好転の東京、二子玉川で開かれた歌の先生の出演するコンサートに出かけた、 初めて行った二子玉川にの駅周辺の賑わいにちょっと驚く。何と、多くの人々が、立ち止まって話をしていではないか。人の流れというより、止まっている。土曜日の午後はあんな風に立ち止まって話をするような素敵な雰囲気があるのかな。歩いているおかあさんには理解できなかったが、他では経験したことが無い駅周辺の人の在り方であった。
さて、智恵子抄の詩集を田中まさあき氏が曲を付けた歌が今日の内容。ナレーションもあって、先導されて唄う歌は、どれも心に響いてくる。智恵子の悲しみや 高村光太郎の智恵子を想う心がたんたんと歌われてゆく。 時間も1時間半くらいのコンサートであったので、軽くて良かった。 ジャネットは大好きな先生の歌を聞きながら、鼻鳴らしをした。おかあさんの歌ではしょっちゅううるさいなあと鼻鳴らしをするが、今日のは一緒に歌っている用であった。静かな会場に響いたと見えて、ピアニストの渚さんもあれと思ったと終わってから言った。 コンサート会場で鼻鳴らしをしたのは初めてだ。これは困る。声を出されては困るのだ。
夜 詩集を聞いたせいか俳句が作りたくなった 昔 まだ母や夫が存命中の頃、裏磐梯に出かけた。 母は75歳で日本舞踊をやっていたので結構健脚であった。おかあさんは光が見える程度でニッキーと山道を歩き、母は完全失明の夫の手を引いて、石や根っこの延びている山道を景色を教えてくれつつ、歩いたことを思い出す。 5式沼の色は若かりし頃友人たちと歩いた同じ道に変わらぬ色で道行く人の目を楽しませていた。昔、あるいていて良かった。思いだした事柄は沢山あった。 その時の写真は無いが、おかあさんの心の中に何枚ものカラー写真が刻まれていて、それを俳句の題材に引っ張り出してくれるのが、感動を受けた心だと感じた次第。 安達太良のさくら若葉や天高し 葉は75歳盲いし吾と初夏の山 カタクリや二つに避けた磐梯山 左手にハーネス右に白杖初夏の山 夫と吾と盲いて久し山笑う
失ってから見えてくるもの蔦若葉
最後の句のうしなったものは視覚であり、視覚障害となって与えられたものは、聴覚であり、見えると言う装飾を取り去った生の人間の姿ではないだろうか。 一番見えないのが自分自身だ。 いつもそばにいるジャネットは盲人としてのおかあさんをどんな目でみているのだろうか。聞いてみたいものだ。 いや、何も言わない所が人生の妙なのかな。 ジャネット 明日もよろしくね。