ゆいツールブログ:NPO法人ゆいツール開発工房(ラボ)

人と人、人と自然、人と環境などを「結う(ゆう)」ということに関して、団体の活動やスタッフの思いなどを紹介していきます!

雨にたたられたグローバルフェスタJAPAN2018 in Tokyo

2018年09月30日 | ⇒2018年度(日本)

9月29日(土)に、グローバルフェスタJAPAN2018に出展しました。

(本当は日曜日も出展予定だったのですが、台風24号接近に備えて中止になりました。)

設営準備をした金曜日はとてもよい天気だったのですが、土曜日は終日雨。

大雨や風が吹かなかったことが幸いでした。

この日は、スタッフの他、昨年エコツアーに参加した若者がふたり、ボランティアに来てくれました。

12月に実施する予定の復興エコツアーの宣伝や、ロンボク島の環境問題への取り組みの説明など、積極的に来場者と交流してくれました。

せっかくなので、会場を見て回って勉強する時間もとりました。

こちらは、JVC(日本国際ボランティアセンター)のブースでカレンダーを買ったついでに、活動内容について少し説明していただきました。

ゆいツールのブースでは、カラフルなポーチを販売する傍ら…。

アイシャさんのごみ銀行の新作!廃タイヤから作った財布とペンケースも販売しました。

男性が、セットでお買い上げくださいました。

ありがとうございました!

 

ブースを見て回っている時に、ピースウインズジャパン(PWJ)を発見したので、中に入って説明を求めました。

実は、PWJはロンボクの地震の時に、救助犬を連れて真っ先に現地に向かったNGOのひとつでした。

そして、実際に人を助ける活動をできないまま、引き上げていました。

また、北ロンボクで現地のNGOと協働で仮設住宅を建設中、という情報も入手していたので、そのふたつのことについてどうしても聞きたかったのです。

(PWJのブース展示の一部。ロンボク島で活動したスタッフの一日の様子などが記されています)

まず、真っ先に現地に入りながら、活動できずに引き上げたのはなぜなのか。

これは、私は彼らが犬を連れていたことが大きく関係しているだろう、と考えていました。

現地に行ったスタッフで質問に答えてくれたのは、安間さんという男性でした。

安間さんによると、少なくとも入り口(インドネシアに入ろうとする段階)ではウェルカムだった、ということです。現地で活動してもOKという返事を政府からもらって現場に向かいました。

そして、一番被害が酷そうな東ロンボクの方は、道の状態や時間の関係で行くことを断念し、北ロンボクのある場所で活動を開始しようとしたところ、現場では「聞いていない」「ダメだ」ということになったそうです。ちょうど、インドネシアの災害庁が「他国には救援を求めない」という発表を出したタイミングでもあったそうで、NGOの名前が入ったユニホームを着ることも禁じられた、と安間さんは話してくれました。

私は、生きている人を探す手段として救助犬がどんなに素晴らしくても、現地の人たち(たいはんはイスラム教徒)は犬をとても嫌うので、そのせいで活動が難しかったのかもしれないことを伝えました。

そして、今北ロンボクで仮設住宅を建築中だと聞いた件をたずねてみると、ACTという現地NGOが仮設住宅を建築するのに資金提供をすることにした、ということや、給水活動などを中心に行っているということでした。

10月4日に現地に入るので、活動場所を見たいな、と思ったのですが、ちょうどスタッフがロンボクからいったん引き上げてくるタイミングだそうで、今回は無理でも今後、連携・協力できることはしましょう、という話をしました。

今回、ロンボクの地震災害支援を通して、多くの人や団体とつながるきっかけが得られました。

ところで、グローバルフェスタの前日9月28日午後6時2分ごろ(日本時間同日午後7時2分ごろ)、インドネシア・スラウェシ島の中スラウェシ州でマグニチュード7.4の大きな地震が発生し、地震に伴う津波も沿岸部に押し寄せました。

ロンボクが落ち着いてきたと思ったら、もう次の災害です。

日本もインドネシアも、これからますます災害に備える国づくり、地域づくりが必要だ、と思わずにはいられません。

(山)

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グローバルフェスタJAPAN2018(9月29-30日)に出展します!

2018年09月23日 | 1.お知らせ等♪

毎年恒例、グローバルフェスタJAPANが今年もお台場プロムナードで、9月29日(土)と30日(日)に開催されます。

(↑ 昨年の出展の様子)

今年は、東の奥のテントでの出展です。りんかい線の東京テレポートの駅から会場に入ったら、ずんずんと左手に進んでください。

受付でマップをもらうのをお忘れなく。

今年は、ごみ銀行で作ったポーチのみを販売します。

(↑ 売り物の一部です。縦型と横型があります)

ロンボク島は7月8月に起こった大地震で、観光にも大打撃があり、これらのポーチを作っている職人さんたちも、日常ががらりと変わってしまいました。ロンボク島の人たちの暮らしが少しでも早く落ち着くように、ポーチを買って支援していただけるととてもうれしいです。

これらポーチの材料は、個包装の飲み物のプラスチック袋です。

丈夫で水にぬれても平気なので、ひとつバックに忍ばせておくと、化粧品や携帯電話(スマホ)などを入れられて便利です。

会場は、ゆりかもめの青海駅にも近く、ショッピングモールが併設されているところなので、イベントを見たりショッピングをしたり、両方楽しめます。観覧車もあります。

グローバルフェスタJAPANの会場では、各国の料理のブースも並んでいて、いろんな食べ物が味わえます。

国際協力をしている、さまざまな団体がブースを出しています。出展者紹介のページはこちら

ひとつひとつのテントをまわって、活動について聞くだけでとても勉強になります。

ごみ銀行のポーチもそうですが、お店では売られていないめずらしいものが、各ブースに並んでいます。

ぜひぜひ、遊びにきてください。(山)

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ロンボク島復興エコツアー!サステイナブルな村の暮らしを体験 in インドネシア

2018年09月18日 | 1.お知らせ等♪

ロンボク島は、自然豊かな島です。

(↑ ギリ・メノ島の塩湖)

島の北東部にはリンジャニ山(富士山級)がそびえます。

夕日が沈む海があります。

白くて大きな木があります。

人のいない原っぱがあります。

インドネシアの有名人がお忍びでリゾートに来る観光地です。ロンボク島は多くのインドネシア人にとってあこがれの場所。

お隣のバリ島の方が発展しているのになぜ?

それは、インドネシア人の90%以上がイスラム教徒であることに関係しています。

バリ島はヒンドゥー教の島です。ヒンドゥー教徒は、豚を食べるし犬も飼います。

そのふたつは、イスラム教徒が最も忌み嫌うものです。

イスラム教徒はバリ島を訪れると、どこかで豚肉を口にしてしまうのではないか、と恐れます。

バリ人の家に必ずいる犬にも近づけません。

そのため、バリ島のように海がきれいだけど開発しつくされていなくて、島民のほとんどがイスラム教徒のロンボク島は、イスラムの人たちにとって安心して訪れることができるリゾート地なのです。

そのロンボク島が、今年の7月8月と大きな地震に襲われました。地震後の様子はこちら。 

近年急激に発展しつつあるインドネシアでは、家を建てるときに耐震にするという発想はほとんどありませんでした。

地震なんていつくるかわからないもの。見えないところにお金をかけるなんて馬鹿げています。

でも、今回大きな地震が来て、その考えが間違っていたことに気づきました。

慣れ親しんだ家が、粉々になってしまいました。

頭の上に家が崩れてきて亡くなった人もたくさんいました。

今、観光地のロンボク島は、9月6日に地震のあった日本の北海道と同じように、観光客が激減してしまいました。

観光客が来なくなると、ホテルやレストランで働いている従業員、ガイド業をしている人たち、運転手をしている人たち、リンジャニ山で観光客の荷物を運んでいたポーター、バンガローや宿泊所を経営している人たちの暮らしはどうなるでしょうか。

ホテルやレストランに食材を提供している農家、ツアーをコーディネートする旅行会社、そしてお土産ショップ。すべての人たちの暮らしに影響しています。

ロンボク島の復興を助けるために一番効果的なのは、やはりロンボク島を訪れること。

ゆいツールは、今年も変わらず12月下旬にエコツアーを実施します。

「ロンボク島復興エコツアー!サステイナブルな村の暮らしを体験 in インドネシア」

(注意:こちらは、個人旅行での参加となります)

興味をお持ちの方は、ゆいツールまでお問い合わせください。

ゆいツールのエコツアーは、リピーター率がとても高いです。

一度参加した人は、どうしてもまた行きたくなってしまいます。

それは、ロンボク島マジックにかかったのかもしれないし、マジックではなくて本当にロンボク島と恋に落ちてしまったのかもしれません。

以前、スマトラ島と恋に落ちた私は、その気持ちがとてもよくわかります。

世界中に、素晴らしい場所がたくさんあるとして、このロンボク島は間違いなくそのうちのひとつです。

ゆいツールがツアーをコーディネートすることで、より恋に落ちやすくなるのかもしれません。

ロンボク島が、サステイナブルにより発展していきますように。

ゆいツールは祈りを込めて、このツアーを実施いたします。

みなさまのご参加を、心からお待ちしています。(山)

◎ゆいツールが行っているロンボク島地震災害のための支援金募集の情報はこちら

◎クラウドファンディングも実施中!(9月19日まで)CAMPFIREのページへ

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地震後のロンボク島に滞在して(学生さんのレポート)in Lombok

2018年09月14日 | 6. エコツアー参加者の声

大学生Oさんに続いて、地震後のロンボク島に入った長野県の大学院生Aくんのレポートを紹介します。

Oさんの体験はこちら⇒村の様子。⇒地震の時の様子

***

(↑ 村の子供たちと。後ろの白いTシャツの男性が筆者)

私は8月26日~9月2日にロンボク島に滞在した。もともとの目的は、友達の大学の先生を通して現地の学校を見させていただくことだった。しかし、8月5日にあった地震によってその目的が全くの白紙になった。そんな中、その大学の先生(以下ニスワトゥル先生)から「ロンボクに来て、被災した人たちと交流して慰めてくれたらありがたい」という話を受けて、私はほぼ無計画にロンボクに飛んだ。

そんな私のロンボク滞在のスタートであったが、内容はとても濃いものになった。それもこれもすべてロンボクの人々の温かさによるものである。例えば、ニスワトゥル先生は私のために様々な村で親戚の子をはじめ村中の子を集めて、私が日本語を教えながら交流する機会を設定してくれた。また、パプア在住でたまたま帰省していたニスワトゥル先生の親戚の人を紹介してくれた。その人は帰省中にもかかわらず、私をロンボクの観光名所に案内してくれたり、村人と交流するのに付き添ってくれたりした。さらに、そうして訪問した村、学校、家庭すべての場所で全くの部外者である私をみんなが全面的に受け入れてくれた。出会ったロンボクの人々の”人の温かさ”を常に感じることとなった。

(↑ ランタン村で)

また、私が感じたことはもう一つ家族のつながりがすごく強い、ということ。私が滞在させていただいたのは、パヌジャ、ランタンという小さな村と、州都のマタラム市の3か所だけだったが、どこに行ってもすぐ近くに親戚がいて、そこに挨拶に伺わせてもらうと「朝ごはん食べた?」「寄ってきなよ」と声をかけてくれる。そしてみんな「家族だ」と紹介してくれる。また、私が行った時期が地震が起こった直後であり、まだ余震も続いているような時期であったため、ロンボクでは住民は、家の庭や公園などでテントを張って寝ているところが多くあった。私が最初に泊めさせていただいた家庭もそうであった。その家族は2、3家庭が同じテントで寝ていた。そのため、私は最初全員が兄弟か、と勘違いしてしまった。しかし実際には遠縁の親戚や近所の人であった。それくらい一緒にご飯を食べ、テレビを見る姿が自然であった。また行かせていただいたどの家にも庭に東屋(ブルガ)があり、そこにふらっと近所の人が来てコーヒーを飲みながら話して帰る、ということもあった。「家族」の繋がりの強さ、そして他者に対する壁を作らない人柄を感じることができた。

そんなロンボクの人々の「温かさ」におんぶにだっこの状態にもかかわらず、どこを訪れても来てくれてありがとう、と言ってくれる。そして、逆に日本に帰ってきた後、関西国際空港を襲った台風21号、北海道を襲った地震に対し「大丈夫?」と気遣ってくれた。自分たちもつらい状況にあるはずにもかかわらず。常にほかの人のことを気にかけている、そんな姿がロンボクのどの場所でも見られた。そんなロンボクで一番印象に残った言葉がある。それは”Guest is KING”という言葉。”何かを得ること”ではなく“何かを与えること”に価値を置く、そして、それが当たり前となっているロンボクの人々の姿に、私は「自分は人に何かを与えられているだろうか」と考えさせられた。今回の経験を通して、将来的に、誰に、どのような形かはわからないが、こんなちっぽけな自分でも他人のためになにかできることがあるならしたい、本気でそう思うようになった。

この度お世話になったすべての方々に、ただひたすらに感謝申し上げます。そして、一日でも早い、ロンボクと日本の被災された方の復興を願っています。

(↑ ランタン村で)

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ロンボクのランタン村に滞在して(学生さんのレポート)in Lombok

2018年09月11日 | 6. エコツアー参加者の声

ロンボク島で大地震が発生した時、中部ロンボクのランタン村に滞在していた日本人大学生Oさんのレポートです。

今回は、地震が発生する前の様子を中心に書いてもらいました。地震発生後の様子はこちら

***

私は、7/23〜8/7までロンボク島に滞在し、そのうち12日間をランタン村で過ごした。このような旅をすることの目的は、自分の価値観を拡大するためであった。
現代の日本では、多くの若者が生きづらさを感じている。それは、日本における常識や共通認識に思考をとらわれて、本来の自分らしさを出せていないからである。それら偏見に囚われているせいもあり、私は、多くの人が他者を受け入れることができていないと感じていた。自分らしく在れないこと、本来の自分を理解すらできていないことは、他者を理解することを阻害していると感じていたのである。
それはもちろん自身にも言えることである。私自身も日本という国の狭い了見と価値観に囚われて、自分らしさを出しきれておらず、その圧迫感から、他者を受け入れ切れていないことを常々感じていた。
そこで考えたのが、ロンボク島に行くことである。本来、違う場所に行くつもりであったが、師事している教授に相談したところ、その場合だと、ロンボク島のランタン村の、日本にかつてあったような村社会を体感することが私の役に立つのではないかとのことだった。私も、その言葉と、インドネシアの自然に何か感覚的な惹かれるものがあって、行き先をロンボク島に決めた。

実際にロンボク島を訪問して感じたのは、まず、豊富な自然である。空港を出て、州都のマタラムに行く道すがら、あまりにもたくさんの木がはえていて、緑に満ちていて、そして、人々が生き生きしていることに感動したことを覚えている。ずっと飽きもせず、南国の自然と生い茂る緑を見て、心が自然に帰って行くことを感じていたのを覚えている。そこには、心に張っていたバリアのようなものが、自然を通して取り払われて行く感覚が確かにあった。

次に感じたことはやはり、人と人の距離の近さである。空港では、インドネシア語がわからない私の英語を親身になって聞いてくれる店員がいたり、タクシーの運転手は町のガイドをしてあげようかと言ってくれたり、そんなことにロンボクの優しい島民性を見たような気がした。それがなんだか微笑ましく、凝り固まっていた心が溶けていくようで、私も優しさを返そうと思った。しかし、同時にすんなりと心に踏み込まれることに、戸惑いも感じた。その時私はまだ自分を繕っていて、その繕った自分を認めてもらうことに必死すぎて、踏み込まれて、自分を暴かれることが怖かった。だから私は、懸命に距離を取ろうとしていた。

そんな自分の思いを良い意味であきらめさせたのは、ランタン村でホームステイした先の家族である。彼らは本当に良い意味でグイグイくる人たちであった。部屋にいても勝手に入ってくるし、人のものは勝手に使うし、お腹いっぱいでもご飯をもっと食べろ!と言われるし、ちょっと1人で出歩くだけで心配されるし。当初はその、おばあちゃん家にいるような感覚に、疎ましささえ感じた。

でも、何をしても許してくれて、常に気にかけてくれて、優しくて、まっすぐで。いつも笑顔で、本物の家族のように接してくれた。

ホームステイ先の家族だけではない。近所の子供達。彼らはランタン村の初日、緊張してた私に近寄ってくれて、一緒に遊んでくれた。私を見るとすぐ近寄ってくれて、私の名前を呼んでくれた。
近所のママたち。ホームステイもしてないのに、まるで本物の娘のように扱ってくれて、道を歩いていると「うちでお茶を飲んで行きなよ!」って誘ってくれた。
農家のおじさん。私の帽子が欲しいと言っていて、それをあげたら、「お祈りの時、あなたの無事をずっと祈り続ける」って言ってくれた。

村の友達。私がいなくなるとき、ホテルまで私を送ってくれて、みんな半泣きで「最高のゲストだった、また必ずきて」って言ってくれた。

そんな優しさと暖かさに触れて、自分を取り繕っていたものがどんどん取り払われて、他者を冷たく見る気持ちがどんどん変わっていった。自分はありのままでいて良いのだと思った。人に優しくしようと思った。どんな人でも、距離を取らず、同じ人間として接しようと思った。自分を取り繕うことに必死だった私が、どうしたら人に優しくできるのだろうと考えられるようになった。

現代の日本の周りの冷たさの中でその気持ちを持ち続けることは確かに少し難しいことかもしれない。日本に帰ってきて、人と人との距離を感じたし、冷たさもすごく感じたし、近く、優しく接する自分がバカらしく感じる時もあった。でも、私はそれでも人に優しくあることをあきらめたくない。他者に優しく、ありのままの他者を認めたい。やっぱりずっとそのようにありたいのである。

今、ロンボクでの日々を思い出しながら、これからも人に優しくあれたらと思う。
そして、もう一度あの心地よさに触れるため、そしてあたらしくてきた家族に会うため、ロンボクに帰りたいと思う。

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ロンボク島現地の学校の状況(西ロンボク)と支援プロジェクト立ち上げの経緯 2018年7月8月の地震に関連して

2018年09月01日 | 7. ロンボク島地震災害支援

今回は、前回に引き続きロンボク島の地震で被害を受けた学校の様子をお伝えし、支援プロジェクトを立ち上げるまでの経緯もご紹介します。

SDN 3 Taman Sari Dusun Medas Bawak Bagek Desa Taman Sari Kec.Gunung Sari.

(西ロンボクのグヌンサリ地区タマン・サリ村メダス・バワッ・バゲッ集落のタマンサリ第3公立小学校)以下、2つの写真もこの学校。

地震の震源地に近い、北ロンボクと東ロンボクは壊滅的な被害を受けました。

これらの地域はもともとロンボクの中でも開発が遅れ、州都マタラム市からも遠く、一部の観光スポットを除いては普通の田舎、というエリアでした。ゆいツールも、訪れたことがあるのは、その中の限られた地域だけです。

今回の地震で、ロンボク島で活動するNPOとして、現地のために何ができるか考えたときに、まず誰(どの団体)と一緒にやるか、ということを真っ先に思いました。

ゆいツールは、東京に事務所を置いています。現地で動ける、ゆいツールとつながりのある団体のメンバーで、信頼できる人物…。

地震直後から連絡をとっていた、インドネシア・イスラム観光協会(APII)のマストゥールさんと一緒にやろう、と決めました。

APIIとは、2017年度からのつきあいで、2018年2月にロンボクで大きなフォーラムも一緒に開催しました。

マストゥールさんは、APIIの西ロンボク県の担当スタッフです。

今回、どこを支援するか、という話をしたときに、「西ロンボクの学校を」を提案がありました。

私は正直、被害が大きかったのは北と東で、なぜ西を?を思ったのですが、マストゥールさんの意見は、「西ロンボクの一部(それもマタラム市からそう遠くないエリア)も、多くの建物が倒壊している。しかし、TVなどのメディアは北と東をさかんに取り上げるため、インドネシアの国内の人たちの関心はそちらに向いていて、支援物資も西を通り越して北へ東へ運ばれている。でも、ここにも支援を必要としている人はいる。インドネシアの中央政府は、北ロンボクの支援を約束した。APIIとゆいツールは、西ロンボクでも被害が大きかった、バトゥ・ラヤール地区とグヌンサリ地区の学校を支援したらどうだろうか」というものでした。

それに、西ロンボクであればマストゥールさんの普段の活動地のため、土地勘もあり現地確認に行くこともたやすく、こちらも情報を得やすい、という利点もありました。

また、グヌンサリ地区の一部の村には、ゆいツールが普段お世話になっているごみ銀行やヤシ砂糖づくりの販売者の人たちが住んでいて、状況を把握するのに難しくないと思いました。

学校はどんな状況なのか?聞いてみると、校舎が壊れ子供たちは勉強する場所を失ってしまっている、とのことでした。

マストゥールさんは、大型テントを支援したい、と言ってすぐに画像を送ってくれました。

普段、インドネシアの軍隊が使っている大型テントです。

大きさは、幅 6m、奥行 14m、高さ 3mで、子どもが60人収容できます。

1ユニットあたり、6,000,000ルピア(約46,000円)(ジャカルタからの送料込み)です。

金額がはっきりしていて、これなら支援金を集めるときにわかりやすい!と思いました。

そこで、上のふたつの地域で倒壊した学校の数を洗い出してもらいました。これがそのリストです。(プロジェクトを開始してから、1校増えました)

学校の校舎が再建されるまで、1年以上かかるそうで、その間子供たちが安心して勉強できる場所として、大型テントを支援することにしよう、と決めました。

もちろん、そう決める前に「そもそも学校は(特に公立の学校は)、政府からテントの支援くらいあるのではないか?」とも思いました。

マストゥールさんに確認すると、「今のところ、西ロンボク政府の復興計画は何も決まっていない」ということでした。おまけに、次年度の予算を決める会議を待たなければいけない、とのことでした。

おそらく、インドネシアの中央政府からなんらかの支援はくるのかもしれませんが、少なくとも今の時点で学校にテントを支給する計画はない、ということは確認できました。

では、善は急げ!ということで、「ロンボク島地震災害支援金」を募集することにしました。

クラウドファウンディング「インドネシア・ロンボク島地震災害支援~学校に大型テントを届けたい」もスタートさせました。

支援プロジェクトをスタートして1週間あまりたった、8月27日(月)には西ロンボクの学校が再開されました。

(バトゥ・ラヤール地区スンギギ村スンギギ集落のスンギギ第一公立小学校)

立派なテントが、と思ったら、竹とブルーシートでできた簡易なものでした。

とりあえず日差しは遮れますが、強い雨が降ったら勉強は終わり、となりそうです。

9月1日現在、支援金は、クラウドファウンディングで27万円と少し、銀行振り込みや直接手渡しなどで集めたお金は38万円にのぼっています。18校の学校を支援するためには、83万円が必要です。

今回支援する大型テントは、今後1年間は各学校での使用状況をゆいツールが管理していきます。

西ロンボク県知事も、この活動を把握してくれています。

ゆいツールは、行政と連携して支援にあたりたいと考えています。

校舎を失った子供たちが、大型テントで安心して勉強できるように、みなさまのご支援をお願いします。

すでにご支援いただいたみなさま。あたたかいご支援本当にありがとうございます。(山)

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