五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

押切刑場跡

2013年09月14日 | 市川三郷百景
散歩に出たついでに、押切(おしきり)刑場跡に立ち寄ってみました。
刑場跡は芦川にかかる青洲橋を渡った笛吹川との間にある「富士川防災公園」内にあります。

刑場跡といっても今は説明板と石碑、それに割れて寝かせてある供養塔があるだけ、とてもここがその昔、死刑囚の首を斬ったところだとは想像できません。



江戸時代、今の山梨県である甲斐の国には刑場が二か所あったのだそうです。そのうちのひとつがここ押切の刑場(名前からして恐ろしい)。

市川大門の町の中に監獄のようなところがあって、処刑される人間はこの場所まで連れてこられたのだとか。
現在の大きな通りではなく、古地図に残っている「押切のみち」を通ってきたと言われています。
じつはその「押切のみち」、我が家の横を通っていて、私自身は何も感じませんが、霊感の強い方には引き立てられてゆく罪人の姿が見える、という話を聞いたことがあります。本当かどうかはわかりませんが。

厳密にいうとこの場所は、何十年か前に河川の改修があって、芦川の流れが変えられてしまい、今の場所に移されたのです。

小学生の時に訪れたことを記憶していますが、確かにここではありませんでした。
その頃にはまだ供養塔が割れずに立っていて、それを皆でスケッチした覚えがあります。



供養塔の側面には「安政三年十一月」の文字が読み取れます。
安政三年といえば1856年、今から160年近く前のこと。
有名な「安政の大獄」が始まる直前の時期ですね。

歴史に興味のある方に、説明板の写真を付けておきます(ネタバレもいいとこですが)。



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