ニッキ-通信 ~盲導犬ニッキ-のお母さんより~

盲導犬ニッキ-と私の日常。要援護者・障害者の防災について紹介します。

真鯛のローストが飛び切り美味しかったので...

2011年03月28日 | 日記
真鯛のロースト

 今日はフランス料理のシェフから教えてもらった 真鯛のロースト バジル味のソース をご紹介。

 おひげのシェフは おとうさんにおいしい魚料理をとの思いで駆けつけてくださった。
材料も全てお持ちいただいて恐縮の至り。
材料 二人分
真鯛  二切れ 今日の真鯛の素晴らしさ。こんな上質の魚はちょっとこのあたりには...。
鯛は塩こしょうをやや強めにする。

ソース

バター 10グラム たまねぎのみじん切り 中くらいの玉ねぎの八分の一くらい
にんにく ひと片をおろしたもの
白ワイン 100cc ブイヨンスープ 100cc 生クリーム 100cc
バジル あれば 生場 2枚くらいかな
塩 こしょう

作り方。
まず ソースから。バターを鍋に溶かし にんにくと玉ねぎを強火で炒める
そこへ 白ワイン 無ければ (料理酒でも良いとのこと) とブイヨンスープを入れて15分煮立てる。
煮立て終わったら 生クリームをとバジルを入れて 1分火にかける。 
最後に味を見て 塩 故こしょうで味を調える。
これだけの水分が出来上がりはトロリとしておいしいソースの出来上がり。そして 味の決め手となる。
真鯛は 塩 こしょうをして 皮に切れ目を入れてオーブンで15分焼く
温度は230度。
天板の上には油を敷いて そのうえにクッキング シートを載せると焦げ付かず 取り出すときにも身が崩れない。

出来上がったら 大皿に盛って副に菜の温野菜を乗せてソースをかける。

 これを 病院から帰ってきたおとうさんと食べた。
ほっぺが落っこちそうに美味しかった。

 おとうさんは6日に今日の検査結果を聞きに行くことになっている。

少なくとも今日の診断では悪性リンパ腫ではなさそう。しかし 腫瘍マーアカーや詳しいエコー検査がどうだったのか 油断は出来ない。

しかし 今日の診断で少しは心の憂さが晴れたのか 真鯛のローストをおいしい おいしい と食べた。

さすがに 夕飯はスッポン スープとカステラ 一切れだった。

そんなこんなで ちょっと手入れを怠ったニッキーが危うい所だった。
 皮膚に油が出て これが嵩じると アルカリに傾いて 皮膚に失神や吹き出物が出て可哀想なことになるらしい。

前回から1ヶ月経過していなかったが 今日つれて来て良かったと言われ おかあさんは反省しきり。

自分の赤ちゃんだったらこんな風にはならなかったかと思うと ニッキーんに済まなく思った。

落ち着かない日々

2011年03月27日 | 日記
落ち着かない日々

福島原発のことや 放射能のことや おとうさんの病気のことで落ち着かない日々を送っている。
 
おとうさんは ひどかった先週よりは 少し食べられるようになったが まだ 小鳥の餌程度だ。
食事をしてからの腹部の痛みは多少の好転はあるが いかんせん 自分のことではないので 事実はよくわからない。
 しかし もう一つ 厄介な病気があるかもしれない。
 紹介状を貰ったので 明日 大きな病院へ行くが
これから病気の鑑別診断となる。
早く 病気が分かり 治療にかかって欲しい。

 今 おとうさんが15年掛けて研究してきた治療法を教わっている。
おかあさんは おとうさんとは異なる治療法をしているからだ。
おかあさんは 今まで それを学ぶ気がなかった。
しかし 今度の場合  おとうさんのために より 高度な治療効果をあげなければ
ならない。

今 おとうさんはその治療で 大いなる治療効果をあげている。

その治療法は形の上で自分自身には施せないので おかあさんがおとうさんにこの方法で治療を試みることにした。

おかあさんは予定の外出も止めて 時間を作り 栄養のあるご飯を作り おとうさんに全勢力を傾けることにした。


 明日は 行きつけのレストランのシェフに来てもらって 魚料理を教わることになっている。

 急にいい奥さんになれるだろうか。ちょっと心配。
 可哀想なのはニッキー。今までのように外出出来ないでいる。

膀胱炎悪化の原因は東北 関東 大地震だった

2011年03月24日 | 日記
ニッキーで実証できた犬と大地震の関係
病状悪化の原因となった大地震

3月19日 今日から 5日前に動物病院へ行って ニッキーの膀胱炎の検査結果が
ものすごく悪化していたことは既に書いた。

 今日 すぐそばでワンをしたので その暖かいワンを片手におかあさんは動物病院へ直行。
ニッキーには行くことを言っていなかったので又 ドアの前でおしりをもじもじ。やっと ドアを見つけて 飛び込んだ。

 その結果。尿石の結晶はおろか 病原菌も 見当たらず アルカリ度もやや高めの6.8だったが 問題は無い数値。

 じゃあ あの前回の数値は何だったのだ?

 おかあさんは 前回の検査の結果を見て もしや あの東北 関東 大地震が関係しているのではないのかと 薄々感じていたが やはり そうだったのだ。

  あのひどい揺れの中ではおかあさんに抱かれていて 驚く様子も見せなかった。
その後も NTTドコモの緊急自身速報には反応して 飛び上がっていたが
そんなにも 影響していたとは 予想外だった。 

こんなこともあるのだね。

 おとうさんの方も少し底が見えてきたと本人は言っている。
昨日 我が家の大事な友人が セカンドオピニオンも大事だと言ってくれて 漸く 別のクリニックへ。

 そこで 初めて 痛いところを触診してくれたことが安心につながったのだそうだ。

 鍼治療では体に触れなければ治療にならないが 西洋医学では 検査値だけで鑑別診断しようとして もっとも大事な患者の体には触れようともしない医者が沢山いる。

 
 しかし 安心は出来ない。裏に もっと怖い病があるかも知れない。そのために
又 南部病院を紹介されたが 紹介してくれた医師は もう そこには
在籍しないと言う。
今の 病院の医師は 直ぐにどこかへ行ってしまう。チェンジ フォー ベターなの?

 おとうさんはベーチェット病も難病なのに これ以上の病気はもう御免だ。



 今日のスーパーには ヨーグルトと水は全く無かった。今でも開店時には1時間も前から行列が出来ているとか。
今日の目的は水?

それにしてもおかあさんの買い置きは見事。ミネラルウオーターも横浜の水も 5パックもあった。
日ごろ 防災に関心を持っていることは心強いことだとつくづくかんじたことだ。

今回 障害者の名がよく聞こえてくる いいことだと思う

2011年03月23日 | 日記
中越自身と東日本大震災との大きな違い 障害者への対応


中越地震が発生したとき ラジオから障害者への対応や 避難状況に関するニュースは 全くと言っていいほど 聞こえてこなかった。

そこで おかあさんは 障害者の防災を考える会を立ち上げて そのとき 障害者がどうなったのかを調べた。
その時 神戸では殆ど存在しなかった 福祉避難所が幾つも立ち上がっていた。

 横浜でも 平成18年か19年には 福祉避難所を 前もって決めておこうということで
各区は行政と福祉施設やケアプラザと協約を結んだ

 しかし 一部の施設を除いて 今田に その施設を どのように運営するか 決めていない所が多い。

 今回のような巨大地震 巨大津波に襲われたら マニュアルも何も関係なくなる。

 しかし その施設を運営する人が 復興への粗筋を頭に入れているか いないかで 避難所運営のノウハウが異なるように思う。

横浜では 福祉避難所を特別避難所という。 自治体と施設が協約を結び 形だけは出来上がった。
 そこに  色々な特徴を持つ障害者が集まってきて うまく運営する能力があるのかどうか。
おかあさんは 試験してあげたいと思っている。
 そこには ボランティアさんが沢山必要だろう。その人たちを育成しているのだろうか。

 おかあさんは やっているとは思えない。
 しない理由?? 出来ない理由??

 どんな 福祉施設の管理者がに言い訳しても 横浜市が動き始めてから もう 6年くらいになるのだから 怠慢。それとも日々のことで精一杯なのか。

いずれにしても 今回のことで危機意識を高めて 危機管理利能力をしっかりと身に着けて 特別避難所に多くの障害者が駆けつけても どんと来い と受け入れて欲しい。

最善を尽くしても失敗するのはいいが 怠けたことが原因で
多くの障害者が泣くのは見たくない。

 今回 かなり 早くから 障害者という言葉がマスコミのニュースに上がってくるようになった。
 障害者団体も動き始め 周りのボランティア団体が しっかりしたノウハウを持って支援に駆けつけている。

避難所でも視覚障害者や聴覚障害者であることをしっかりと告げて 避難所のもっとも情報が入りやすい場所を確保するように努力しようと呼びかけている。
 聴覚障害者に関しては おかあさんも少しは学んだ。
そして磯子区の危機管理担当者との話し合いで 磯子区の 全ての避難所に ホワイトボードを置いて貰った。

 障害者自らも こうして頂けると有難いのだが....と提案したり 希望を出したりすると 「成るほど。」と言ってもらえる。

被災者は 多くの物を失っても  周りの人の優しい心は別の意味での財産になる

今は 被災者の全てが用援護者だ。障害者たちは より 以上に苦しい立場に置かれるだろう。
ボランティアの力も大きく そして 長く続かなければならないだろう。

 



日本人の心が試されている。

 今日は 午前中 ニッキーと郵便局へ行った。義捐金を出してきた。
おとうさんは相変わらず悪い。優しい友人に助けられて 別の病院に行ってきた。
 あたふたしているおかあさん。

場所が分けた生死 

2011年03月22日 | 日記
場所が決めての生死

 今 仙台で被災した友人に電をかけた。
 この方は 発災ご 3日目には元気で自宅に住んでいるとの情報を得ていた。
3月11日 午前中には彼女を含めて 5人でスカイプ会議をしたばかりだった。その3時間後に巨大地震が起こった。

 彼女の自宅は マンションの1階。3分の一ほどの食器が割れ 金魚蜂の水がこぼれた程度でほかには被害が無かったとのこと
 もしかしたら 東京の方の店頭家具による被害は大きかったのではないかと創造される。

気仙沼の 盲導犬のユウーザーは透析中だったとのことだが 自宅は津波で流されたとのこと。
病気が一命を救ったのだ。

と言っても 住環境が流された今  そして これから 盲人の身で どのように
生きてゆくのか。

おかあさんの義兄も透析をしている。今回  その東京にある同じ病院で透析中だったお二人が
自身当日志望したとのこと。

天災の時は 地震保険に加入していない限り 保険金はでないんだろう。
 

阪神淡路大震災のあと 防災共済を作ろうという話があったが 月に1000円出すその制度は加入者が少なくて頓挫した。

 これは全国単位で行えば 被災した人たちの大きな助けになるのだが それを是としない人たちがたくさんいたことになる。
神戸では細々とやっているらしいが 日本人全体で救える制度だと思う。
 だって 明日はわが身だもの。

次に掲げるのは ある新聞記事。許可を得ていないので内緒。
おかあさんも緑内障で失明した同じ境遇だ。
今回 のような場合 自宅にいたら ごきんじょしか助けてもらえない。そんな中 この方は救いだしてクレタ友人が前の家に住んでいた。
 ここでも 何かあったら声を掛けて下さいと 周りの人たちは言っていたが
自分から声を掛けてくれたのは 越してきたばかりの 前の家の一人暮らしのサラリーマンと昨年度の町内会の班長さんだった。
たそがれ通りのこの辺り。もっと優しい心で生きていこうよ。と
おかあさんは この記事の主人公を連れて逃げてくれた方に大いなる感謝を伝えたいので 拝借した。
ご一読を。

3.東日本大震災1週間 全盲の女性 自宅流され一度は死を覚悟
2011.03.18 信濃毎日新聞夕刊
 「くよくよしないで前進あるのみ」。津波で岩手県陸前高田市の自宅が流され、
避難所となった近くの寺に身を寄せる全盲の吉田千寿子さん(75)。地震が起きた
ときは1人だったため、一度は死を覚悟したが、今は同じ境遇の人たちと強く生きようと
決心した。
 1人で家のこたつに入っていた。激しい揺れの直後だった。逃げ惑う人々の
叫び声、急発進する車のエンジン音、砂ぼこりの臭い…。「音だけで何も見えない。まる
で地獄だっ
た」
 不意に「自分がいたら迷惑がかかる。このままここで死のう」と考えた。
しかし、使っているつえが目の前に落ちてきたとき「家がつぶれたら、捜索でもっと手間をかけさせてしまう」と思い直す。服用している抗がん剤を握り締め、手探りで玄関に行き、道路に飛
び出した。
 「ほらほら、早く逃げてー」「ママー、ママー」。叫び声、バタバタという
足音、猛スピードの車の音、クラクション。つんざくような激しい音が次々と耳に飛び込
んできた。
「かよちゃん、助けて!」。向かいの家の友人に助けを求め、叫んだ。
 手を引かれ、必死で走った。半年前にがんの手術をしたばかり。傷口が痛んだ。

50メートルほど走ると、後ろから「バリバリ」という音が近づいてきた。砂ぼこり
で息もできない。津波に追いつかれて足元が水につかったとき、避難所となった寺の山門
に着いた。
 寺は半島にあり、道路の寸断で一時孤立した。同居の娘(45)は仕事で大
船渡市にい
て安否が分からなかったが、翌日合流。寺には地元の約40人が身を寄せ、お互いできる

ことをして助け合っている。長年の親友という女性も常にそばにいて、トイレ
や食事などの手助けをしてくれる。
 吉田さんは約10年前、緑内障で全盲に。「目が見えない分、人の好意をあ
りがたく感じる。寂しくない。みんなに助けられてるから」
 生まれ育った町は跡形もなくなった。寺の周囲も無残ながれきの山だが「き
っと神様が何かの役に立つと思って生かしてくれた。生きるだけ生きようと思う。私は幸せ」
と力強く言った。



 

被災地への薬の手配

2011年03月20日 | 日記
病院の薬の手配

 被災地 被災した病院のスタッフ 家族との連絡も着かないのに 昼夜兼行で働くスタッフ 薬の無い患者達。 恒例の入院患者さん。

 すべてがぎりぎりで動いている被災地の病院
テレビで窮状の中で医療サービスを施した気仙沼の病院を取材していたが
人毎ではない。
油まみれで津波に濡れてしまった患者。

 お母さん達が防災の勉強をしていた時

薬は バイク便で届けるといったことが言われていた。

 今回 車ほどガソリンを使わないですむバイクは使い道があると思うのだが....。

被災当初は電話がつながらないので 支援速度が遅れる。

これを防ぐためには 病院も いざという時のために 緊急時病院ボランティアチームを
作っておくといいのではないかとおかあさんは考える。

今日 80歳の祖母と16歳の孫の少年が瓦礫の仲から助けられた。
二人は元気らしい。
奇跡みたいな話だ。

今 震災関連死が急速に増えていると言う。薬で何とか救える話なら 被災違いで何とかできるのではないか。
これらを 今後の課題として システム作りをすべきだろう。

ニッキーの膀胱炎は最悪? 

2011年03月19日 | 日記
ニッキーの膀胱炎は良くならないの?

 先週 1週間分の治療薬を飲んだニッキー。薬が終わっても クリニックへ行けない
いたが 漸く 外出する気になったおかあさんとクリニックへ出かけた。

 ワンの結果は最悪。10日前には6.2だったアルカリの値は7.6以上となった。おまけに 今迄出たことの無い石の結晶まで検出。

 なな なんでこんなことになるの? おかあさん 悪い物は食べさせていない筈。
 ワンも普通より薄いと言われたが これは以前からで 特別 今回出た数値では無い。この おしっこの濃度がどんな値なのか判らないが 1.03 位は欲しいところだが ニッキーは ずっと 前から1.02か それ以下だ。
 獣医さんに聞いても この濃度が 健康に どう影響するかは判らないそうだ。

 この検査結果を受けて 又 2週間分の投薬となった。

 薬をフードに入れて食べさせたら 今回に限って きれいにそれだけが食器に残っている。見事にだ。
はじかれた薬を飲ませようとしても どうしても飲まない。
明日からは飲ませるのに ちょっと工夫が必要らしい。


さて 我が家には もう一人具合の悪い人がいる。
 しかし 少し筒 元気を取り戻してきた。
胃の具合の悪い人の食事作りは 結構大変。
今日は 鯛の焼き魚も食べられた。
 こんな食事を毎日作らなくてはならない人は大変だ。
増してや 今 避難所にいる病人は どうなってしまうのだろう。
身近に病人がいて 初めて分かる避難所生活の辛さ。

障害者の防災を考える会で 話し合ったり 学んだりして得ていた知識や生活のノウハウ をおかあさんは
仕舞いこんでいたことを 大いに反省。
 人はその立場にならないと理解できないことばかり。
障害者のためには やはり おかあさんも前に出て 発言しなければいけない。

 休眠状態の 障害者の防災を考える会 を もう一度
目覚めさせなければならないと思った今回の未曾有の大地震。
災害弱者が困らない社会作りが目的だった。
災害弱者いじめと言えば こんな話を聞いた。
80台の一人暮らしの方の 備蓄しておいた石油缶を盗んだ人。やむにやまれぬ事情があったかも知れないけれど 泥棒は良くないよ。
少し筒 障害者へ 目が向けられてきた避難所も...。あるといいな。

情報の有難さ 怖さ あれこれ

2011年03月17日 | 日記
情報の有難さ 怖さ あれこれ

おかあさんは今 友人やメイリングリストからの情報とラジオのニッポン放送から多くの情報を得ている。
 今朝は 銚子の畳屋さんが始めた 避難所へのボランティア活動。

その方は自分が寒いときに冷たい床に寝て辛い思いをしたことから 避難所へ 少しでも畳を届けようと声をあげた。
そこで 全国の畳屋さんが協力して 被災地に近い県から 届けようということになったらしい。
勿論 不要になれば大きなゴミになるからとその回収についても考えているとのこと。
そして その後のラジオで どこかの避難所に畳が100枚届けられたと伝えていた。
暖かいお話。

夜の停電での明り取りのヒント
懐中電灯を 2面や3面の鏡に当てると 明るさが増すと言っていた。

これはおかあさんが日ごろからやっていることだが

足の冷える人は 薄手の膝丈のストッキングを2枚重ね履きをして もう1枚靴下を履くと 足首が冷えない。
又 首には絹のスカーフを巻いて 暖気が外に逃げないようにする など
暖房機を点けなくても過ごせる方法もお勧め。


怖い情報は原発のこと。
放射能の影響だが 東京や神奈川では 拡散されて 健康被害に大きく関与する量は無いと専門家は言っている。
アメリカでは80キロ圏内のアメリカ人は外に出るように勧告したとか イギリス政府も退去を検討中とのこと。
ある大学教授ね炉心の研究をシテイル人の話では そうした過剰な動きがパニックにつながるといっていた。
各地の薬屋さんではヨウソ剤が売り切れになっているとか。これぞ 怖い話ではないだろうか。


我が家では ニッキーはすることもないので寝てばかり。今朝のトイレでは
すごく引っ張って おかあさんは転んで右ひざを強打。仕事をさせないでいると段々とペット化してくるのか。
おとうさんは 今日も点滴。ご飯が進まない。
今日 生協の個配は来るのだろうか
卵もお豆腐もなくなったけれど スーパーに行く気にはなれないでいるおかあさん。

ミキサーも欲しいけれど会に行けない。

今 生協が届いた。卵は届いたので早速 温泉卵でもおとうさんの為に作ろう

78歳の一人暮らしの全盲女性が取り残された

2011年03月16日 | 日記
 大被害を受けた南相馬市に一人暮らしをしていた全盲女性が一人
自宅に取り残されて 15日に救出された。
 そこは 例の福島第一原発から20キロいないだった。

本人から警察に連絡がきて 救出されたらしい。
 いつのまにか 近所の人が誰もいなくなった と言う。

 もし この方が私だったら ものすごい孤独に陥って どうかなってしまったかもしれない。
こう 思うと まず 放射能から逃れるために 該当者は パニック状態になり 取る物も取り合えず逃げ出したと考えられる。
 その時 余程の思いやりがないと 置いてきぼりになるのは仕方ないのか????

 私達も全盲夫婦 そして 今 おとうさんは とても具合が悪い。こんな上体では
二で出せと指示されても これは命令だからと思っても 行くところも その足となる手段も無いのだ。

 こうなると もう なるようにしかならない。
家にとどまる他は無いのだ。

 まだ我々のような要支援者を受け入れる思いやりの社会環境が整っていないし 支援者側も 全員 被災者なのだから 。どうすればいいのだろう。

 少なくとも 避難指示を出すなら 災害弱者に公的支援が必要だ。

 まあ 社会が未熟だからし様が無いかなどと 嫌味の一つも言ってみたい今日のおかあさん。

 まあ 愚痴はこのくらいにして

もし このブログをご覧になっている方のご主人が帰宅困難者か
夜中に 革靴で何時間もかけて帰宅したという経験をされたら

是非 次の物を オフィスの引き出しに常備して置くように伝えて欲しい。
小さいリュックに
履きなれたスニーカー、薄いタオル ティッシュ 笛 水のペット ボトル と自宅までの道路地図  薄手のレインコート それと飴。
ホイッスルはいつも 自分の鍵束につけておいて貰いたい。

これ以上入れると重くなるし 引き出しに入らない。
おかあさんも防災の勉強をしていて 帰宅困難者の訓練などを見聞きしてきたが 現実になるとは思っていなかった。
でも 起きた。

 そんな大変な思いをして自宅に帰った サラリーマンのおとうさんたちは 電車が満足に走っていないのに 又 職場へと出かけてゆく。すごいパワーだ。

我が家のおとうさんは 呟いた。「自衛はいいなあ。」に

ニッキーは今日も歩かなかった。放射能を浴びながら歩くなんて勘弁してもらいたいのもの。

 

地震から4日目 胃が働かないおかあさん

2011年03月15日 | 日記
地震から4日目 無残な情報に胃が働かないおかあさん

原発 犠牲者 行方不明 大火事 など どれを取っても目を覆い 耳を塞ぎたくなることばかり。

 今 盲導犬のユーザー とパートナーの安否が気になり 情報を集めている。

 盲導犬協会では 一人ひとり 訪ね歩いているらしい。現在 全員ではないが かなりの
安否確認が出来たとの事で 少しは安心。
一日も早くと望む。
避難所には ペットフードや水がないとパートナーたちは飢える。ああ どうしょう。

山形県には5名と5頭の仲間がいる。今日 全員無事とのメール。
 しかし 山形でも 交通機関が通っていないとの事。今度の大地震は東日本全体に大きな爪あとを残したらしい。

 おかあさんも食欲が無いが おとうさんは 何だか 急に体力が無くなって
明日は病院に点滴を打ってもらいに行く。
急激に消化不良になってきた。
心配だ。
ニッキーは今日も神妙にしていたが 一つ悪いことをした。

何をしたかは彼女の名誉?の為に内緒。

事故と解決策の説明はもっとすっきりと説明してください

2011年03月13日 | 日記
状況説明は 具体的にお願いします。

今回の 東北 関東 大震災。危惧していた原発の事故。
福島第一原発と第二原発の事故の概要説明と
危険からの会費の対策が実行された。

 官房長官や原発保安員の説明は 余程 頭を働かせて聞かないと 何が言いたいのか理解に苦しむ。
 あ- とか え- とか言葉にならない間等句が入ると益々だ。

 真実を誤魔化そうとしているのかな。
もっと すっきりと説明できないのかなあ。
 殆ど漏れないはずの放射能。被爆した方がいるが 健康には問題ないと言っている。

 これは 本当なのかなあ。時間をかけて精査する必要があるのではないか。

 混沌の時期だけにいえない事も沢山あるだろうが 国民は本当のことを知りたいと思っているのでは..。

 今日 巨大地震 M8.8がM9.0に修正された
南北 400キロメートル 東西 200キロメートルの間のプレートの破壊と発表されたが
プレートの破壊はもっと大きく茨城県の方まで伸びて 南北 500キロメートルに渡っていた
 3パートに分かれて次々と破壊されたので その時の揺れの時間の長かったことを証明したことになる。

 考えてみれば このところ 毎日のように 宮城沖や 茨城県沖で地震が発生していた。

 もう お願いだから 許してください と土下座したい気持ちのおかあさん。。

 又 地震があると怖いので 外出したくないおかあさんに着き合って出かけられないニッキーの肉旧が すべすべしてきちゃった。
ごめんね。ニッキー。もう 少し 待ってね。



巨大地震 アーティスト くみこさんの場合

2011年03月12日 | 日記
巨大地震 アーティスト くみこさんの場合

 シャンソン歌手のくみこさんは 昨日 3月11日 石巻市の文化会館で開催される五字分のリサイタルに望もうとしていた。
お化粧も終わり 今からリハーサルという直前 地下の楽屋で被災。

 文化会館は古い建物。ゴーという電車が走るような音がして
その後 ガタガタと小刻みに長く揺れたそうだ。
 揺れが少し収まって外に出たら 津波が来るからすぐに逃げなさいと言われたが
本人は ここは海の傍でもないのにと疑問に思いながら高いほうに逃げた。

 逃げた処は採掘場の飯場見たいなところ。
スタッフやプロモーターの人たちと一夜を過ごしたが 食べる物も水も無い。

 そこでそこから脱出を図り 車で危険を冒しながら一路仙台へ。

 普段は1時間で着くのに 4時間掛かって 漸く仙台に到着。

到着しても大変な状況の仙台。さて くみこさん達は仙台でどこへ言っただろうか。
 辿りついた先は リッチモンドホテル。ボランティアでロビーを開放して 布団まで貸してくれたそうだ。
そこで飲んだ一杯のスウープ。
有難くて涙が出たとか。

 今ラジオのニッポン放送で話した内容だ。

 採掘場に逃げる際 振り向くと 文化会館の近くで 地面が口を開けて そこから水が溢れてきた。くみこさん達の後から逃げてきた人たちは もう泥だらけ。
人に支えられて漸く辿りついたおじいさん。目の前で奥様が水につかまってしまったと 茫然自失の態。

慰めの言葉も無かったのではないか。
 彼女の話す事を聞いていて 今回の津波の恐ろしさを改めて思った 

 昨日から ラジオを聞いていて思ったこと。NHK第一放送は同じ事を何度も繰り返すので 聞いているうちに体が緊張してきてとても疲れる。
 そこで 普段は聞かないニッポン放送に切り替えた。
 NHKより ずっと人間的な報道に心和む。

その中で 電力不足になるので 節電を呼びかけている。不必要な電気は使わないことで 少しでも協力できる。
 本当に そうね。

 我が家はニッキーの為に電気を点ける。ちょっと ニッキーに早く寝てもらって 節電しよう。
パソコンも早く閉じよう。
では 又。

とうとう 来た巨大地震 地獄絵図

2011年03月11日 | 日記
巨大地震はやはり やってきた

昨日だったか NHKラジオを聞いていると 今後30年以内に 99%の確立で巨大地震が発生すると伝えていた。

 それが こんなに早く実現するなんて。
時間と共に 津波や火災 原発事故 ガスタンクの火災など もう頭が真っ白になるような具合だ。
今テレビでは気仙沼市の内陸部も大火災になっていて 更に燃え上がっている。津波による油が問題らしい。
 もう 真夜中に近いのに この火災では逃げるほかない。地獄絵図だ。

おかあさんの頭は  ものすごくズキズキしてきた。
テレビで見ているだけなのに 恐怖感とお気の毒で見ていられない。
 このこのくらいの火災になると もう 地元の消防では消せないらしい。。
東日本の太平洋岸は壊滅的の被害。日本は どうなるの?

マグニチュード 8.8.観測市場最大の巨大地震。
明日はわが身か。

今日 おかあさんはニッキーと一緒に根岸にいた。ダンスのレッスンの直前、 広い
ホールで ニニッキーと二人で先生を待っていた。
 そこへやってきたのが 大きな揺れ。
ビルの3階は全面ガラスでぎしぎしと大きな音を立てて軋む。おかあさんは危なくないと思われたホールの真ん中にニッキーのリードをつかんで引っ張り ダウンさせて おかあさんはニッキーを抱きながらうずくまった。
ニッキーは恐れることも無く じっとしていた。

漸く揺れが静まっ。
そこへ 駆けつけてくれた ガイドヘルパーさんと外へ逃げた。 
駅前にはタクシーを待つ人の列があったが JRやバスの動きを見て タクシーの列に加わった。

30分くらいでタクシーに乗れたので幸いであった。道も込んでなかったので早めに自宅へ帰れた

 我が家は倒れた物も無く おとうさんは無事。

こんばんは 私達のそばにニッキーを寝かせることにした。

 テレビでは どんどん 被害が増大している。。
明日のニュースが怖い。

ここまで酷くなるとは思いも寄らなかった。
被災者にかける言葉も無い。

何だか気忙しいこの頃

2011年03月10日 | 日記
 何だか 気忙しいこの頃

 おとうさんの手術から10日目。今日 病院で この病に関しては終了との宣言。
傷跡は3センチくらいもあるだろうか。ぽっこりと盛り上がっているが 
傷跡としては問題がなさそうとのこと。傷跡の痛みもほぼ無いそうだが
腹部に残る違和感と臍上部の痛みは相変わらずで 仕事以外では横になっている時間が長い。

 3月21日の歌の発表会も参加できないのではないかと言っている。
 それもそうだ。外出することも無く 歩いていないのだから 今日の病院行きだけでも
歩きたくなかったと言った。

 ニッキーは時々 おとうさんのベッドサイドに行って 顔を
覗く。
 どうして 遊んでくれないのかな? なのか
それとも 珍しく ベッドにいいるおとうさんを気遣っているのか おかあさんには判らない。

 胃カメラの診断で胃潰瘍か それとも胃ガンかで細胞診で良性と言われたのだからと思うが どうも元気が出ないおとうさん。

 早く 良くなあれ。

今迄 おとうさんが結構家事をやってきたので それが おかあさんの仕事になっている。だから 何となく気忙しくて仕方ない。

 何年も何年も介護をしなくてはならない立場の人の苦労とは比較にもならないが
慣れないので疲れるなあ。

家族みんなの健康って 素晴らしい事なんだね。

雀の子育てが開始されたらしい

2011年03月05日 | 日記
今年もスズメの巣作り?

 めっきり 少なくなった雀。我が家の近くは緑が沢山あるのに 野鳥が少なくなった今 だが
昨日久しぶりに我が家の隣で声を聞いた。
 それも 複数いる。

 お隣の家屋は40年くらい経っているので 建築方法が幸いして 雀が巣を作る場所がある。といっても おかあさんは どんな所に 毎年 巣作りをして子育てをしているのか
分からない。

 洋光台への転居以来 本当に 毎年 必ず の子育てだ。
 年によって異なるが 2回から4回は繰り返しての子育てだ。

 小雀の声は シュウー シュウー というような独特の声。

 普段は 全く使わない樋での巣作り。どうやって この場所を特定出来るのだろう。

昨日 12年生きたイギリスの雀の話を聞いた。日本の雀も そんなに長生きをして
同じ場所で子育てをするのか???

ほんとに不思議。

 この雀たち ニッキーが前を通るとキーキー声を立てて起こる。
でも ニッキーは平気の平左。
おかあさんは 邪魔をしないように そそくさと巣の前を通り抜ける季節だ。