔あり、笑いあり、給食を食べに来てくださいと言ったときは、大人は皆笑った
 え ほんとに行ってもいいの?
 
それにしても小学生たちの早口にはびっくり。おかあさんは耳は悪くないが、あまりの速さについてゆくのがやっとであった。
 それから全員でのフォークダンス オクラホマ ミキサーを半世紀以上ぶりに踊った。今まで気にしなかったが、子供たち一人一人の手のあたたかさや湿り気がそれぞれ違っていた。
 おかあさんは、この手の感触の違いから一人一人の個性を思い描き、素敵な触れ合いのひと時であったと思う。
 それからみんなで動いてゲーム。伝言ゲームではおかあさんが末尾の言葉を忘れて言わなかったが、同じ列の最後の人は全く違った伝言を言ったので笑ってしまった。
 洋光台はどんな所 というゲームで それぞれが思ったことを言って、同じことを思った人同士が集まるというのがあった。
 中で最も多かったのが 人が優しい であった。約半数だ。
おかあさんは講話の最後に言う言葉がある。それは 優しい人になろう ということだが、まさに地元の人たちは優しいと思っている子供が多いことを知って本当に嬉しくなったのだ。。
 それから 地元の洋光台の歌を歌ってくれた。
おかあさんには昔テープで覚えてと渡されたことを思い出して一回聞いただけだったことを悔いた。素敵な美しい歌だ。
 最後に保護者の人に向けて、盲導犬に出会った時のお願いをした。
 おかあさんはこの素晴らしいお礼の会を子供たちが発案して企画、そして立派に実行してくれたことを感謝して、このクラスは洋光台第一小学校の宝石箱ですと名前を差し上げた。
 ジャネットも大変賑やかな1時間の中で、とても浮き浮きしていたように思えた。
 本当にありがとう。
 いつまでも絶えることなく友達でいよう
今日の日はさようなら 又 会う日まで