五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

同級生旅行の続き

2005年10月26日 | 日々のつれづれに
宮崎の夜は宮崎市北東部の一ツ葉海岸という所にある「シェラトン・グランデ・オーシャン・リゾート」というところに泊まりました。
どんなホテルかと思っていたら、とんでもなく高い(建物の高さも値段も)ものでした。地上154メートル、私たちが泊まったのはその中の38階のツイン・ルーム、オーシャンビューの部屋でした。

夕食は宮崎市内の居酒屋さん。タクシーの運転手のお勧めで行ったのですが、正直(値段の割りに)あまり美味しくはなかったかな、という気がしました。
このあたりの店では、「お酒」と言って注文すると「麦ですか?芋ですか?」と聞かれます。さすがに焼酎の本場。

ホテルに戻ってきて、館内のバー(といってもオープンスタイルの南国風のバーでした。アメリカンポップスの生演奏付き)で、カクテルやウィスキーなどをそれぞれに飲みました。
私は、「ラフロイグ」のロックを頼みました。スコッチの中でも焦げ臭さでは1,2を争うこのウィスキー、正直言って自分ではボトル一本買う自信がありません。こういうところで1,2杯いただくのが一番いいようです。

2日目の朝は、近くのゴルフ場で3年ぶりのコースに出ました。
このゴルフ場、名前を「フェニックス・カントリークラブ」といって、あの有名なダンロップ・フェニックスという大会が開催される場所なのだそうです。私は少しも知りませんでした。
あのタイガー・ウッズも参加するこの大会、今年は11月17日から開催されますが、すでに公式戦用のティーグラウンドなどは厳重にロープなどで保護されていましたが、フェアウェイなどはアイアンで一生懸命掘り起こしてきました。もっとも森の中、木の下、砂場の中などを駆け回っていたほうが多く、とてもスコアは書けません。

クラブハウスで頼んだ昼食は、「タイガー・ウッズも食べた牛丼」というものでした。話の種にということで食べてみましたが、牛丼の卵とじでした。宮崎産の黒牛を使った牛丼はさすがに美味しかったですが、果たしてタイガーがどのような感想を漏らしたかはメニューには書いてありませんでした。

ゴルフが終わったあとは、休むまもなく鹿児島・指宿まで九州道・指宿スカイラインを乗り継いでの3時間のバスの旅。

鹿児島の旅はまた次回に。

宮崎に来ています。

2005年10月22日 | 日々のつれづれに
中学の同級生10名と宮崎に来ています。
同じ日本とは思えないほど日差しが明るく暖かくて、別世界に来ているようです。

道の駅フェニックスで、地元の麦焼酎などを飲みながら、鬼の洗濯板で記念写真を撮ったり、青島神社を見たりしました。

明日は三年ぶりにゴルフをやって、鹿児島に向かいます。



トリガ

2005年10月20日 | 日々のつれづれに
今週の月曜日、会社では新しいシステムのスタートだったもので、その対応に追いまくられた一週間になりつつあります。
まだ木曜日だというのに毎日が一週間ほどに長く感じられ、帰宅するとどっと疲れが出てしまいます。水曜日の朝は起きたときに身体が重く、出社も少し遅れてしまうほどでした。

それでも、水曜日までに大きな問題のいくつかが解決したおかげで、今日あたりからはいくらか余裕が出てきたかなという気がします。

退院後、毎日書いていたブログも途絶えがちになってしまい、少し反省。
決して書く材料が枯渇してしまったわけではありません。書きたい材料には事欠かないのです、本当に。
会社でも一日中メールや表などを書きまくっていた関係で、家のパソコンに向かうのも億劫で、ブログの編集画面を見る気もおきませんでした。
普段どおりの状態に戻るには、落ち着いてちょっとしたきっかけが欲しい、などと他人任せのようなこの頃です。

うーん、購入したばかりのサザン・オールスターズの「Killer Street」などを聞いて、同年代の桑田圭祐さんのパワーを少し分けてもらおうかな。

カタツムリの赤ちゃん?

2005年10月16日 | 日々のつれづれに
庭にあるきゅうりの支柱を片付けていたら、緑の棒の先に米粒より少し大きいくらいのものが付着しているのに気が付きました。はじめはゴミかと思っていたのですが、何やら動いている様子、よく目を凝らしてみると、小さなカタツムリが動いていたのでした。

ここのところ続いた秋雨のせいなのかもしれませんが、地上1.5メートルのこの高さまでよく登ったものですね。せっかく上ってもかれてしまったきゅうりの茎だけで、食べるものなど何もなかっただろうに、と少しかわいそうになりました。
姿形(なり)は小さいのですが、渦巻き型のカラがあり生意気に2本のツノがあって、それを左右に振りながら支柱の周りを移動していきます。スピードはむしろ大きなカタツムリよりも速いかもしれません。

支柱を片付けようと思ったのですが、払いのけるわけにも行かないので、カタツムリのいる一本だけ庭に残しておきました。家内に伝えるのを忘れてしまったので、家内は後で何と思うでしょうか?

手近にデジカメがあれば、もっと近づいて写真が撮れるのですが、私の携帯電話の写真機能ではこのくらいが精一杯かもしれません。

私のPC:プリンタ購入に付き合う

2005年10月15日 | 私のPC
従兄弟が「プリンタを買いたいから一緒に付き合って」と言うので、甲府市にある大手家電量販店に出かけました。
実は、従兄弟からは以前から頼まれていたのですが、私の入院騒ぎがあったりして延び延びになっていたものです。

すでに売り場はこの秋に出た新製品が幅を利かせていました。
A4、A3ノビの各サイズに加えて、スキャナやFAX、コピー機能を加えた複合機、最近登場した(そうでもないか)ダイレクト機といわれるメモリーカードからそのままパソコンいらずで印刷できるものまで登場していて、プリンタ売り場はにぎやかでした。

従兄弟からは、ホームページの印刷と、年賀状の印刷が主な目的だから、と言われていたので、これらの値段の張る新製品には目もくれず、一つ前に出された製品のコーナーを物色しました。
運よく新聞に折り込まれていた広告の目玉商品の在庫があったのでゲット、スペアのインクカートリッジ(色数も多いし値段も高いですね、3回買うと本体が買えてしまいそう)もひとそろい買って帰りました。

目玉商品がキヤノンだったから言うわけではないのですが、前回エプソンからキヤノンに買い換えた(正確に言うと、山梨ではエプソンを使い、東京の家では新しくキヤノンを買った)ので、今回も迷わずキヤノン製品の中から決めました。

あくまでも私の少ない使用経験の中では、音の静かさ、故障の少なさ、ユーティリティソフトの充実度などを比べてキヤノン製品のほうがいいかなと思った次第ですので、一般的な評価ではないことをお断りしておきます。
印刷時の振動が大きい、図体が大きくてデザインが今いち、という気になる点もないわけではありませんが、総合的に評価した結果ということにしておきましょう。

家に戻って来ての設置、ソフトのインストールはまったく問題なし、サンプル印刷も一枚目からバッチリでした。次は、年賀状作成ソフトの選択です。

私のPC:モデムが...

2005年10月12日 | 私のPC
2週間の入院生活から戻ってみると、ネットワークのモデムがLED全点灯状態になっていました。「はて、一番下はTESTだから点灯中なのはおかしいな」と思い調べてみると。案の定インタネットへの接続が出来ない状態になっていました。

我が家のネットワーク信号は、CATVの信号に重畳して送られてくるので、途中で分配器で分離されパソコンに送られてきます。件のモデムは分配器と無線ルーターとの間にあり、無線ルーターからは有線で私のパソコンと、無線で娘のパソコンと接続されています。

CATVのカスタマーサポートは、休日の夜8時ごろでしたが一発でかかり(無料)、かかった後ずいぶん待たされましたが無事に担当者につながりました。
電話で言われたとおりケーブルの抜き差しなどをしてみましたが、モデムの自己診断が走っていないので、モデム自体の問題だろうという結論になり、結局交換することになりました。
こうしたモデムのトラブルは年に数回、落雷によるものやその他の原因によるものが考えられるのだそうですが、今回はそうした思い当たるようなことはありませんでした。

新しいモデムは翌日、メンテナンスの方が持参してくださり、交換して正しい動作に復帰しました。

がんばれ!駿高野球部:一年生大会の結果

2005年10月08日 | がんばれ!駿高野球部
心配された天候も、曇り空のコンディションとなり、甲府市砂田町の山梨学院大グランドで、一年生大会甲府北地区の予選が行われました。
駿台甲府の一年生チームは、一回戦で甲府東と対戦、精一杯がんばりましたが3-4で惜しくも敗れてしまいました。

●駿台甲府 3-4 甲府東:志村、青木-一瀬健

0-3とリードされた駿台甲府は5回裏、高城君の安打を足場に、志村君、一瀬健君、三枝君の3連続タイムリーで同点に追いつきましたが、6回表に走者二三塁からボークで決勝点を奪われ、1点差で敗れてしまいました。

敗れはしましたが、一年生の諸君は10名という少人数でよく戦いました。
この経験を次の試合に生かしていって欲しいと思います。
また、応援に駆けつけてくださった皆様ありがとうございました。


退院しました。

2005年10月07日 | 一病息災
一週間の検査入院を終え、「無事に」退院することができました。

正直なところ、今回の検査入院は、自分自身の自覚症状がまったくないまま、人間ドックで引っかかった部分の精密な検査、ということで入院してあれこれと調べたのですが、結局「○○○らしいけれども、検査の結果でも数値に現れてこないし、まあもう少し様子を見よう」というような、本人にとっては今ひとつすっきりとしない結果に終わったと言えばいえないこともありません。

結局、会社の方も二週間休んでしまい、職場の方をはじめ関係の方に大変ご迷惑をかけてしまった気がします。
入院中は会社のメールはまったく見ることができなかったので、退院後、自宅から会社にアクセスしてメールを見たときには、未読メールの多さに驚いてしまいました。

ただし、これまで何度か病気による長期休暇を経験しているので、正直なところ「自分がいなくても何とかなる」とタカをくくっているところがあるのは確かです。不謹慎なようですが、こういう割り切り方ができないと、精神的に体が壊れてしまうことを、今まで身体で学んできましたから。

今回、退院後の見の処し方についても、いわゆる「セカンド・オピニオン」と呼べる信頼できる先生に相談することができたことは、唯一の収穫だったと思います。
インタネットでいろいろな情報が収集できる時代になったとはいえ、自分自身の病気についてのさまざまな決断は、古風なようですが「わが身一人の身」ではないために、どうしても慎重にならざるを得ません。
そういったときに、相談できる医者がいるということのありがたさを今回は特に感じました。

新しい町名にはなったけど

2005年10月06日 | 日々のつれづれに
実家のある山梨県の市川大門町が、私が入院していた10月1日、隣町の三珠町・六郷町と合併して、新しく市川三郷町(いちかわみさとちょう)になりました。

当初は、ほかの二つの町との合併も含め、新しい「市」になることを目論んでいましたが、結局3町の合併のみということになりました。
正直なところ、町名が変わっただけ、という気がしないでもありません。

いずれも過疎の町ですから、人口2万人に満たない新しい町が今後どのような政策をもって、過疎対策をしていくかが重要な課題となります。
東京に住んでいても、自分の育った町ですから、とても気になります。

一時外泊

2005年10月04日 | 一病息災
入院しての検査も終わり、さてこれからどうする?という思案(相談)をするため、また入院中に起きたちょっとした問題を解決するために外泊させてもらうことになりました。

問題といっても、自分のパソコンのセキュリティソフトの期限が来て、更新手続きをしなければならなくなったり、部屋にゴキブリが出て、その類が大嫌いな娘が「何とかして!」と訴えているとかのことなのですが。

そもそも、入院の発端になった内科の先生と、今回の検査結果について水曜日に話し合うことになっていて、それまではもう検査もないし、さりとて退院してしまうこともできないということもあっての外泊です。

「うーん、一週間ぶりの娑婆(しゃば)だなあ」ということで、今から楽しみなのですが。



がんばれ!駿高野球部:練習試合の結果[10/2]

2005年10月03日 | がんばれ!駿高野球部
甲府南高校グランドで2試合練習試合を行いました。
来週行われる一年生大会の練習も兼ね、最初の試合は一年生のみで行いました。

私は入院していて応援に行けなかったので、結果のみ記しておきます。

〇駿台甲府 11-6 甲府南:志村-一瀬健
●駿台甲府 3-6 甲府一:望月浩-鶴田

一年生部員は現在十名、ぎりぎりの人数ですが、入部から一人も欠けることなく、練習・試合を行ってきた彼らの頑張りに敬意を表します。

一年生大会は、10月8、9日の両日、山梨学院・砂田グランドで行われます。
時間および組合せは、変更があるかも知れないので、ここには記しません。


一句ひねろう:三寸の秋

2005年10月02日 | 一句ひねろう
病室の窓から見える外の景色は十月の蒼い空が広がって、そこから入ってくる心地よい風が仕切りのカーテンをわずかに揺らしています。
窓は転落防止のためでしょう、手のひらの幅くらいしか開きませんので、ベッドからは縦に細い外の景色が見えるだけです。
となりの病棟の屋上にある緑と近くの小学校のか神社の樫の木が日差しの中で浮き出て見えます。

 三寸の すき間から見る 秋の空

こっそり写真を撮ろうと思いましたが、止めておきます。


大腸カメラ(続き)

2005年10月02日 | 一病息災
大腸カメラ検査の続きです。
検査当日の朝、看護士さんが、えっこらしょと「ニフレック」の水溶液2リットル入りのビニール袋を運んできました。
これを2時間かけて飲む、ということはコップ一杯をおよそ15分かけてゆっくりと飲んでいくことになります。
最初の一杯を口に含む。「むっまずい」生温かい濃いめのスポーツドリンクといった感じでしょうか。
がぶがぶと飲みたいとは思いませんが、でもまあ飲めないシロモノではない感じです。ヴァリウムに比べたら「何だこんなもの」というところ。

ほぼ1リットルくらい飲んだところから便通が始まりました。その都度トイレの呼び出しボタンを押して看護士さんに確認してもらいます。
長い間自分の便を人に見せることなどなかったので、少し気恥ずかしかったのですが、看護士さん達は(呼ぶ度に別の方が確認にくる!)、便器のなかをのぞいて「あっ、もう少しですねぇ」などと極めて事務的に言うのでした。

こうしてトイレ通いを4、5回繰り返すうちに「ニフレック」も飲み終え、便にも固形物が残らなくなったのを確認して点滴が始まりました。(食事中、はないと思いますが、これから食事という方がいたらゴメンナサイ)
最近の点滴薬を吊す移動用の棒(というか台というのかわかりませんが)は、倒れにくく押し易いようにグリップがついていたりします。おまけにキャスターも生意気に5個も付いていて動きもスムーズなんですね。
吊す点滴薬もポリ袋入りが多く、昔のように押すたびにガチャガチャいうことはないようです。

午後3時前、検査室に呼ばれました。急な患者さんが飛び込みであったりしたため、40分くらい待たされましたが、検査台に上ってから全ての検査が終了するまでの時間は20分くらいのものだったでしょうか。
検査台に上がって両ひざを抱えた状態で、目の前に大きなモニタがあり、自分の大腸の中を良く見ようと思っていたのですが、点滴薬の中に注入された薬(痛み止め、あるいは筋肉の緊張を緩めるためのもの?)のおかげで、ぼおっとしている間に終わってしまいました。挿入するときもファイバーカメラが腸の中を動き回る感じもあまりしませんでした。(この当たり、担当医の腕なのでしょうか、ベテランの方だそうで)

検査台を降りた後、大腸の各部を撮影したカラー写真をいただきましたが、特に問題はないとのこと。詳しい話は来週、主治医から伺うことになりますが、まずはヤレヤレといったところです。


【注記】
しばらくの間、検査の状況を何ヶ所かに分かれていて、病院に来ることが出来ない家族・親類向けの内容になっています。



本の貸し出し

2005年10月01日 | 一病息災
ベッドの上で娘が昨日持ってきてくれた文庫本を読んでいると、「失礼します」といって一人の女性が私たちの病室に入ってきました。
四人部屋の場合は右手の奥から、と決めているのかまっすぐに私のカーテンを開くと「ボランティアで本の無料貸し出しをしているものですが、いかがでしょうか?」とにこやかにリストを差し出しました。

自分の本を読み始めたばかりだったので、断っても良かったのですが、ぶっきらぼうに拒絶するのも悪いと思い、リストだけでも見せてもらうことにしました。
「ふーん、ダヴィンチ・コードなんてのもあるんだ」などと言いながら、リストをめくりながら考えて、「このDー44お願いします」と告げました。
女性は「探してきます」といって部屋を出て行きましたが、しばらくして戻ってくると、私に一冊の本と貸し出しカードを差し出しました。
その図書貸出カードを見た私は「もう少し簡単なタイトルの本にしておくんだったな」と思いました。
そのカードの小さなタイトル欄には、彼女の手書きで本の名前が書かれていたからです。「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」(著者:椎名誠)



大腸カメラ

2005年10月01日 | 一病息災
検査入院している間に十月になりました。
会社は下期への切り替えの大切な日(実質的には休み明けの3日)ですが、病院のベッドの上で迎えることになるとは思いませんでした。

検査も大詰めにきて、今日は大腸カメラ、つまり肛門から内視鏡を入れて大腸のポリープなどを調べる検査があります。
胃カメラは飲み慣れている私ですが、大腸カメラは初めての経験なので多少緊張気味で、昨夜は寝付きがよくありませんでした。

大腸カメラによる検査の準備は、胃カメラの比ではありません。
腸の中を空にするために、前日の食事から固形物を減らした食事(注腸検査食、おお、何という名前!)を取ります。朝は柔らかいパン、昼は五分がゆに果物ジュース、夕食は主食なし、はんぺんの煮たものに二種類のジュースだけでした。

検査当日は朝・昼食を抜いて、替わりにニフレックという薬を2リットルの水と共に飲んで、腸の中をきれいにするのだそうです。
となりのNさんが直前にやっているのを見ているので、大体の感じはつかめますが
それとともに点滴を始めますが、検査中に小さなポリープが見つかった場合には、その場で切除する(!)こともあるので、止血剤も入っているとか。

実際の検査は今日の午後3時くらいからです。あと8時間弱。



【注記】
しばらくの間、検査の状況を何ヶ所かに分かれていて、病院に来ることが出来ない家族・親類向けの内容になっています。