ニッキ-通信 ~盲導犬ニッキ-のお母さんより~

盲導犬ニッキ-と私の日常。要援護者・障害者の防災について紹介します。

補助犬入店拒否のステッカーを貼っちゃうよ

2017年08月24日 | 日記

入店拒否をなくそう ある温泉の決議

 こんなニュースを読んだ

 嬉野市の嬉野温泉料飲店組合(小野原博組合長、96店舗)と嬉野市は22
日、盲導犬などの補助犬を伴った障害者に安心して飲食してもらえるよう
「ウェルカム!ほじょ犬宣言」を発表した。

 何と、優しい心の現われだろう。
 今から15年も前、2002年に 補助犬法が公布され、不特定多数を受け入れる場所での補助犬の受け入れ拒否をしてはならないということがおおやけになった。

 ところがである。法律と言うものは、それを取り巻く人たちには周知されるが、他の人は一切感心も持たず、全く知らないのである。。
 これは、多くの人に当てはまり、勿論 おかあさんにもいえる事だ。

 15年経っても、今田に入店拒否はなくならないし、益々増えているようにも思える。

 そこで、一人の盲導犬ユーザーがこう言った。
 今、補助犬入店可というステッカーを貼って貰おうと努力しているが、逆に拒否した店には補助犬入店拒否のステッカーを貼って貰うのはいかがであろうかと。

 これは面白い発送だ。そしてブラックリストに載せて公開する。すると、少なくとも補助犬のユーザーはその店には入らないのだから、嫌な思いをさせられることもないという訳だ。

こんなことが実現したら、そのあたりには淋しい雰囲気が漂うことになるかもね。

 私達は、パートナーがいつ ビューティコンテストに出てもいいくらいいつもきれいにしている。パートナーの足の裏は裸足だからきれいではないと思われるが、人間の靴の裏の方が余程汚いとおかあさんは思う。
 かって、栃木県のフランス料理店で入店拒否をされた。
 拒否の理由は、保健所が許可しないからと言った。
 保健所は、補助犬の入店に関する行政を行っていない。が地方ほど、まだ この種の理由で拒否している。時代錯誤もはなはだしいのだ。

 パートナーを拒否することは、ユーザーをも拒否していることをよーく考えてもらいたいなと願っているおかあさん。

 いつか、冒頭に書いた佐賀県の嬉野温泉に行ってみたいな。どこに行ってもウエルカムなんて、なんと嬉しいこと。
 


猛暑日の処暑 夏あかね

2017年08月23日 | 日記

今日は処暑。暑さが収まってくる頃と言うことだが、今日は猛暑。暑くて、夜になっても、全く外出する気になれない。
 午後2時からの高校野球の決勝戦を聞きながら、ジャネットに添い寝をしてもらっていた。
冷房の中にいるとはいえ ジャネットも
暑苦しくおかあさんによってこられたくないのだ。離れてダウンしている。もっと こちらにおいでよ。

さて、明日からは 甲子園から応援団の大歓声が消えて夏から初秋に写り行く。 昭和40年から使われていた真紅の優勝旗は今年の99回で終わるのだ。
 100回記念大会からは、真新しい優勝旗が登場。
 今年のホームランの数は68本。試合のたびにカキーンという鋭い音の後大歓声が上がることでおかあさんにも あ 又ホームランかな と分らせてくれていた。
 前の試合では勝利の女神が微笑んだのに、決勝戦の広島 広陵航行には笑顔が届かなかったのか。
 中村選手の成績は6つのタイ記録であったとか、二塁打が新記録だったとか聞くが、毎年、突出した選手が生まれてくるのだね。
 今後の成長が楽しみだわ。
 埼玉の高校(おかあさんは校名を文字で見ていないので名前がはっきり分らない)は 実にヒットが多かった。
 6回の試合で毎回9点以上を取ったとか。決勝戦では14点も獲得。超 スゴーイ。

 そして、全てが終わった時、おかあさんの胸にも熱いものがこみあげてきて、じんわりと熱い涙が溢れてきた。
 自分でも思いがけなかった涙。
 努力して勝ち得た栄光の後のコメントは胸を打つ。どんなに多くの若者が努力しても、一年に一度の夏の甲子園の有償校はたった一校。そして、彼らのインタビューのコメントの素晴らしさに又観劇する。
 いやな事件が多発する昨今だが、このような清清しい若者の言動に救われている。

 


 高校生活の中で何人くらいの高校生が野球を楽しんでいるのだろう。
 今日のニュースで巨人の位置選手の暴力が報道された。
 これからの人生を幸せに過ごして貰いたいものだ。沢山努力した分、多くの幸せを掴みなさい。


夕べの雷の恐怖

2017年08月20日 | 日記

夕べの雷の恐怖

 昨日、夕方 7時半ごろコンビニへ出かけた。出崖に 、「今日は昨日より涼しい風だわ。」と思った。空では、花火だか雷だか分らないが、遠来も聞える。
 そう、何も気にしていなかった。

 コンビニを出て数分後、突然と思われる雷鳴がすぐ傍で、それも 頭上で聞えた。そして、バリバリ、どすん と聞こえ、すぐ傍の車道を雷の放電が走った。まるで、ビシバシと雷さんの鞭みたいだった。
まるで、雷の低空飛行だ。
 当然、電気が走ったのだから、おかあさんは 裸足で歩いているジャネットが感電死はしなかったかと恐怖。あわててジャネットの肉球を触ったが、ジャネットはものすごい音にも全く平静で、驚いてもいない。
 咄嗟に、家屋に逃げ込もうと思ったが、左側は兵、回り込んだら駐車場、右は雷がゴロゴロ鳴っている車道。
 これは、もう、逃げて帰宅するほかはナイト遁走。
 自宅は3分も歩けば到着するので、ひたすら早歩き。少し、雨に濡れたが、玄関に飛び込んだらどしゃ降りになった。

 人生 それなりに生きてきたが、こんなに自分の傍を雷が走りぬけたことはなかった。
あの、ドカンという音響は落雷の軽めのものだったのか。あの車道を放電した現象が あと 1めーとる左に流れていたら、おかあさんたちは放電の真っ只中で感電していたのではなかろうかと思うと 本当に怖かった
 雨が降っていなくて、先の尖った傘をさしていなかったのも幸いしたのか。

 雷はおかあさんとジャネットのおへそを取り損ねたと臍をかんだかも知れない。

 まあ 何事も無かったから良かったものの、空でごろごろ聞えたら 外には出ない事を肝に銘じて一件落着。


ツクツクボウシが鳴いた

2017年08月09日 | 日記

やっと開いたおかあさんの耳

 夏、命を次の世代に送るために、オスの蝉は声の限りに鳴いている。
 今年は、初めになかなか鳴かなかったのでおかあさんはちょっと心配したが、今頃は耳を聾するばかりに鳴いている。すさまじい音量だ。
 本当はとてもきいていられないのだが、彼らも神の作りたもうた命だと思うと、まあ、いいさ。一緒に生きてゆこうよ。と声を掛けたくなった。

 そして、昨日、近くの公園でツクツクボウシの鳴き声を聞いた。おかあさんは、この年に鳴るまで、ツクツクホウシだと思っていた。
 ラジオから、この蝉の話題があがってきて、アレ ツクツクボウシとボと濁音になるのだと気が付いた。早速、ネット検索をしたら、やはり 濁るのだ。

 こんなにいい年になるまで知らなかったなんて、まあ 恥ずかしいこと。いくつになっても知らない事だらけだ。

 そして、秋の蝉と呼ばれる「チッチゼミ」というのが存在することを知った。
 ハルゼミと同じく松林を好むと書いてある。

 横浜にも もう 10年も前からクマゼミがいる。おかあさんは、午前中の早い時間にバスの声を響かせているのを聞いているが、公演では夕方もしっかりと大合唱の仲間に入っていた。。

 今年のミンミンゼミの音量は一段と高く聞えるテノールだね。そう言えば バリトンの蝉はいないのかな。意外と日本の蝉の種類は少ないと思っていたら、ある地域でしか聞くことが出来ない蝉もいて、30種類はいるとのこと。東南アジアにはテイオウゼミという
大きくて大音量の蝉もいるらしい。
 アメリカ大陸には13年ゼミや17ねんぜみがいるとのこと。大発生するので大迷惑。日本の蝉もうるさいけれど、夜鳴くく蝉は少ないので助かる。
 今年の大雨で蝉が産んだ卵が流されてしまったのではないかと思う。大雨の被災地の7年後には蝉が出ないと言う現象が現れるかも。自然はどうなるのだろうか。
も もう少ししたら、中国から来たというアオマツムシが鳴き始める。これは、 
超うるさい。。
 メキシコ人が蝉の鳴き声を聞いてmうちのかみさんよりうるさいなあ とコメントアオマツムシの方がもっと厚かましくうるさいとおかあさんは思う。
 あれ ヘイトスピーチになっちゃったかしら。
 ジャネットは蝉の鳴き声を聞いても、転がっている蝉を見ても知らん顔だ。
 犬にはどのように聞えているのだろうか。聞きたいものだ。

 ちなみに、おかあさんは昆虫に触ることは出来ません。我が家に居候しないでね。蝉さん。


知らないのは罪 原爆忌

2017年08月06日 | 日記

 知らないのは罪 原爆のこと

 報道によると、広島に原爆が落とされた日を知っていますかという問いに、7割の人が満足に答えられなかったそうだ。
 そう 今日は広島に原爆が落とされた日。
 俳句の先生が、こんな俳句をどなたかが作っていると教えてくれた。それは、
八月は六日九日十五日 というものだ。
 これを聞いて、ピンとくるのは常識人。聞いても分らない人は日本の現代歴史を学んでいただきたい。7割の人が正しく応えられないそうだから、こんな俳句は理解できないか
1945年の8月は、日本が旧悪から脱皮して、真実一路の新しい国へと
立ち直る大切なターニングポイントの月だったと考える。
 昨年、広島を訪れた外国人は200万人。原爆の資料も7ヶ国語に翻訳されて、読むことが出着る。ここを訪れる外国人は、原爆と言うキーワードを携えて広島へと足を運んでいる。
 それに比して、日本人は観光客として、原爆ドームの前で記念写真を撮り、資料館をさっと横目で見てバスに乗り込む。
 この落差。

1954年 3月1日、アメリカはビキニ環礁で水爆実験をした。その時、160きろ 離れた海で漁をしていた第5福竜丸の船長、久保山愛吉さんは同年九月に亡くなった。死の灰を被った被爆が原因であった。
 この話は、その後「第五福竜丸」という映画となり、おかあさんは学校の映画館紹介で映画館に見に行った。小学生であったが、このことは忘れないでいる。余程、強い忌まわしい印象を受けたのだと思う。

 そして、その頃「原爆許すマジ」という歌がちまたに流れて、その覚えやすくて哀愁を帯びた歌は周りの人もみんな知っている国民の愛唱歌となったが、すっかり忘れていた。
 突然、おかあさんの頭にこの歌が蘇ってきた。歌詞を調べてみると驚き。4番まであるとは。
 ここにネットから引用するが、歌える人はどのくらいいるだろう。
作詞:浅田石二、作曲:木下航二
1 ふるさとの街焼かれ   身よりの骨埋めし焼土(やけつち)に
        今は白い花咲く      ああ許すまじ原爆を
        三度(みたび)許すまじ原爆を   われらの街に
2 ふるさとの海荒れて   黒き雨喜びの日はなく
        今は舟に人もなし     ああ許すまじ原爆を
        三度許すまじ原爆を   われらの海に
3 ふるさとの空重く    黒き雲今日も大地おおい
        今は空に陽もささず  ああ許すまじ原爆を
        三度許すまじ原爆を  われらの空に
4 はらからの絶え間なき   労働に築きあぐ富と幸
        今はすべてついえ去らん  ああ許すまじ原爆を
        三度許すまじ原爆を  世界の上に

 

 焼け爛れた人の皮膚をぶら下げて、水を求めてさまよった人々のことを聞いて、原爆の恐ろしさとか戦争のおろかさを思わない人がいるとしたら、それは罪。

 今北朝鮮の核の恐怖が間近にせまっているのかいないのか。こんな悲惨な出来事は愛するジャネットの経験させてはならない。
 どうすればいいの?
「 原爆許すマジ」の歌は永遠に愛唱歌として歌い続けなければならないようだ。
為政者の愚かな行為を許してはならない。


絶滅したのか 月見草

2017年08月05日 | 日記

絶滅したか月見草

平成の時代に入った頃までは確かに存在した月見草。記憶の中では黄色から薄いクリーム色の花色で存在感のある薫り高い花であった月見草。
 雑草であったのか、鉄道の線路沿いに夜咲く花であった。
 この花の存在を意外と知っている人が少なように思うが、理由は、夜 線路沿いなどで見かける花だったからだろうか。
 おかあさんは この月見草と青い色が実に清らかな露草が大好き。
 いずれの花も清らか過ぎて、この汚濁の世の中では生きてゆけないのかもしれない。

 おかあさんは 、今光り以外は知覚することができないが、色彩に関する記憶は、一切薄れてはゆかない。見知っていた友人や知人、又、俳優さんたちの顔は、もう ぼんやりしていて、自分の顔さえ分らないと思う。どこかで自分に出会っても知らん顔なんているのは悲しいけれど仕方ない。

 さて、唱歌に 月見草の花 がある。花と同じく歌詞も曲も美しい。
 ちょっと季節外れにはなるが、、12月2日に予定している我が家でのホームコンサートで歌おうと考えている。
 
号外
話は変るが、横浜の住宅地に住んでいるおかあさんは、 今日も又、うぐいすの鳴き声を聞いた。
 7月中旬に暑くなってから聞かなくなっていたが、このところの涼しさで、再び鳴いてくれる。完全に地域に留まっている。留鳥だ。毎年、同じ場所で鳴いているので同じ鳥なのだろうか。一度、お目にかかりたい。