認知症夫婦の哀れ
東京の大きなマンションに住んでいる姉の体験した事だ。
先日、友人と二人でエレベーターから降りてきたら、目の前で夫婦の夫の方が突然倒れた。妻は「又 甘えて。いつもこうなんだから。」とおこそうともしない。
夫は起きようとするが、起き上がれない。そこで 姉たちは、管理人室から車いすを借りてきて載せ、部屋まで送って行った。
この時、起き上がるのに肩を貸した姉は、夫の体がすさまじく臭って、すぐにシャワーを浴びたが臭いが消えないように感じたそうだ。
友人は その夫婦の隣人であった。
それから2週間後、夫は死亡。妻が、朝夫を起こしても起きないと隣人に言ってきた。
そこで 管理人に急報して、一緒に部屋に入った所、ゴミ屋敷と化していた
ひどい悪臭と排水溝にはゴミが詰まり、これでは風呂場も使えずもう長くお風呂に入っていなさそうだった。
救急車が来たが、既に死んでいて警察がやってきた。
では 、家族はいないのかと聞くと、立川に娘がいるとのことだが、探すのに手間がかかったそうだ。娘の住所も電話も言えない程認知症が進行していた。
食事もままならなかったらしく、夫婦とも枯れ木のようであった。
私が、少なくとも火事を出さなかったのは良かったのではと言うと、水を流しっぱなしにして下の階に流れ、
下に住んでいる住民に迷惑をかけたことがあるとのこと。下の会の住民は、また いつあるかもわからないので、恐怖心を抱いて住んでいるらしいと聞いた。
その後の始末がどうなったのかは不明だが、先日 お花見に出かけた姉が、残された妻と隣人である姉の友人が手を組んでお花見をしているところに出会ったそうだ。
妻は少しふっくらして、げんきそうになっていた。どんな解決方法があったのかは知らないが、優しい隣人に恵まれて、今は一人で暮らしているそうだ。
姉の住むマンションは世帯数も多いので、他にも孤独死が出たり、問題のある高齢者がいるそうだ。
この話を聞いておかあさんは不思議に思った。
どうしてここまで放置されていたのであろうか。夫婦揃って認知症なら家族が何とかしなければと疑問を持つ。同じ東京に住んでいても、親のことは認知しないのも認知症の一つのようにも思える。
障碍者に対して、障害を持たない人として、健常者という言葉がある。
障害があるとおかあさんのように障害の程度に応じて福祉の手が差し伸べられる。
ガイドヘルプとホームヘルプが最も身近な支援の手。お陰で、何日かに1度は我が家に来てくれる。
ということは、おかあさんは絶対にこの話の夫婦のようにはならないということだ。
健常者として生きてきて、最後は病気になって哀れなことになる。
これを解決するには まず 次女努力。家族の応援が得られない場合は共助。とは言っても人との交流を求めないとか、嫌うとかの場合は、無理にという分けにはいかないの。
老人会に入るとか、趣味の会に入っておくとか、出来るだけ友人知人を多く作っておくことが必要だ。
自分が動かないと高齢者の所には喜んで手を差し伸べる例は少ないと思う。
将来を見つめて一人一人が考えておかなければいけないことだ。
お金があっても身元保証人がいなければ、施設にも入れない、部屋も借りることが出来ない。そして、入院も手術も身元保証人なしでは受けてもらえない。
経済的な補償なので、そうやたらに保証人になってくれる人はいない。高齢になると保証人になってもらえる対象者がぐんと減る。
一人暮らしの身内がいない場合、病気になったら さあ どうしましょう。